ルイ・ヴィトン | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・ミナミ、ゆっくり御堂筋を北へ。

《三津寺》

542-0085大阪市中央区心斎橋筋2丁目7-12/06-6211-1982

https://mitsutera.jp

三津寺(みつてら)は、744年(天平16年)に創建された真言宗御室派の準別格本山で、地元では「ミナミの観音さん」「みってらさん」の愛称で親しまれています。 現在の本堂は、1808年(文化5年)に再建された建物であり、保存をしながら15階建てビルに生まれ変わることになります。

★「三津寺ホテルプロジェクト」

東京建物は、大阪市中央区の御堂筋沿いにある三津寺の本堂を残しつつ、その上空などにホテルや店舗、寺院からなる地上15階、地下1階、高さ59.95m、延べ面積9,516㎡の複合ビルを新設します。 設計・施工は大成建設。 2023年6月に竣工する予定です。

《NEWS》2021.2.15なんば経済新聞より

ミナミにルイ・ヴィトンのギャラリー現代アートに特化

ファッションブランド「ルイ・ヴィトン」のアートスペース「エスパス ルイ・ヴィトン大阪」が2月10日、「ルイ・ヴィトン メゾン 大阪御堂筋」(大阪市中央区心斎橋筋2)5階にオープンした。「ルイ・ヴィトン メゾン 大阪御堂筋」は2020年2月に御堂筋沿いにオープンした施設で、江戸時代の菱垣廻船(ひがきかいせん)から着想を得た外観が特徴的。7階建てで、カフェやレストランを併設する。「エスパス ルイ・ヴィトン」は同ブランドが所蔵する作品を展示するアートスペース。2011(平成23)年に国内1号店として「ルイ・ヴィトン表参道」の7階にオープン。「エスパス ルイ・ヴィトン大阪」は国内2号店で西日本初となる。オープンに合わせて企画展「Fragments of a landscape(ある風景の断片)」を開催。1950年代から画家として活動するジョアン・ミッチェルと、1970年代初めにミニマルアート運動をけん引した彫刻家のカール・アンドレさんの作品を紹介する。作品点数は計3点。開館時間は12時~20時。企画展は7月4日まで。

 

・・・縁のないところだと思っていたルイ・ヴィトン、2度目の訪問です。

《アートスペース「エスパス ルイ・ヴィトン」》

542-0085大阪市中央区心斎橋筋2-8-16

ルイ・ヴィトンメゾン大阪御堂筋 5F/0120-00-1854

https://www.espacelouisvuittontokyo.com/

https://www.espacelouisvuittontokyo.com/ja/osaka

アートスペース「エスパス ルイ・ヴィトン」が大阪に、御堂筋の日本最大店舗に2021年2月オープン。エスパス ルイ・ヴィトン大阪は2011年にオープンしたエスパス ルイ・ヴィトン東京に続くアートスペースで、重要な20世紀の作品の紹介と現代アートに特化した芸術機関「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」の所蔵作品を展示する「Hors-les-murs (壁を越えて)」プログラムの一環として、国際的なプロジェクトを通じてより多くの人々に所蔵作品に触れる機会を提供する。ルイ・ヴィトン メゾン 大阪御堂筋は日本最大の店舗として2021年1月にオープンした。売り場は7階建てのビルの1階から4階で、建築家★青木淳が手掛けたファサードが特徴。7階には「スガラボ(SUGALABO)」のオーナーシェフ須賀洋介が手掛けるカフェ「ル・カフェ・ヴィー(LE CAFE V)」と、紹介制レストラン「スガラボ ヴィー(SUGALABO V)」が出店している。

【ゲルハルト・リヒター】

https://richter.exhibit.jp/

1932年に東部ドイツ、ドレスデンに生まれる。ベルリンの壁が作られる直前の1961年に西ドイツへ移住し、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学ぶ。コンラート・フィッシャーやジグマー・ポルケと友情を築き、「資本主義リアリズム」と呼ばれる運動の中で独自の表現を発表し、その名が知られるようになる。その後、イメージの成立条件を問い直す多岐にわたる作品制作を通じて、ドイツ国内のみならず、世界で評価されるようになった。これまでポンピドゥー・センター(パリ、1977年)、テート・ギャラリー(ロンドン、1991年)、ニューヨーク近代美術館(2002年)、テート・モダン(ロンドン、2011年)、メトロポリタン美術館(2020年)など世界の名だたる美術館で個展を開催。現代で最も重要な画家としてその地位を不動のものとする。

