【大和生活法】
第十三:たえず追求すべき明確な問題を持っているか。
そんなに毎日毎日 いちいち起こる問題にこころを
注がなくてはならないのか
と億劫に考えがちですが、
自分にとって明確な問題を見つけるためには、
自分の「身の程」を知っておく
ということ
が必要となってくると私は理解します。
武術家 甲野氏のお言葉によると、
『「身の程をわきまえる」というと、
「身の程をわきまえろ」と言った命令口調で差別的に使われる
イメージがあると思いますが、それは全く的外れな使い方で、
本来は、「自分を知る」という事」
「自分を知る」とは、
自分の「できる事」と「できない事」を確認する作業であり、
把握しているからこそ、「自分は何をすべきか」が正確に分かるのです。』
-上達論 八十四章-
自分にとっては追求すべき明確な問題を見つけたとしても、
すぐに上手く解決できる人はそうそうおりません。
ちょっとだけ立ち止まって少し考えてみてください。
自分がその問題に向きあえる身の程なのか、
それとも単なる”欲”や”妄想”からくる身の程知らずなのか、
それによって本当にその問題と取り組む必要があるのか、
また、身体にかかるストレス具合も変わってくるのではないでしょうか。
自分の「苦手」を知らないと、容易に「妄想」が入り込みます。
「やっていないだけで、本気を出せば自分ならできるはず」
という妄想。
これは、自らの成長を阻むだけでなく、他者にも迷惑をかけ続ける
最も質の悪い思い込み
と-上達論 八十四章-には記されています。
上座部仏教のマインドフルネスでも、
「土台が不安定なまま拡大すると、不安定さがそのまま拡大される」
とされています。
問題と向き合う時
つまり、何かが思うように行かなかったり、自分が「不幸だ」と感じている時に、
人はその原因を自分の「外側」に求めがちです。
つまり、何かのせいにしたくなるのですね。
原因を「運」だとか「不幸」、「誰かのせい」にしたとき、
解決法も自分を置き去りにした「外側」へ求め始めてしまいます。
それは、冒頭で言う、問題を解決するために思索や反省とすること
とは真逆の思想なのですね。
もう1つ、つい、私たちのようなヨーガの練習者もやりがちなのが、
問題をある格付けされた力を用いて、覆い隠してしまうという事です。
自分の気持ちが不安定で疲れてしまうという問題と向き合うときに、
とある「呼吸法」を習得すれば、思い通りにでき、治った気がして
世を楽に渡れると思ってしまうことです。
これは、その人の根本問題の本質的解決には一切なっていなく、
むしろ「問題」を「自分自身」から隠すことにつながります。
では、正直に問題と向き合うには、どんな気持ちでいることが良いのでしょう?
今私が学び続けていることをシェアさせていただきます。
「自己の欠点に目を向ける勇気」
です。
自らの明確な問題を解決するには、
権力も大きな力も必要ないと私は理解しています。
ただ、私はどんな自分でその問題と取り組もうとしているのか、
その問題を通じて何を学ぼうとしているのか、
しっかり思索し、毎度の失敗反省から毎日行うべきことを
見つけていくことなのです。
こんな風に記述している私であっても、
もちろんのこと、たった1つの明確な問題でさえ、
1度で解決できた覚えはありません。
形を変えて必ず現れてくるその問題を自分の最大の欠点と捉え、
ほんのちょっとづつでいい
欠点をしっかり根本から理解し、自分の内側から解決していけたら、
きっと問題は解決され、晴れ晴れとした気持ちで
毎日過ごせるのではないか、と思っています。
野望です笑
光の中で、開け行く時を待ちながら
ではまた明日♪
万菜美