こんにちは蓮花です。

 

お散歩した公園にはブラシの花が満開になってました。

 

緑に青空に赤いお花が眩しい、もう初夏のような大阪ですが

 

今日は予定してた「雛人形」の断捨離をします。

 

 

長年ずっと家にあったお人形なので捨てるのは忍びなく

 

まずはコヤッシュさんでお見積りをお願いしました。

 

 

 

 
 
 
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とっても古い雛人形は三段飾りのガラスケースに入ったもの
 
家まで来てもらって見積もりをしてもらいドキドキの結果は…
 
買い取り不可でした(まぁそんなものでしょう)
 
これで諦めが尽いたので、あとは自分で処分するべく解体します。
 
 
 
ガラスケースをばらして、危険物や燃えるものなどにわけていき
 
お人形は別にしてあとは不燃物にして、解体作業を終えました
 
小さな雛人形だけど、捨てるとなるとなかなか大変です
 
一連の作業に2時間位かかりました、汗
 
 
 
そして思ったのは
 
買うのは簡単だけど、捨てるのは大変、ということ。
 
 
 
 
 
今までの私は買う方が大変だと思っていました。
 
買う時はその物を選ぶ時間が必要だし、買う行為にはお金が必要になり
 
何かを買うことに、大きなエネルギーがいる、と思ってたんです。
 
 
ですが今日は「買う」よりも、「捨てる」方がもっとエネルギーが必要だ!と気づきました。
 
 
物を買うのは今の世の中であれば家から一歩も出ずにスマホでポチっとすれば注文出来て、買った物は家まで届けて貰えます。
 
お金さえあれば、ほとんど労力を使わず何でも買えちゃうんです。
 
 
 
だけど「捨てる」のは、ぜんぶ自分が動かないといけない
 
捨てる物をどうやって処分するか?
 
普通のゴミでいいのか?特別なゴミになるのか?調べることに始まり
 
分別してルールにしたがって処分するのに時間もかかり
 
物によっては捨てるだけでお金が必要だったりもします。
 
 
 
捨てにくい「雛人形」を処分したことで
 
あらためて「捨てる」ことの大変さが身に沁みました。
 
物によっては捨てるだけでお金が必要だったりもします。
 
 
 
多くの物を持つということは
 
処分することまで想像しないといけない
 
それらの全てに責任があって、最後まで面倒をみることだと感じます。
 
 
ほんとうに必要な物しか持たない、というのは
 
そんな覚悟がいる、のだと思いました。
 
 
 
簡単に物が買えるからこそ
 
その物がほんとうに必要なのか?
 
自分にとってかけがえのない物なのか?を考えていきます。
 
 
 
私は将来小さな家で暮らすことを夢見ています。
 
 
小さな居心地のよいお家で好きな物に囲まれて暮らす
 
どんな間取りがいいかも、よく考えるんですが
 
その家に物を置くとして、今ある物を置いた所を想像すると
 
「いる」と「いらない」がぱっと分かります。
 
 
私の夢のお家に置いて違和感があるのは不要な物なんです。
 
 
 
普通に考えると勿体ないと感じる物も
 
夢のお家に置いてみると「いらない」とすぐ分かるから
 
断捨離の判断がしやすくなりました。
 
 
 
 
小さなお家に暮らしたいのは、自分で自分の家を綺麗にしていたいからで
 
コンパクトな家ならあっちこっちとすぐにお掃除出来るのが理想なんです。
 
 
 
ちょっと脱線しましたが、多くの物を持っているのは
 
ものすごいエネルギーが必要(物からの波動の影響があり)だから
 
物は少ない方が楽、とも感じたりします。
 
 
 
 
 
 
 
 
ちなみに雛人形のお人形だけは、どこかの人形供養で処分するつもりです。
 
小さな頃にお雛様としていつも見ていたお人形なので
 
ゴミでなくちゃんと供養して旅立ってもらおうと思ってます。
 
 
人形の入っていたケースの後ろには今は亡き父親の文字があり
 
昭和50年3月2日と書かれていました。
 
雛人形を買った日で懐かしい父の愛を感じ、最後に心が暖まりました照れ
 
 
★ネガティブをポジティブへ転換する
 
★カルマを浄化する癒しとなる

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