幅2メートル、高さ2.6メートルの作品4点で構成される巨大な抽象画《ビルケナウ》。展覧会出品作の中でも最大級の絵画作品の1つであり、作家自身にとって重要な位置を占める作品です。この作品の下地になったのは、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で囚人が隠し撮りしたとされる4点の写真。ガス室で殺された仲間の死体を焼却する作業に従事していたゾンダーコマンド(特殊部隊)の一人が、密かに収容所内部の様子を撮影し、外部へ持ち出したものです。リヒターはこの写真のイメージをキャンバスに描き移したのち、絵の具で塗りつぶして、この抽象絵画を作り上げました。リヒターの心をずっと捉え続けながら、直接的にはなかなか取り組むことのできなかった「ホロコースト」という積年の関心事を主題に、2014年、ついにリヒターはこの大作を完成させました。この近年の重要作品と目されている作品が、これらとしばしば組み合わせて展示される鏡、絵画と同寸法の写真作品とともに、この度日本で初めて公開されます。

 

・・・リヒターをモデルとした映画「ある画家の数奇な運命」を観る機会がなく、仕方なくOVDを購入・視聴したわけですが、今回「ナマ」作品が観れるということでやってきました。

 

《参考》ゲルハルト・リヒターをモデルにした映画『ある画家の数奇な運命』激動のドイツに生きた若き芸術家の半生

https://www.neverlookaway-movie.jp/

激動の時代のドイツを舞台に、“筆”1本で苦悩や悲しみを希望と喜びに変えていった若き美術家の物語。本作の主人公・クルトは、現代美術界の巨匠、ゲルハルト・リヒターをモデルに描かれている。ナチ政権下のドイツ。少年クルトは叔母の影響から、芸術に親しむ日々を送っていた。ところが、精神のバランスを崩した叔母は強制入院の果て、安楽死政策によって命を奪われる。終戦後、クルトは東ドイツの美術学校に進学し、そこで出会ったエリーと恋に落ちる。元ナチ高官の彼女の父親こそが叔母を死へと追い込んだ張本人なのだが、誰もその残酷な運命に気付かぬまま二人は結婚する。やがて、東のアート界に疑問を抱いたクルトは、ベルリンの壁が築かれる直前に、エリーと西ドイツへと逃亡し、創作に没頭する。美術学校の教授から作品を全否定され、もがき苦しみながらも、魂に刻む叔母の言葉「真実はすべて美しい」を信じ続けるクルトだったが―。

 

《参考》「ゲルハルト・リヒター ペインティング」

監督:コリンナ・ベルツ/原題:GERHARD RICHTER PAINTING/2011年 ドイツ製作

現代アートの巨匠ゲルハルト・リヒター。その芸術的想像力の秘密に迫る、画期的ドキュメンタリー映画。今日の現代美術において最も重要なアーティストの一人、ゲルハルト・リヒター。オークションでもその作品は高額で取引され、評価と地位はゆるぎないものとなっている。日本においても様々な美術館、ギャラリーで度々展示が行われ、発言集や研究書、画集が出版されなど高い人気を誇る。リヒターと批評家、協力者、ギャラリストなどとの会話や作画する様子を捉えた本作は、芸術家の「生」の姿と、創造性を垣間見ることができる貴重な記録である。

★展覧会「アプストラクト」

会期:2021年11月19日(金)〜2022年4月17日(日)

ゲルハルト・リヒターの展覧会「アプストラクト(Abstrakt)」

現代美術を代表するドイツ人アーティスト、ゲルハルト・リヒター。そのキャリアを通して、身近な人びとを写した写真や雑誌・新聞上の写真をモチーフにした絵画を手がける一方で、抽象画も多彩な作風で制作してきた。展覧会「アプストラクト」では、フォンダシオン ルイ・ヴィトンのコレクションから18点の抽象作品を選びだし、30年以上にわたる創作活動を紹介。なかでも、《940-4 Abstraktes Bild》と《941-7 Abstraktes Bild》の2点は、今回が初公開となる。

