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すくらんぶるアートヴィレッジ

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「パプリカ」の歌詞に「影法師」が登場したので・・・
★「影法師(かげぼうし)」は、太陽や★月の光によって地面や壁に映し出される人の影を意味する言葉です。単なる「影」とは違い、やや詩的・情緒的なニュアンスを持って使われることが多く、文学作品や和歌、昔話などにも登場します。現代で日常的に使うことは少なくなっていますが、「夕暮れの道に長く伸びる影法師」といった形で、人の存在や気配をやわらかく表現するときに用いられます。また、「影法師」の語感にはどこか懐かしさ・哀愁・余韻があり、単なる物理現象を超えた“人の気配”や“思い出”を表すような文学的な使い方も魅力のひとつです。
★恋すれば我が身は影となりにけりさりとて人に添はぬものゆゑ(古今528)
★よるべなみ身をこそ遠くへだてつれ心は君が影となりにき(古今619)
★曇り日の影としなれる我なれば目にこそ見えね身をばはなれず(古今728)
・・・古今和歌集には「影」という表現が多く見受けられました。古典日本語の「影」は、現代日本語の「影・光・姿・記憶」など、★意味が多義的な言葉です。私の多面作品にも多義的な?「影」が生じます。見て下さる方々に楽しんでいただけることを期待しています。

​​​​​​《2025浄厳院への道(56)》「鐘楼」一層目、土間を「遺跡発掘調査現場」に見立て構成する方向で様々なオブジェを準備★「サビ缶と蝶」も登場する・・・遺跡や古墳等を巡る中で最もココロ奪われたのは★「大津皇子」にまつわる話である。
★奥本大三郎
https://fabre.jp/message.html
1944年★大阪府生まれ。仏文学者。埼玉大学教養学部教授。昆虫収集家として知られ、自宅にファーブル昆虫館(「虫の詩人の館」)を開館。2010年より★大阪芸術大学文芸学科教授。2014年退職。1991年より2010年まで日本昆虫協会会長。2002年より日本アンリ・ファーブル会理事長、ファーブル昆虫館「虫の詩人の館」館長。全10巻20冊『完訳ファーブル昆虫記』(集英社)に取り組む。2017年、完訳で菊池寛賞。★養老孟司★池田清彦とは昆虫採集の趣味を通じて親交があり、鼎談や共著書がある。
★ファーブル昆虫館 「虫の詩人の館」開館/土、日13:00 ~ 17:00
113-0022東京都文京区千駄木5-46-6/03-5815-6464(開館時間のみ)
★「蝶と死の影」奥本大三郎/「ひととき」2009年8月号より
https://wedge.ismedia.jp/list/hitotoki
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/456
私が子供の時からずっと眺め親しんできた蝶の図鑑は、横山光夫著の『原色日本蝶類図鑑』である。その★ギフチョウの項には、 「……3月末から羽化し5月初旬におよぶ。関西では4月10日頃が最盛期のようである」と書かれていた。アゲハとしては小形の、黄と黒の縞模様に赤や青の紋のあるこの蝶に、子供の私はどれほど憧れたことか。中1になって、どうしてもこれを採ろうと思った。産地は★二上山だという。しかし「無風晴天の日の午前中」に、食草カンアオイのある疎林から散りゆく花びらのように舞いだすのだが、「午後は高く、しかも速く飛びたつ習性があるので捕え難い」とも書いてある。天候の変わりやすい春先の「無風晴天の日」で、学校があるから日曜でなければならない。そううまく条件がそろうだろうかと、私は冬の間からやきもきした。二上山に登るには★近鉄南大阪線の上ノ太子とか二上山とか当麻寺(たいまでら)とかどこで降りてもいい、というのだが、ギフチョウに逢えるのはどの駅からのルートだろうか、と私は大いに悩んだ。それまで長い病気をしていたので一人で遠くまで電車に乗ったことがない。心配した母がついて来てくれることになった。精いっぱい早起きしたつもりだが、母の仕度もあって、二上山の駅に着いた時はもう午後の1時をまわっていた。山の方に歩いて行くと、向こうから捕虫網を持った大学生風の人が来た。同じく捕虫網を持ったこちらの姿を見て、「やあ、3頭ほど採りましたよ」と言い、三角紙に包んだギフチョウを見せてくれた。生きたギフチョウは薄いパラフィン紙の中で身をもがき、肢を動かしてシャリシャリという音をたてた。路は登り坂になり、杉の疎林になったが蝶の姿はない。長い苦しい登山を続けていると、小さな神社のようなものがあった。★「大津皇子さんのお墓やわ」と母が言った。24歳の皇子は天武天皇の死後、謀反のかどで死を賜ったという。ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴くかもをけふのみ見てや雲がくりなむ(大津皇子 巻3─416)池の面に鳴き騒ぐ生命力に満ちた鴨。それを見る自分は心ならずも死なねばならない。少年の私に死のイメージをくっきりと教えたのはまさにこの歌である。

