すくらんぶるアートヴィレッジ -10ページ目

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

私の制作を支えてくれている様々な「素材・廃材」、浄厳院への道においても同様で・・・参考になるというか?考えさせてくれる展覧会(作家)に出会いました。
Vol.3 ESSAP(enoco short stay art program)成果展/易雅静「花園の隅にしばらく生物はいない」
2025年7月4日(金)~7月27日(日)/大阪府立江之子島文化芸術創造センター4階ルーム2、ルーム3
https://www.enokojima-art.jp/yiyajing
6月に滞在制作を実施した易雅静(いがせい) による成果展を開催します。易雅静は、私たちが★日常的に目にする工業製品や透明な素材を用い、風景や自然の記憶をたどるような作品を制作しています。レジデンス制作では、展示空間の特性やその場の雰囲気に呼応した、新たな空間体験を創出することをめざしています。また、地域の歴史や自然環境を調査し、日常素材を通して土地に根ざす生活様式や、自然と都市との関係性を探求しています。本展で易雅静は、大阪という都市を丁寧に観察し、ワークショップ参加者とともに回収されたプラスチックごみなどの身近な素材を用いて、各々の「庭」のイメージを再構築しました。制作の前段階では、公園や庭園、街の景観を歩いて観察し、モチーフを見出すことからはじめ、素材にまつわる記憶や個人的な経験を共有しながら、「見立て」や「風景」との関係性を再考する場を設けました。★見過ごされがちな素材に宿る美しさや記憶を掘り起こし、自然環境や文化的背景を作品に織り込むことで、鑑賞者に新たな視点と想像の余地をもたらすことができれば幸いです。

★易雅静/いがせい(Yi Yajing)
https://www.yi-yajing.com/
1990年中国広西生まれ。2014年中国西安美術大学卒業。2014年に来日後、2018★多摩美術大学大学院環境デザイン学科 修士過程修了。現在、日本と中国を拠点に活動している。近年の展覧会に、個展「BankART Under35」BankART KAIKO /横浜(2024)、個展「一片の荒野を無駄に幻想する」太和芸術空間 /中国・北京(2023)、新潟市芸術創造村・国際青少年センター(ゆいぽーと)アーティスト・イン・レジデンス/新潟(2024)、「上大岡で黄金町バザール~アートの種が風に飛んで花を開く~」黄金町八番館/横浜(2024)、DSA日本空間デザイン賞銀賞受賞、日本空間デザイン協会特別賞・企画研究賞(2018)など。

2025夏「彫刻展」7/11(金)~22(火)開催中です。インスタグラムで紹介している最新の「アート・スリッポン」はオフィス内に保管展示していますので、実際に試し履きしていただくことができます。希望日などをDMでご連絡ください。

★雪月花(せつげつか、せつげっか)は、★白居易の詩「寄殷協律」の一句「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」による語。雪・月・花という自然の美しい景物をさす語である。
五歳優遊同過日 一朝消散似浮雲
琴詩酒伴皆抛我 雪月花時最憶君
幾度聽鶏歌白日 亦曾騎馬詠紅裙
呉娘暮雨蕭蕭曲 自別江南更不聞
— 白居易、寄殷協律
★「雪月花」は日本の詩歌においては、これら三種を一度に取り合わせたものをさすものとしてしばしば用いられる。日本語における初出は『万葉集』巻18に残る★大伴家持の歌である。「宴席詠雪月梅花歌一首」と題して「雪の上に 照れる月夜に 梅の花 折りて贈らむ 愛しき子もがも」(4134)の歌がある。すなわち月の明るい折に、雪と花をあわせたものを提示するという遊戯的な設定を和歌の題材としたものである。この取り合わせは『枕草子』の一節に★村上天皇の挿話として見え、日本の宮廷文化においては、しばしば珍しい取り合わせとして、また「最君憶」(最も君を憶う)との連想において好まれた。「雪月花時最憶君」は『和漢朗詠集』交友の部に前句とともに採られており、先に触れた村上天皇の挿話もこの連想を下敷きにしたものである。なお、大伴家持の歌は749年・32歳の作で、白居易の詩は825年・54歳頃の作と考えられている。
音読語としては「雪月花」が用いられることが多いが、★和語としては「月雪花」(つきゆきはな)の順で用いることが伝統的。こちらのほうが秋→冬→春という季節の順に合っており、後の江戸文学にもこの配列が見られる。
★1914年の宝塚歌劇団の組の花・月・雪という組分けもここから来ています。宝塚で5組並べるときは「花・月・雪・星・宙」の順番が基本です。
★なお、この雪月花に「風」を加えた「雪月風花(せつげつふうか)」という語も存在し、4つの文字それぞれが「冬(雪)」、「秋(月)」、「夏(風)」、「春(花)」の四季に対応している。

