お盆中は避けていたこともあって
2週間ぶりに叔母の家を訪問
半月ほど息子さんが日本を離れていたので
簡単な自炊もするようになっていました
元々料理好きだった叔母だったのですが
入院後は来日した息子さん推奨の
Uberばかりで作る事がなくなっていました
叔母のランチ
焼きそばと特製赤紫蘇ジュース
お皿は陶芸仲間の作品だそうです
これからまた少しずつお料理してくれると
いいなと思っています
デザートは相変わらず素敵
このガラスカップは
結婚したころから使っていて一緒に
大陸を横断しているものなんだそうです
かれこれ60年前の物
この日は先週の終戦の日に話していた話の
続きで会話が尽きなくて・・・
福生に住む83歳叔母
先日放映された「火垂るの墓」
以前観たことがあったらしいけれど
また観て 涙が止まらなかったと
当時の叔母は節子と同い年だったらしく
その惨さに悲しくなったと話してくれた
小田原で暮らしていた叔母は
原爆の事はもちろん知らずに
食べ物に困ることもなく
いつものように遊んでいたのだと
歳をとればとるほど
戦争の惨さを身にしみて感じるのだそうです
それは私も同じかな
節子の話から始まった戦争の話の先は
ほとんど戦争の話をしなかった祖父が
時々お酒を飲みながらぽつりぽつりと
話してくれたという戦争中の話
それもまたなんともいえない惨い話でした
ラーゲリを思い出した
朝ドラを最近見ているようで・・・
「手のひらを太陽に」を
当時同じようにTVで観ていたと
ただアンパンマンが世の中に出た時には
アメリカにいたのでアンパンマンの事は
全くわからない
やなせたかしさんの話から
祖父(叔母の父)が
菊池寛氏から引き継いだ会社に
吉行淳之介さんが入社した話
子供たちが寝た後に 叔母の両親が話す
吉行さんと宮城まり子さんの話を
小学生の叔母が こっそり聞いていた話
自宅に宇野千代さんが来て
母親に恥をかかせた話
宇野千代さんと祖父とは
ずっと懇意にしていたようですが
たしか 牧野信一と浮世話もあったはず
世の中の人が知る著名人に会っていた叔母
やっぱり只物じゃない (笑)
叔母の自伝の材料がいっぱいすぎて
整理不可能な状態です
ま、それはゆっくりと
時間をかけて整理しようと思います
2週間前に
叔母の家のプランターに植えたバジルは
葉っぱが四つ葉になりました
頑張って生きてました
暑さに負けず 大きくなぁれ
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