「ムシムシ工作大集合」7/27~28の2日間かかって搬入展示~へろへろになりながらなんとか★7/29(火)オープンに間に合わせました。今回で最後「ファィナル」です!猛暑・遠方ではございますが、ぜひお子様連れでご覧ください。「ムシムシ工作」お持ち帰りいただけますよ~

実は毎日(朝)ギターを弾いています、「パプリカ」1曲だけです。
★「パプリカ」は2020年東京オリンピック・パラリンピックのNHK応援ソングプロジェクトとして米津玄師さん作詞作曲した楽曲で、歌っているのがFoorin(フーリン)小学生5人グループです。花言葉は「同情、哀れみ、君を忘れない」などがあるようですが、「可愛いじゃないですか?パプリカって。パプリカは語感もいいし、見た目もすごい赤かったり黄色かったりして、鮮やかな色であって。直接的な意味はないんですけど、なんかわからないけどパプリカって気持ちいいよね?って。それがあの3分間の音楽の中で、ものすごく気持ちよく鳴ってくれていたら、俺はそれでいいと思っていて。」(談:米津玄師)しかし、単なる響き以上の象徴性を持っていることは明らかです。
「雨に燻り★月は陰り 木陰で泣いていたのは誰 一人一人 慰めるように 誰かが呼んでいる」
「喜びを数えたら あなたでいっぱい 帰り道を照らしたのは 思いでの★影ぼうし」
「かかと弾ませこの指とまれ」
誰もが自由に解釈し、自分自身の経験と重ね合わせることができる。それこそが『パプリカ』の最大の魅力であり、時代を超えて愛される理由のひとつなのかもしれません。
★パプリカ( paprika)はナス科の多年草であるトウガラシ属トウガラシの栽培品種の一つです。熱帯アメリカ原産のトウガラシのなかまで、コロンブスによってヨーロッパへ持ち帰られた。果皮はやや硬いが、果肉は豊富な果汁を含み肉厚で糖度が高い。果実は加熱調理するほか生でも食べられる。栄養素の構成もピーマンに似るが、ビタミン様物質の一種であるビタミンPを含んでいる。ビタミンPはビタミンCを壊れにくくし、またその抗酸化作用の性質を高める効果をもつため、加熱調理してもビタミンCが失われにくい。
《おまけ》トヨタ・パブリカ(Publica)は、1961年に誕生した国産コンパクトカーの先駆けとして、日本の自動車史に名を刻んでいます。その誕生の背景には、戦後の経済成長とともに提唱された「国民車構想」がありました。「誰もがクルマを持てる時代を実現する」という国家的な願いに応えるべく、トヨタは当時としては革新的な技術や設計に挑戦し、開発に取り組んだのです。「パブリカ」という名前は、★「パブリックカー=国民の車」という意味を込めて名付けられました。パブリカはその後の大ヒット車「カローラ」へと進化し、日本のモータリゼーションを支える礎となります。また、その技術的なチャレンジやユーザーのニーズを取り込む姿勢は、現在のトヨタの企業姿勢にも引き継がれています。