・・・村野藤吾さんと「月」との関係は、やはり「和風建築」にありそうです。有名な★ウェスティン都ホテル京都/数寄屋風別館「佳水園」にある最上級のお部屋は★「月7」です。
京都市東山区粟田口華頂町三条けあげ/075-771-7111
客室数:12室/料金:ひとり¥100,000~(2名1室利用時、朝食つき、税サ別)
https://www.miyakohotels.ne.jp/westinkyoto/stay/kasuien/
佳水園は村野藤吾氏の設計により、1959年に竣工。「近代数寄屋」の傑作と呼ぶにふさわしい建築物だ。敷地内にある「葵殿庭園」と佳水園の「佳水園庭園」は、ともに京都市文化財(名勝)に登録されている。舗ホテル「ウェスティン都ホテル京都」は2020年で創業130周年を迎えた。今回のリニューアルは、建築家・村野藤吾氏による優美な設計を受け継ぎつつ、「The Queen Of Elegance」をコンセプトに行われた。客室数が従来の499室から、約半分となる266室となり、客室ひとつひとつが広くなったという。
https://www.daiwahouse.co.jp/tryie/and/vol102/sp.html
「佳水園庭園」は京都市文化財(名勝)にも登録されており、大正時代の元首相、清浦奎吾(きようらけいご)の別荘「喜寿庵」のために造られたものでした。華頂山の岩盤の荒々しさと、琵琶湖疏水を利用した滝の優しいせせらぎが理想郷への旅路を描いた山水画のよう。この庭は、7代目小川治兵衛の息子、小川白楊(はくよう)の手によって生み出されました。喜寿庵の跡地に宿泊施設の設計を依頼された村野藤吾は、北側に「白砂の中庭」を作庭しました。醍醐寺三宝院を模したこの庭には、瓢箪(ひょうたん)と杯(さかずき)をモチーフとする緑の築山が浮かびます。これは、白楊の手による岩盤を流れる滝を「酒」に見立てたもので、村野の先人に対する敬意と文人墨客(ぶんじんぼっかく)のもつ遊び心が感じ取れるといわれています。緩やかな勾配のある地形に寄り添いながら複雑に配置された棟、リズミカルに重ねられた銅板葺のシャープな屋根。佳水園の外観には村野建築の特徴が随所に見られます。佳水園庭園の岩山の上に建つ、★「月7」と呼ばれる平屋づくりの客室からは、白砂の中庭や浮遊感のある庇を、古都・京都の街並みとともに見渡すことができます。
https://www.nakam.info/jp/works/kasuien/
その他の客室もこの仙郷の山肌を登る庭園的道行の中に配されているが、客室内部は六畳間に縁側がある一般的な旅館のような間取をしており、小割りかつ極めて簡素な作りで、意匠的にも村野の色が強く感じられるものではなかった。庭と外観、共用部に関しては、ホテル側としても設計当時の意匠の維持・復原が大前提であった。しかし、客室内に関しては本館改修計画と同様、耐震改修を施した上で 2 室を 1 室に統合し、充実したバス空間をもつベッドスタイルへと拡充することが求められた。そうなるともはや残し得るのは一部の柱や床の間、欄間の意匠、障子だけであった。一部の柱は切り落として継ぎ、既存の聚楽壁は構造用合板を増し張りする必要があった。また、天井も火打梁の施工や、空調機を天井内に設置しブリーズラインを設けるために全落としとなった。文化的価値の高い建築の改修は、保存と再生箇所を明確にわかるように区分することが流儀とされている。しかし上述したように、客室に関しては、それが極めて難しい状況であった。そこで、★「月7」のみ間取りを維持し、それ以外の客室は全面的な変更を行った。お部屋には★「月」「雪」「花」「東山」の名前がついている。

《月の調べ》7
「松柏美術館」館長であった日本画家★上村淳之は、令和6年11月1日に91歳で逝去されました。
https://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/shohaku/
京都市立芸術大学在学中から、花鳥画を通して東洋独自の絵画空間を追求し続けた上村淳之の軌跡を紹介する追悼展を2期に分けて開催します。上村淳之前館長が逝去されて以来館長不在となっていましたが、本年7月7日付で日本画家★水野收(みずのおさむ)氏が新館長に就任することになりました。
https://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/shohaku/introduce/kyusaekitei.html
★旧佐伯邸/奈良市登美ヶ丘の住宅地の一画、大渕池畔に故佐伯勇(近畿日本鉄道株式会社名誉会長)の旧邸があり、平成6(1994)年にその敷地内に松伯美術館が開館しました。この美術館に隣接する旧佐伯邸は、昭和を代表する巨匠建築家★村野藤吾が設計した数寄屋建築の手法を取り入れた近代和風住宅で、昭和40(1965)年に建てられました。村野藤吾が設計した住宅建築として、また村野藤吾ならではの意匠を見ることができる現存する数少ない建築物として、その文化的価値は非常に高く、加えて内部見学可能な唯一の建築物としても貴重です。
★村野藤吾
https://www.muranodesign.jp/tmos/togo_top.html
村野藤吾は佐賀県東松浦郡満島村(現・唐津市)に生まれ、早稲田大学を卒業後、渡辺節建築事務所をへて1929年に村野建築事務所を開設し、数々の名建築を手がけた日本を代表する建築家です。生涯でおもに5つの博物館・美術館・展示施設に携わり、それらは村野建築の代表作となっています。戦後の1953年にフジカワ画廊を手掛け、1970年には最初の美術館である兵庫県立近代美術館(現・兵庫県立美術館原田の森ギャラリー)を設計しました。1975年の小諸市立小山敬三美術館に続き、1979年に八ヶ岳美術館が竣工されました。のちの1983年には谷村美術館が竣工されています。

・・・村野藤吾さんと「月」の関係は???​​​​​​