こんにちは蓮花です。
今日はいつもの公園を散歩中に転んでしまいました。
ほとんど何もないような所で立ってた時に何故かバランスを崩し
お尻から地面にペタンと大コケしました、涙
少し前を歩いていた人も「何事?と不思議そうに降り返って」
めちゃくちゃ恥ずかしかったです。
各種の受け付けはこちらより
コケた直後は足を捻った感じで、足首が痛いなと感じました。
公園の中ほどで歩けるのか心配でしたが、その後も普通に歩けて家まで帰ることが出来ました。
家に着いた頃にはコケたことを忘れるくらい、痛みなども無い状態で
なんであの時転んだのか不思議な気がします。
痛みよりも、転んだ姿が大げさというか「すっころぶ」という感じで
なにか注意を促された気がします。
今の自分が注意力が散漫でぼーっとしているから
気をつけた方がいい、というメッセージ?かなと振り返りました。
こうしたちょっとしたケガやハプニングはツイてないように思いますが
実はそのことが起こることで、大きなケガや厄災を避けてくれる場合があります。
そのまま何もなく過ごしていると、大きな災いに合う、などの場合
タイミングをずらす為に、小さな何かを起こして救っていただいている
気づかないことも多いけれど、今回はそんな何かのような気がしました。
偶然かも知れないけれど、公園へ向かう行きと帰りの道がすごく混んでいて
どこかで事故があったようです、この災いを避けるためだったかも。
めちゃくちゃ派手に「すっころび」捻ったはずの足は
今もほとんど痛みなど無くて、それがとても不思議です。
あれだけコケたら、捻挫とかもっと痛い状態になってそうなのに
なんともない、これは転ぶことで
なにかを気をつけるように、というサインか
または、厄災のタイミングを外すための
高次元の存在が救ってくれた、そう感じています。
周りの人達が振り返って、目がまん丸になってこちらを見ていた恥ずかしい出来事なので、すごくツイてないようですが
大難を小難にしていただいた、ありがたい、と振り返ります。
ちょっとツイてない、なぁと思うことがあっても
後で思い返すと、あのおかげて助かった、ということは
誰にでもあって、そのことに気づくか気づかないか、です。
ですから、もし小さな不幸があっても
あまり落ち込まずに、厄を祓った、と考えて過ごすといいですね。
今日捻ったのは右足首で、もし捻挫など重い状態だったら
歩けないのもあるし、車の運転も出来なくなって
どこにも行けない、ものすごーく困った状態になります。
それが無かっただけでも、とてもありがたいですし
いつも守護していただく多くの存在に感謝しています。
ちなみに私は出掛ける時はいつも神社のお守りを持っていきます。
家を出る前に手を合わせ(お守りを挟み)
ご縁をいただいてる、お守りの神社の神様を心に思い
無事に過ごせますように、とお願いしてから出掛けます。
そして帰って来たら、またお守りを手に合わせて
無事に帰って来ました、ありがとうございます、とお礼を言います。
こうしていると、心が安定していつも神様と繋がる気がして
安心して出掛けることが出来るので
皆さんもお好きな神社やお寺のお守りを持って過ごされると
なにかの時に緊急のSOSが届きやすくなりますし
自分自身の気持ちが安定するのでおすすめです。


