2025浄厳院への道(15) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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浄厳院の鐘楼は入母屋、本瓦葺、腰袴付きの本格的なもので、八幡の宮大工★高木家によって寛保2年(1741)に建てられたものです。切石三段積基壇の上に建つので高く感じさせます。腰袴の裾の広がりと、軒の出の深さが荘厳な感じを出しています。鐘楼は近江八幡市有形文化財に指定されています。この建物は、県内に珍しい袴腰付の大型鐘楼で、平面は一間3.67mの方形です。隅の鬼瓦銘(寛保2年★1742年)と梵鐘銘(寛保元年★1741年)の他に全体の様子から江戸時代中期、寛保2年に建てられたものと認められます。下層の袴腰、下見板が使われています。袴腰の上には長押が上層。柱は上端が絞られた円柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。組物は出組。台輪の上の中備えも、詰組として平三斗があります。縁側の欄干は、親柱に禅宗様の逆蓮がついています。軒裏は平行の二軒繁垂木。打たれ、釘隠しがついています。長押の上からは腰組が出て、上層の縁側を受けて上層。破風板の拝みには蕪懸魚。左右の鰭は菊の意匠。妻飾りは虹梁と大瓶束が使われています。
・・・さて、「梵鐘」は誰が製作したのでしょうか?