浄厳院の梵鐘銘(寛保元年★1741年)とあり、江戸中期で第8代将軍・徳川吉宗 (1716-1745)の頃です。残念ながら製作者については不明ですが、滋賀には有名な「鋳物師」がおられましたので・・・たぶんその方々が製作されたと考えられます。
★「愛荘町立歴史文化博物館」529-1202滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺878/0749-37-4500
https://www.town.aisho.shiga.jp/hakubutsukan/index.html
愛荘町内に残る梵鐘(釣り鐘)にスポットを当てた企画展「梵鐘と鋳造遺跡」が2011年1月同町立歴史文化博物館(金剛輪寺参道脇)で開かれた。 町内には、鎌倉時代に★河内鋳物師が作ったとされる金剛輪寺の梵鐘と、南北朝時代に★長村鋳物師が作った東漸寺の梵鐘が残り、中世に鋳造された二つの釣り鐘が現存してる。 鋳物師は、溶かした金属(鉄や銅など)を鋳型に流し込んで、鍋・釜などの生活用品や農具・武器・梵鐘・鰐口(わにぐち)などを造る人のことで、中世には、河内国丹南郡を本拠地にした「河内鋳物師」や、近江国愛知郡を本拠にした「長村鋳物師」が活躍していた。町内に残る両梵鐘に刻まれた銘文によると、金剛輪寺の釣り鐘(高さ一三八センチ、口径八二・二センチ)は、乾元二年(一三〇三)に河内鋳物師の手によって造られ、東漸寺の釣り鐘(高さ一一四・四センチ、口径六五・五センチ)は、康暦元年(一三七九)に長村鋳物師が鋳造したことが分かる。県内で鉄製品を作っていた遺跡は、約六十か所確認されているが、梵鐘を造っていた遺跡は四例しかない。飛鳥時代の木瓜原遺跡(草津市野路町)、奈良時代中期の鍛冶屋遺跡(甲賀市信楽町)、平安時代初頭の長尾遺跡(大津市滋賀里)、室町時代末期の軽野正境遺跡(愛荘町軽野)の四遺跡。企画展では、これらの遺跡から出土した須恵器、土師器、梵鐘鋳型、溶解炉壁、銅塊など約五十点が展示されているほか、梵鐘の作り方を製作道具を使って解説し、★金壽堂(東近江市長町)や★西澤梵鐘鋳造所(同市五個荘三俣町)に残る梵鐘の文字型などから、鋳造技術や工場の様子をうかがい知ることができる。
★「西澤梵鐘鋳造所」東近江市五個荘三俣町274
★「金寿堂(黄地耕造)」滋賀県東近江市長町273番地(旧湖東町)
★http://oumiwaza.shiga-saku.net/e253832.html
私の家の近くにあるお寺「勝光寺」の梵鐘に、平成16年11月21日西澤梵鐘鋳造所とありました!スゴ~イ