今日は午前中を使って、演繹と帰納を色々調べた。

演繹は欧米人が得意で、帰納は日本人が得意、とか色々あった。


今読んでる本はレベルが丁度良いのだと気づく。

今より一般化して簡単に表現しているものは、その意図に気づくことが出来るようになるし、
今よりも専門的に深堀しているものをじっくりと読み込むことも出来る。

ピンとくるまで続ける事と
その偶然を待つことの重要性。


何か足りないなって、そんな欠乏感が一番大事なんでしょう。

足りない事も、満ちる事もあるという、広い視野が大事なんでしょう。


この分野、まだまだ続く。
続いて、お風呂で帰納を読んだ。

当たり前だけど、ハッとしたこと。

1個と1は違う。
1個と1匹と1輪も違う。

葡萄2粒とりんご1個のお得感も違う。

数字の重みや意味を感じた。
普段はごっちゃになっていないだろうか??


後はMECEでの分類を
1.足し算・引き算で考える
2.掛け算で考える
3.軸で考える
4.枠組みを変えて考える
とあった事。

3割ぐらいは納得がいったけど
とても使える理解が出来ていないように思える。
ここはもっと掘り下げて理解しよう。


数字の重みもそうだが、
数字の限界に関しての理解も浅かったと思う。

統計学と偶然に関する理解が必要だ。


起きた事を数字を入れて表現してみよう。
その繋がりを、2択で簡単に答えられるまで分解してみよう。


曖昧な勘を超えて、鋭い勘を手に入れたい。


思ったほど、この分野は息苦しくない。
出来る事と出来ない事がはっきり理解できれば、
曖昧な状態は楽しい状態だ。


必要なのは、自分で考えてみること。
自分をまずは納得させるまで考えてみること。


格好つけないで、もっと真意をシンプルかつ自分なりのニュアンスをシンプルに加えて
伝える努力と精進と気配り。


全体が最適になるにはどうしたらいいか。
ボトルネックの特定を正確に測ること。


ゴールを決めて、全体を見て、
逆算から初めて難しければ順次進めて
プロセスひとつずつ追っていく。

技術に溺れず、ゴールを見定める。


やりたい事は、何?
お風呂で、演繹に関しての本を読んだ。

ハッとしたのは、前提を本当に疑い抜いているかどうか、だ。

『チーズはどこへ消えた?』を引用していて、
何回か起きた事実を法則としてとらえた小人と
記憶することなく目の前の事実を事実としてとらえたネズミの対比だ。

人は嫌いな人に怒鳴る
↓
上司は自分をよく怒鳴る
↓
だから上司は自分のことが嫌いだ

これなんて典型的な思い込みだ。
人は嫌いな人にしか怒鳴らないのか?
上司は誰に対してどれぐらい頻度で怒鳴っているのか?
など、調べないといけないことがたくさんあるな。

前提を仮設から事実と認識するまでの検証は
何度も何度も繰り返すべき。

パッと思ってしまった事から離れにくくなるのも
人間の本質だと思うけど。

だけど思い込みは正しい解決を阻害する、とか
堅苦しいのは抜きにして、
人生を楽に生きる秘訣が演繹にはあるね。

「妬む、怒る、愚痴る」はもともとの意味の三毒ではないらしいけど、
使いやすいからそれはそれで良いとして、
こういった、体を蝕む感情から自由になれるのは
自分の為であり、全身がよく働く自分はみんなの為になる可能性が高くなるという意味では、
演繹をしっかりと学習していくのは、
とてもとても大事な、生きていくスキルになるだろうなぁ。