★暮らしのデザインレビューより

https://ldesignreview.com/gerhard_richter1

https://ldesignreview.com/gerhard_richter2

ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)は、1932年ドイツのドレスデン生まれ。2021年で89歳を迎えた、現役の現代アーティストです。20世紀後半における新欧州絵画の先駆者であり、世界から注目を集める「ドイツ最高峰の画家」と呼ばれています。彼の作品は世界中の美術館に所蔵されており、有名なものとしてはケルン大聖堂の内部にドイツ政府からの依頼で制作したステンドグラス(2007年に完成)があります。ドイツのライヒスターク(国会議事堂)の正面入口にも、ドイツの国旗をモチーフとした作品「黒、赤、金」が飾られているなど、多くの国家的なプロジェクトを手がけていることは、彼がドイツを代表する芸術家であることを表しています。2020年には、リヒターをモデルにした映画「ある画家の数奇な運命」が公開されことでも、話題になりました。旧東ドイツ領に生まれたリヒターは、20歳からドレスデン芸術大学で美術の専門教育を受け、さらに西ドイツ旅行中に出会った抽象表現主義に強い影響を受けることとなります。1959年、27歳のときにドクメンタ2(ドイツで5年に1度開かれる国際美術展の第2回)を訪れ、ポロックやフォンタナの作品に刺激を受け、西ドイツへの移住を決意。1961年、ベルリンの壁が建設される半年前に、29歳で西ドイツ・デュッセルドルフへ移住し、現在はケルンを拠点に活動しています。1960年代から、アブストラクト・ペインティングやカラーチャート、何層にも重ねた色が響きあう抽象画など、一貫して絵画の本質を追求しながら様々な試みに挑戦し続け、独自の作風を展開しています。★マルセル・デュシャンからの影響を強く受けるリヒターは、1962年に新聞写真を基にした「机」という作品の発表に際して、「かつて画家は外に出てデッサンした。われわれはシャッターを押すだけ。」と語り、写真をキャンバスに描き出すという独自のスタイルを生み出しました。1964年、32歳の時にはミュンヘン、デュッセルドルフ、ベルリンで個展を開催。以降、現在に至るまで目覚ましい活躍を見せています。

作品制作のみならず、1971年39歳のときにはデュッセルドルフ芸術アカデミーで教授に就任し、1994年まで同校で教鞭を振るっていました。現代アートの国際展にも数多く参加しており、1972年には西ドイツの代表として第36回ヴェネチア・ビエンナーレに参加、1997年の第47回では金獅子賞に輝いています。ドクメンタにも6回参加しており、1997年には日本の高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しています。この素晴らしい経歴の裏には、以下のような代表的な作品シリーズの精力的な制作活動がありました。

 

鮮烈な色の組み合わせ「アブストラクト・ペインティング」

模写した精密な写真のイメージをぼかす「フォト・ペインティング」

カラーチップを配列した幾何学の絵画「カラーチャート」

スナップ写真の上に油彩やエナメルを描く「オーバー・ペインテッド・フォト」

グレイ1色のみで展開する「グレイ・ペインティング」

ガラスや鏡といった反射素材を用いる「ミラー・ペインティング」

自ら収集した写真素材の集積「アトラス」

 

一人の画家としては異例なほどさまざまなスタイルを駆使し、一貫して「絵画の可能性」を追求しているリヒター。2012年に競売大手サザビーズがロンドンで行ったオークションで、エリック・クラプトンが所有していたリヒターの抽象画「Abstraktes Bild (809-4)」が約2,132万ポンド(約26億9,000万円)で落札されました。この金額はその当時、生存する画家の作品としては史上最高額でした。リヒターの作風は「style-less(スタイル・レス)」と呼ばれるほど、手法やコンセプトが多様で、人物などの具象画からカラーチャートのような抽象画、伝統的なキャンバスを用いた平面から巨大なガラスを使った立体作品まで、留まることを知りません。