埋蔵文化財1 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・用事があって西区まで来ましたが、近くに埋蔵文化財センターがあり、せっかくの機会なので立ち寄りました。

★神戸市西区/Wikiより

垂水区と同様に明石郡に属していた地域で、隣接する明石市とも結びつきが強い。かつては田園地帯・公共交通の空白地域であったが、野田文一郎が明石平野に新都心の計画を構想し、1965年の市議会で原口忠次郎が宅地計画を挙げたことから、1970年頃から、神戸市中心部のベッドタウンとして開発が進み、西神ニュータウンや押部谷地域・玉津地域を中心に大きく様変わりし、同時に公共交通の敷設計画をした区である。神戸市の★新たな文化、教育の集積地としての期待がかかり、現在のところ神戸市9区で最も人口が多く、市の3割近い面積を当区が占める。1982年(昭和57)に垂水区から分区した、神戸市で一番新しい行政区であり、神戸市の西側に位置することから★西神と呼ばれる。

《生の生成》作:奥野誠1991/第6回神戸具象彫刻大賞展

http://www.okunomac.com/

https://niki-kai.or.jp/category/sculptures/committee-s/m-okuno/

1960埼玉県に生まれる1991神戸具象彫刻大賞展(六甲アイランド/兵庫県)

 

《夢風船》作:北田吉正1991

岩手県出身(1956~)

 

《Innocence》作:西雅秋1991

http://rittaizoukei.com/seikaHP/staff-nishi.html

1946広島生まれ。1972武蔵野美術大学彫刻科卒業後、アメリカ、パリ、デンマークに滞在し、制作活動を行なう。主に鉄を素材とする彫刻家で知られているが、造形を見せるのではなく、素材が自然と関与した姿を見せる作品を制作することで広く知られている。1991年サンパウロ・ビエンナーレに出品、1993年現代日本彫刻展大賞受賞。主な個展は、広島市現代美術館(98年)、神奈川県立近代美術館(05年)。芸術選奨新人賞(06年)など。現在、京都精華大学芸術学部教授。

《神戸市埋蔵文化財センター》

651-2273神戸市西区糀台6丁目1 西神中央公園内/078-992-0656

https://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/center/

神戸市内には、市民の皆様に親しまれている五色塚古墳、大歳山遺跡をはじめ、吉田遺跡や元住吉 山遺跡のように学術上著名な遺跡も数多くあります。昭和40年代以降の開発ラッシュで、発掘調査は増加の一途をたどり、新たに発見された遺跡も年々増加しています。それにともない、必然的に出土遺物や記録類も増加し、長らく、出土遺物の整理・収蔵・展示を集中的に管理できる施設の建設が待たれていました。当センターが建設された★西神ニュータウンは、文字通り新しく造られた街です。住宅団地として建設されていく過程で、長年にわたって発掘調査が行われ、今日も数多くの遺跡が保存されています。そのような街の一角に建設された当センターは、ニュータウン内の遺跡をはじめ、市内各地の遺跡から出土した遺物の調査・整理・収蔵を行う中枢機能をもっています。また、当センターは、埋蔵文化財により一層のご理解をいただきますよう、収蔵部門だけでなく、展示スペースも大きくとり、施設の大部分を公開し、埋蔵文化財を通して、神戸の歴史を身近に感じていただけるよう工夫しております。

《アケボノゾウの化石》

https://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/center/group/080319-001.htm

1987(昭和62)年10月に、西区伊川谷町井吹の造成地(現在の西区井吹東町)で、觜本(はしもと)格さんらによって、発見され、神戸市立教育研究所を中心とした神戸の自然研究グループと京都大学などのメンバーによって発掘されました。今から約200万年前の地層から、象牙や臼歯(きゅうし)をはじめ、肋骨(ろっこつ)や足の骨、頭蓋骨(ずがいこつ)の破片などが出土しており、年齢が50才~60才の雄ゾウであると推定されています。発見当時は、「アカシゾウ」と名づけられ、新種のゾウと考えられていましたが、その後の研究の結果、1918(大正7)年に命名されたアケボノゾウと同じ種類であると考えられるため、現在では、アケボノゾウと呼んでいます。アケボノゾウは、ステゴドン科ステゴドン属のグループに含まれるゾウで、日本固有の種です。ステゴドンとは、ギリシャ語で「屋根のような歯をもった」という意味で、ギザギザとした山と谷のような形の臼歯が特徴の一つです。この標本の体高(肩までの高さ)は、約1.8メートル、体長は、約4メートルで、現在のインドゾウの雌ゾウと同じ位の大きさです。現在のゾウと最も異なる点は、長い牙を持っており、牙の長さは、約1.7メートルにも達します。発掘当初は、神戸市立教育研究所で保管されていましたが、1991(平成3)年9月、当センターの開館以降、1階のエントランスホールで展示しています。アケボノゾウは、近畿地方での発見が最も多く、東は関東地方から、西は北部九州まで分布しています。今から約250万年前~70万年前頃に生息していたと考えられています。有名なナウマンゾウ(今から約30万年前~1万5千年前頃)やマンモスゾウ(今から約6万年前~2万年前頃)に比べると、小型ですが、年代的には、かなり古い時代の象です。アケボノゾウの祖先は、今から約500万年前~300万年前頃に、中国で生息していたツダンスキーゾウや黄河象(コウガゾウ)の仲間であるミエゾウ(シンシュウゾウ)であると推定されています。ミエゾウは、体高(肩までの高さ)が3.8メートルをこえる大型の象ですが、その後、日本が大陸から分かれて島となり、日本列島に取り残されたミエゾウが、狭い日本の環境に適応するために、小型化して、アケボノゾウとなったと考えられています。

★神戸市埋蔵文化財センター開館30年記念「福原京」の考古学

2021年8月28日(土)~11月28日(日)

https://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/center/schedule/kikakuten.html

平安時代末期の治承4年(1180)、神戸にひらかれた「福原京(和田京)」ですが、半年で京都へと都が戻されたこともあり、地上にはその痕跡がほとんど残されていません。そのため、幻の都とも言われるほどに実態が不明で、『方丈記』や『平家物語』などからその姿を想像するしかありませんでした。この都の姿が考古学的にはじめて確認されたのが昭和57年(1982)の神戸大学医学部付属病院構内で行われた楠・荒田町遺跡第2次発掘調査でした。その後、昭和61年(1986)には雪御所遺跡、平成5年(1993)には祇園遺跡の発掘調査が始まります。現在までの発掘件数は、楠・荒田町遺跡が65次、雪御所遺跡が7次、祇園遺跡が22次を数え、「福原京」、そしてその前後の歴史が少しずつ明らかになってきています。★平成3年(1991)にオープンした神戸市埋蔵文化財センターには、発掘調査で確認された「福原京」関連の考古資料・データが保管・蓄積され、当センターはその解明とともに歩んできたとも言えます。平清盛没後840年にあたる本年、「福原京」にかかわる調査成果について改めて紹介する企画展を当センター開館30年記念として開催いたします。

●展示解説とバックヤードツアー

学芸員による企画展の解説&埋蔵文化財センターの収蔵庫のご案内

9月18日(土)/ 10月9日(土)各日の1回目:10:30~11:30:2回目:14:00~15:00

※ 無料、事前申込はありません。当日センター受付前にお集まりください。

・・・それでは企画展示を見学します。