★織田信長の「天下布武」朱印状 100年ぶり発見 滋賀・百済寺
滋賀県★百済寺で100年ぶりに見つかったのは、織田信長の「朱印状」です。 所在不明になっていましたが、寺の住職が木箱に入った書状を見つけ、本物と判明しました。 書面には、天下統一を目指した信長の代名詞「天下布武」の朱印があります。 信長が勢力を拡大し始めた初期に書かれた貴重なもので、百済寺を祈りを捧げる特別な場所に指定し、財産と土地を保障すると厚遇する内容が書かれています。 東近江市 森の文化推進課 明日一史さん 「上洛(じょうらく)するまでに背後から裏切られてはだめですので、有力な寺院・神社であったり大きな集落にこういうもの(朱印状)を出しています」 百済寺は朱印状が書かれたわずか5年後、その信長の手で焼き討ちされてしまいますが、書状は無事でした。 (「グッド!モーニング」2025年5月1日放送分より)
★天台宗・釈迦山「百済寺」
527-0144滋賀県東近江市百済寺町323/0749-46-1036
http://157.205.176.198/
百済寺は、かつて織田信長によって焼討されました。信長の焼討と言えば比叡山が有名ですが、信長と敵対していた六角氏に食糧米を送るなどの行為が謀反と判断され、この百済寺も焼討となったのです。
石垣や石仏は安土城の築城に利用されるため運び出され、近江湖東文化の一大中心地と言われた百済寺は織田信長の手によって壊滅します。「百済寺は山城の最後の形、安土城は平城の最初の形」と言われ、まさに歴史の大きな変革期を通過した寺でもありました。
★奈良時代最大級の木造仏/滋賀・百済寺の秘仏が重文へ
詳しい調査がなされず謎の秘仏だった観音像が、現存例の少ない奈良時代の木造仏だったことがわかり、国の重要文化財に指定される見通しとなった。湖東三山の名刹(めいさつ)・百済寺(ひゃくさいじ)(滋賀県東近江市百済寺町)の木造十一面観音立像(りゅうぞう)。国の文化審議会が2021年10月15日、文部科学相に答申した。
・・・さて信長と言えば「茶器」名物狩りが有名です。京での信長茶会の様子「御床に★晩鐘、三日月の御壺、違棚に置物、七台に白天目。内赤の盆につくもがみ。下には合子しめきり置かれ、おとごせの御釜。松島の御壺の御茶。」と名物が行列し、信長が『名物狩り』したものが活躍していることが分かります。
★「煙寺晩鐘」は中国★山水画の画題・瀟湘八景の中の一つ。厚い煙霧に包まれる中、日没後のかすかな光によって遠くの寺と樹木とが浮かび上がって見える様を描き出している。光と大気とを観る者に感じさせ、深い余韻を残す傑作である。画面左隅に「道有」の鑑蔵印を有し、足利義満の愛蔵品と知られる。義満以後、松永久秀、★織田信長、徳川家康、紀州徳川家、その後加州前田家へと伝来した輝かしい由緒を誇っている。作者は南宋時代の画僧・牧谿と伝えられる。
https://www.hatakeyama-museum.org/collection/picture/000003.html
・・・「煙寺晩鐘」山水画において見事に「織田信長」と「茶器」、「浄厳院」そして「鐘楼」が一体化するという偶然?いや必然!ますます作品イメージが深まってきました。