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すくらんぶるアートヴィレッジ

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★ウクライナ/大阪・関西万博パビリオンで戦時下の生活の展示へ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250405/k10014770841000.html
★最も大切なものがお金で買えない場所。それが、大阪のEXPO 2025におけるウクライナ館のコンセプトです。2025年大阪万博は、160カ国以上が6ヶ月間にわたり、未来に向けたビジョンを何百万人もの来場者に披露する万博です。今年、ウクライナの実験的なパビリオンは、戦時中に民主主義的価値観を求めるためにウクライナが払っている犠牲を紹介しつつ、困難な状況にもかかわらずこのような価値観が社会と企業の両方の成長をどのように促進するかを追求することで、予想を覆します。
https://www.instagram.com/reel/DIvuzTUpTJ1/
https://gigazine.net/news/20250420-osaka-kansai-expo-ukraine/
パビリオンでは★「Not for Sale(非売品)」というテーマで、自国の自由や尊厳の重要性や、レジリエンス(回復力)を示す国民の生活ぶりなどを紹介している。モルドバは、出展を通じて、観光客誘致などの経済効果に期待している。ウクライナパビリオン開所式には、同国の万博コミッショナーゼネラルで、経済省のテチアナ・ベレジナ次官が出席した。同次官はテーマの「Not for Sale」について、「ほとんど全てのものに値段がつくこの世界には、売ってはならないものがあるという明確なメッセージを発信している。生きる価値観、それは自由、尊厳、レジリエンスであり、これらは未来の社会の礎となるべきだ。ウクライナはこれらの価値観を言葉ではなく、行動で示している」と述べた。パビリオンはウクライナ国旗の色の黄色と青で構成し、18種類の青のオブジェを置いている。入場時に貸し出される端末でオブジェに貼られたバーコードを読み取ると、端末の画面上で、そのオブジェにまつわる現在の戦時下での国民の生活ぶりや取り組みなどを映像で見ることができる。困難な状況下でも活動を継続していることを象徴するウクライナ主要企業のオブジェや映像も展示している。
https://www.jetro.go.jp/biznews/2025/04/24f146319005c097.html

アートを拾い集めるということは・・・戦後80年
★河野外務大臣が日本の外相として初めてパラオ共和国を訪問した。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_007688.html
パラオ本島を訪れた外相は、約60キロ南西に浮かぶペリリュー島を慰霊している。★2016年には、戦後70年の節目に天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)もこの島を慰霊のために訪問されている。この島では太平洋戦争の中でもまれにみる激戦が繰り広げられた。
https://primer.ph/blog/genre/japanese-emperor-philippines/
パラオを訪問した河野外相は、パラオ政府に遺骨収集で協力を要請した。2016年に成立した戦没者遺骨収集促進法は、遺骨収集を「国家の責務」と定め、24年までを収集の集中実施期間としている。早坂さんによると、多くの遺骨が眠るとみられる地下陣地には、なお不発弾の処理が終わらずに立ち入りできない壕も多い。シベリアとは違い、高温多湿のぺリリューでは遺骨の風化が早い。埋葬地を知る人の記憶や記録も次第に失われつつある。米国はすでに当地でのすべての米兵の遺骨収集を終えている。日本も急がなければならない。74日の死闘で散った2000人以上の日本兵が、74年以上も祖国に帰る日を待っている。
★「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞
マグサイサイ賞は、飛行機事故で在任中に死去した第7代フィリピン大統領のラモン・マグサイサイ氏を記念して1957年に創設されました。アジアの平和や発展に尽くした個人や団体に贈られ、「アジアのノーベル賞」とも呼ばれています。マグサイサイ賞の理事会は、宮崎監督の受賞理由について「アニメで人間の状況を照らし出すことに生涯をかけた、才能ある模範的な芸術家」と称えました。
宮崎監督が受賞メッセージで訴えた民間人殺害は「マニラ大虐殺」とも呼ばれています。Dialogue for Peopleによると、日本軍は1941年12月8日の真珠湾への攻撃後、アメリカ統治下のフィリピンに上陸。1942年1月にはマニラを無血占領しました。その後、太平洋戦争末期にフィリピン奪回を目指すアメリカ軍がマニラに攻め込み、日本軍は抵抗しました。これが1945年2月3日から1カ月間行われた、マニラ市街戦です。この日米の★戦いに巻き込まれて、マニラ市民10万人が亡くなったと言われています。

★宮崎駿監督のメッセージ全文
「私が初めてラモン・マグサイサイ賞について聞いたのは子どもの頃でした。確か学校の校庭で、先生が私に、そのような賞が作られたと教えてくれました。その名前は印象に残り、それ以来ずっと私の心の中に残っています。この賞をいただいて、改めてフィリピンのことを思いました」
「2016年、天皇皇后両陛下は第二次世界大戦中に市街戦の舞台となったマニラを訪問し、命を落とした数千人に哀悼の意を表しました。当時、日本人は多くのひどいことをしました。彼らは多くの民間人を殺害しました。日本人はこのことを忘れてはならないのです。その事実はいつまでも残ります」
「このような歴史を踏まえ、私はフィリピンからラモン・マグサイサイ賞を厳粛に受け取ります。どうもありがとうございます」

全体的には映像やCGが多く用いられますが、そんな中にあってアナログ的アートも拾い集めていきたいと思います。

「土嚢」に続いて「鉄カブト」「サビ缶」+★「蝶」のイメージ図。「蝶」は、遙か昔★「ひむし」といわれていました。ひむしの「ひ」は魂や生命力を。漢字では「霊」と書くこともあります。古くから日本では、人の体から「ひ」が無くなることが死を意味しています。人の体から抜け出たひは、天へと飛んでいくのに、蝶の姿になると考えられていました。そのため、ひむしは、先祖の霊の化身・知人の魂の化身・その場所や人にゆかりのある★魂の化身として、魂の運び手となる蝶を殺すことは御法度だったのです。蝶は古くから日本でも縁起がいいものとされ、江戸時代には武士の間でも吉兆のシンボルとなっていました。蝶は成長していく過程から、「不死」や「不滅」の意味を持つ神聖な生き物。そのため、家紋にも蝶を図柄としたものがあります。家紋は一族の繁栄を願う非常に重要なものです。有名なのが、平氏一文の「向い蝶」です。その名の通り、向かい合った蝶がデザインされた家紋で、平清盛の父が朝廷より賜った鎧に向い蝶の文様があったことから、平氏の代表的な家紋になったといわれています。

アートを求めて右往左往~「夜の地球」に出会ってハッと我に返る!大切なこと、忘れてはならないこと、心に刻んでおかなければならないこと~「EXPO」が単なるお祭りではないことを噛みしめ(ふみしめ)て会場を巡りたい。
https://www.expo2025.or.jp/news/news-20250317-02/
輪島塗大型地球儀「夜の地球 Earth at Night」は、直径1mにもおよぶ大迫力の地球儀で、漆黒と金の発色の繊細な美しさが特徴の輪島塗の代表的な作品です。2024年1月1日の能登半島地震でも奇跡的に無傷であった★「復興シンボルの一つ」であり、「対立や分断を超えて他者に思いを巡らすことの意味を世界に向け伝えていきたい」との願いも込められています。作品名の「夜の地球 Earth at Night」は、展示施設の名称としても使用します。