こんにちは蓮花です。

 

今朝はだいぶ暖かくなりました、

これくらいなら体も楽で過ごしやすいですね。


今日は母の診察の付き添いでもの忘れ外来に行って来ました。


診察に行くのをずっと嫌がってるので、今後のことなど先生と相談します。


 



 

 
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母のもの忘れの症状は以前よりは少なくなっています。

時々「え!」と驚く発言はありますが

年末には兄に電話をして「今年は家に来ないけど元気?」と聞いていて

お正月とお盆と2回は会ってるのに覚えてなくて、ドン引きしました、汗



歳を取るとそれくらいのことはあると母は言います、私もかなり慣れてきて深く考えるのは止めました。


認知症なのか?加齢によるもの忘れなのか?

どちらにせよ、この薬を飲んだら治ります、というものは無くて、上手く付き合って行かないと仕方ない、と思うようにもなりました。


私が辛いのは、母が嫌がる病院に連れていくことや、そのことで母がものすごく私を恨んでいることです。


良かれと思うことでも、本人が恨むほとに嫌がるなら、それは正解なんだろうか?

もう行くのを辞めようか、と浮かんでも来ます。



将来どうなるかは分からないけれど、もう手放して、あとは天に任せようかとも思います。



ああなって欲しい、や
こうしてあげたい、は

私の希望である意味「執着」だから

誰かに対する執着は捨てる


人を縛るのは止めたいです。



何もしないで認知症が重くなったとしたら、どうしてあの時何もしなかったのか?と悔やむだろう

だから1度は病院て診察して貰いたい

その希望は通ったから、あとは流れに任せるつもりです。


こういう気持ちは家族の間で
親でも子供でもあるかな、と思います。



どんな間柄であっても
どれだけ親しい人であっても


自分の思うようには出来ないので
コントロールはせず


お互いにとって良い方向に行くよう願うだけなんです。


 



今回のことで気づいたのは

「執着心を無くす」です。


家族だけてなく、友人関係でも知人でも

親しくなってくると、自分のエゴが出て

その人が自分の思うのと違う何かをすると違和感があり何で?と不快に感じる

こうあって欲しいという、執着心があるからなんです。


私自身も友人から、変わったことで責められ「前の方が良かった」と言われたことがあります


そうは言われても、今の私はこの私なんで

前の私には戻れないのです。


誰かの望に沿って生きることは出来ない。


 
 




もともとは自由であった魂

自由になることは
忘れていた幸せを思い出すこと

そう思うと難しくない

執着心は要らない



人を縛らず、人に縛られず

そして

自分で自分を縛ることなく

誰もが自由に生きれはいい

そうある人がたくさんになるようと

今日の気づいたお話しになります照れ
 
★ネガティブをポジティブへ転換する
 
★カルマを浄化する癒しとなる

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