NEW-SEUM(5)★モリソン万年筆&カフェ
639-2200 奈良県御所市1069番地/0745-63-1881
https://www.morisonfactory.co.jp/
奈良県御所市の駅からほど近くの町屋が「モリソン万年筆&カフェ」です。「モリソン万年筆」とは昭和中期に関西を中心に多くの人から愛された★国産万年筆のブランドです。その跡地でカフェ&バーとして生まれ変わった当店では昼にはカフェとして、夜にはバーとしてオープンしております。店内は当時の調度品や現在では販売をしていないモリソン万年筆などが飾られているので、その当時の雰囲気に想いを馳せながらお食事やお酒をお楽しみください。大正七年に谷川寅次郎により創設された「モリソン万年筆」。モダンなデザインと漢字が潰れずに書ける細いペン先に高い定評があったモリソンの万年筆は関西を中心に高い評価を得ていました。しかしボールペンの普及や、スーパーマーケットの増加による価格破壊により、自社製品のモリソン万年筆は製造を停止。職人も減ってしまったことでアフターケアも難しくなり在庫品の販売も停止となりました。現在は「モリソンファクトリー」と社名を変更し、他社製の万年筆やボールペンの販売を行っております。万年筆の持つ魅力を出来る限り多くの方に知っていただければと思いますので、是非一度どんな万年筆があるのか覗いていただければと思います。
https://www.makuake.com/project/morison-cafe/
御所市は市内中心部に伝統的な街並みを残す「御所まち」を保存し、地域振興につなげるため、★2027年度を目標に国による重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の選定を目指している。県内では既に今井町(橿原市)、宇陀松山(宇陀市)、五條新町(五條市)の3地区が選定されている。御所まちは東西の両地区に分かれ、面積は計18ヘクタール。現在計約1000人の住民が居住している。いずれも16世紀中ごろに成立したと考えられ、西御所は江戸時代より商業の町として栄え、東御所は寺院を中心とする寺内町として整備された。商家など古い建築が現在も多数残っており、町割りや環濠(かんごう)の位置、道幅などは、江戸期の1742(寛保2)年に実施された検地による絵図で描かれたまま、ほとんど変わっていないのが特徴という。
NEW-SEUM(4)
大阪市最後の★「負の遺産」
https://www.ktv.jp/news/feature/250410-jewelry/
大阪市最後の「負の遺産」と呼ばれた巨大なガラス製ドームが、10年を超える「眠り」から覚めることになった。旧大阪市立海洋博物館「なにわの海の時空館」(大阪市住之江区)は、人工島の咲洲(さきしま)で市制100周年事業として総工費176億円をかけて★2000年にオープンした。海に浮かぶ直径70メートルのガラス製ドームの展示棟がシンボル。展示の目玉は全長約30メートルの木造船「浪華(なにわ)丸」だった。江戸時代の菱垣廻船(ひがきかいせん)を約10億円かけて精巧に復元したもので、専門家からは学術的な価値が高いと評価された。当初は年間60万人の来館を見込んだが、開館初年度は約21万人。その後は10万人前後に低迷し、毎年2億~3億円の赤字が続き★13年3月に閉館した。閉館時の市長だった橋下徹氏は「よくこんなばかげた物を作ったものだ」と酷評した。バブル崩壊後に巨額の損失を出した大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC、現大阪府咲洲庁舎)や阿倍野再開発事業などとともに、市の「負の遺産」と称された。他の施設は売却などの処理が進んだが、時空館だけが残り、「最後の負の遺産」と呼ばれていた。市は利活用のため事業者を募ったものの2回失敗。3回目でなんとか事業者が決まり、★2024年12月に土地と建物を引き渡した。対岸の夢洲(ゆめしま)(大阪市此花区)では、25年大阪・関西万博のパビリオンや、カジノを含む統合型リゾート(IR)の建設が進む。これが追い風になって、かつての「時空館」もリニューアルが決まったが、資金面で不安を抱え、難航も予想される。
NEW-SEUM(2)
★2025年3月16日
昭和を代表する歌手の故・村田英雄(本名・梶山勇)さんの功績を紹介した郷里の■「村田英雄記念館」(佐賀県唐津市相知町相知)が2025年3月16日に閉館した。村田さんは1929年、福岡県吉井町(現・うきは市)で浪曲師の息子に生まれ、3歳から相知町佐里(現・唐津市)で育った。4歳から少年浪曲師として活躍。作曲家の古賀政男に見いだされ、58年に29歳で歌手に。「無法松の一生」でデビューし、61年には「王将」が大ヒットした。2002年に73歳で亡くなった。記念館は旧相知町観光協会が町の補助金や寄付金など約1300万円かけ銀行跡を改装し04年に開館した。14日に閉館式があり、開館当時の会長だった都市右太雄(といちうたお)さん(75)は「町の職人さんは日当返上で、『やーると思えば、どこまでやるさ』と村田さんの歌(人生劇場)のフレーズを語りながらつくってくれた」と懐かしそうに振り返った。初年度は年間2万4千人が訪れるなど来館者は延べ11万4千人を超えたが、コロナ後は客足も戻らず、ここ数年、年間500人を割っていたという。1980年代、唐津市でのNHK「のど自慢」に出演したという元小学校教諭の佐伯清輝さん(79)は、ゲストだった村田さんから声をかけられたことが忘れられない。「たいしてうまくもないのに、ほめられた。『あんたは、よか先生になる』と。今でも私の心の宝。いつまでも思い、生きていきたい」と話した。その時歌った「皆の衆」を式の最後に参加者で歌い、閉館を惜しんだ。当時のレコードや衣装など300点余りの展示品があったが、一部は★相知交流文化センターに引き継がれる。
