叔母は1941年生まれ
戦時下で生まれ 終戦翌月に4歳
なので戦争の頃の記憶も残っている
父親は出征しており
その頃住んでいた東京の家周辺も空襲が多く
母親と弟と小田原の家で暮らしていた
あの牧野信一が住んでいた家で
信一の母(叔母の祖母)と一緒に生活
叔母の記憶だけで描いた小田原の家
子供の頃、MAYママは
この家のお隣に建てた家に暮らしていた
昔話に二人で盛り上がる
小さい頃の遊びについて話しているうちに
「手まり唄」を思い出したらしい
今の子供では見かけることがありませんが
MAYママの小さい頃も
ゴムまりでマリつきしていた
その頃歌っていたてまり唄は
「あんたがたどこさ」だった![]()
今の子供たち 知らないだろうな
この歌も![]()
「あんたがたどこさ」って
元々は熊本の手まり唄
よくよく考えると怖い歌なんです
たぬきを鉄砲で煮て焼いて食べて
食べ終わった残骸は木の葉で隠しちゃう![]()
マリつきをしていた
あの可愛らしい柔らかいゴムボールも
いつの間にか世の中から見なくなった
そして 叔母の話してくれた
子供の頃の「手まり唄」が衝撃![]()
一列談判破裂して
日露戦争始まった
さっさと逃げるはロシヤの兵
死んでも尽すは日本の兵
五万の兵を引き連れて
六人残して皆殺し
七月十日の戦いに
ハルピンまでも攻め破り
クロパトキンの首を取り
東郷元帥万々歳
十でとうとう大勝利
意味も解らず 歌っていたけれど
すごい歌詞だったわね
と
子供が歌う歌ではない
すごい時代だった
これを知っている人は
きっと少ないですよね
叔母の家はつつじが満開![]()
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ビオラ?もその向こうに見える
白いハナミズキも綺麗でした
連休中も会いに行ってあげたいけれど
道が混むので無理かなぁ~
連休明けたら
また小田原へ行く約束してます
昨日は暑かったからか
珍しく本棚の上にいた めい
本日連休初日 いいお天気![]()
皆さま 良いGWをお過ごしくださいませ
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