【大和生活法】
第十四:自分は人に対して親切であるか、誠実であるか。
ヨーガの哲学から捉えてみると、
ヨガ・スートラ()の八支則の中で1番最初に挙げられている
ヤマ/yamas「他人との関わり合いの中で、慎むべき行為のこと」
アヒンサー(非暴力)、サティヤ(正直)、アスティヤ(不盗)、ブラフマチャリヤ(禁欲)、アパリグラハ(不貪)
のうち、
大和生活法で掲げられている、
「人に対して親切であるか、誠実であるか。」
は、
ヨーガ哲学でいう
「アヒンサー(非暴力)」
に通ずると理解しました。
アヒンサーでいう、非暴力とは、
行動だけでなく、言葉や思考においても暴力を慎むということ。
自分の振る舞い、発する言葉や、考えにおいて
周りの人や動物や自然を思いやることが出来ているでしょうか?
考えてみると、”アヒンサー ”に当てはまる日々の暴力は、
意外と私たちの身近にたくさんありますね。
つい、誰かのことを言葉で攻撃する、
怒ったり、イライラすること、不満をぶちまけることも、
一緒にいる人に対してネガティブな影響を与えてしまうことや、
食べるために必要以上に生き物の命を奪うのも、
暴力の1つですね。
そのような怒りの感情だけでなく、自分を卑下したり、無理をするのも、
自分に対する暴力の1つです。
では、自分も他人も傷つけないにはどうすれば良いのか?
を考えたとき、
他人を傷つけないために自分のエゴ(こうした方が良いといった自己親切心)
をぶつけるのではなく、
自分が傷つかないことはどんなことなのか、をしっかり内観して
見つけておく、ということも大切。
ということを、仏教哲学を学び気がつきました。
自分のダメなところを攻撃する前に、
自分の良いところをちゃんと認識しておくこと。
忙しく頭がパンクしそうになったら、
少しの時間、目を閉じて呼吸に意識を向けること。
心や身体からのサインに蓋をせず、
疲れたら素直に休むこと。
自分自身を労わり、大切にできれば、
身近な人にも他人にも、思いやりをもって接する余裕が
自然と生まれますね。
また、自分も他人も傷つけないにはどうすれば良いのか?
のもう1つの見方として、
過去に自分が思った親切心や、自分が起こした誠実さを
思い返したときに、
身内とのやりとりですが、
自分の親切心から起こした言動によって、相手と討論になった。
という経験があったのを思い出しました。
全くの不本意でしたし、
あれはなんだったのか?
と考えるようになりました。
親切や誠実さの物事に焦点を当てるのではなく、
うっかり『相手』そのものに焦点を当ててしまうことで、
結果、親切心がうまく伝わらなかったことに対して、
相手を否定してししまっていたのです。
自分が親切心で行なった行動や行為全てが
相手の親切に繋がるとは限りませんね。
このうっかりした概念で、もしかするとたくさんの人が傷ついているのでは、
と気がついたのも、
仏教哲学を学び始めてからでした。
つまり、親切心も、誠実なこころも、自分が素直であることで、
自然と生まれでてくること
なのですね。
素直であることとは?
を、仏教哲学の私の先生はこう伝えてくださいました。
「相手の意見などを自分の意見と違っていても、しっかりと目を
傾ける」ということで、
× 思ったままを言動に移してしまうことではない。
と教えてくださいました。
「感謝を忘れない」「聞き上手」
になると良いのかな~と私は思いました。
でも、素直であろうと実践しようとすると、多く失敗する訳ですよね。
仏教哲学では、
失敗しても良いとも言われています。
どんな失敗があっても、命があるかぎり、あなたはのうのうと生きていていい
とも教えてくださいました。
学べって言っているのか、
そのままでいいよって言われているのか
笑
仏教哲学って、なんでもかんでも観察して、受け止めて
ありのままの本来の自分に戻していく術なので、
今日も明日も明後日もありのままの自分で居られることが良い訳です。
まずは、今日1日頑張った自分に対して、
「よくがんばったね」と褒めてあげましょう♪
人々の喜びの連鎖によって、
地球の輝きがさらに拡大しますように。
それでは、また明日♪
万菜美