849-3218佐賀県唐津市相知町中山3600-8/0955-62-3111
https://www.city.karatsu.lg.jp/page/3801.html
http://karatsu-bunka.or.jp/sarai.html
★2023年3月30日
https://www.liberty.or.jp/cp_pf/index2023.html
公益財団法人■大阪人権博物館が所蔵している人権資料を大阪公立大学に寄贈する方針を発表しました。今後は大阪公立大学での人権資料の保管、展示、研究、教育における活用を予定しています。2023年4月から両者間で協議会を設置し、2025年度以降の実現を目途に調整を進めていくとしています。大阪人権博物館(リバティ大阪)を運営してきた同財団は、2022年の再開館を目指し、場所・運営の内容と方法等の検討を進めてきましたが、主に経済的な理由により、所蔵資料を将来にわたって保管・展示などへの活用が困難であったとしています。
★2025年4月24日
公益財団法人大阪人権博物館所蔵資料の移管に関する基本合意書に調印
https://www.upc-osaka.ac.jp/info/topics/entry-82271.html
■公立大学法人大阪は、公益財団法人大阪人権博物館(以下、財団)との間で、財団が所蔵する資料(約3万点)を大阪公立大学に移管するための基本合意書を交わしました。当日は、櫻木 弘之学長と財団の石橋 武理事長が出席。また、渡邉 繁樹大阪府副知事に来賓として出席いただきました。櫻木学長からは「2022年8月、財団から本学に対して寄贈に関する提案をいただいて以来、受け入れの条件などについて検討を進めてまいりました。所蔵されていた資料は大変貴重な資料であり、本学としても多角的に活用できるものです。また、財団におかれましては、資料の保管・活用に必要な資金としての寄附金を募る活動を全国的に展開され、目標額を達成されたことに心から敬意と感謝の意を表します。資料の意義を十分に踏まえ、教育・研究・社会貢献にしっかりと活用させていただきます」との挨拶がありました。
NEW-SEUM(3)
半世紀以上にわたってさまざまな人たちに親しまれてきた「堺能楽会館」(堺市堺区大浜北町)が年内で閉館する。昭和44年にビル内に完成した会館は本格的な能舞台を備えているが、耐震性の問題があり年内でビルを取り壊すことになった。能舞台を寄贈したいという館主の大澤徳平さん(92)は「市民のために生かしてほしい。私の命のあるうちに移築先を決めたい」と話している。始まりは昭和44年2月。江戸時代から続く造り酒屋だった大澤家が所有する土地に日本住宅公団(当時)と共同で、7階建ての店舗付き集合住宅を建設することになり、能楽好きだった一家はビルの一部に能舞台をつくることにした。大澤さんは「私たちきょうだい6人が観世流の謡曲を習っていて、最初は家族用の稽古場のつもりだった」と振り返る。しかし、母の美代さんは「堺の歴史にふさわしい本物をつくるべきだ」として、宮大工や能楽師を呼び寄せ、ビルの1階から3階を吹き抜けにした総ひのき造り、檜皮(ひわだ)ぶき、154席の本格的な能舞台を完成させた。約70世帯が入居する集合住宅の中にある能楽堂という珍しさもあり著名な演者が舞台に立ち、多くの愛好家が集まった。美代さんは能や狂言以外の公演を「そんなんするためにつくったんとちゃう」と嫌がったというが、大澤さんはクラシック音楽や津軽三味線などの演目も受け入れた。昭和63年には当時トップアイドルだった★少年隊がテレビ番組の生中継で歌ったこともあったという。大澤さんは「能舞台という文化財を★次世代につなぐために、いろいろな使われ方も必要」と理由を語る。完成から56年、多くの歴史が詰まった能楽会館だが、耐震性の問題でビルを取り壊すことになり、大澤さんは★今年いっぱいで閉館することを決めた。「寂しさはあるといえばあるが、それよりもバトンタッチしたい。母の遺志を継いでくれる人に託したい」と平成4年に88歳で亡くなった美代さんに思いをはせる。能舞台は★解体して移築することが可能だ。大澤さんは堺市への寄贈を希望しているが、移築費用だけで約1億円、その後の維持管理費なども必要となる。市文化課は「素晴らしい施設だが、寄贈を受けるのは難しい」としている。「かつては1200人収容の市民会館が満席になるほど、堺には能の愛好家が多かった」と懐かしむ大澤さん。自らの年齢を踏まえ「私の命のあるうちに移築先だけでも決めたい」と願っている。
https://www.instagram.com/sakai_nogaku_kaikan/




