《Eyes to me》/歌:DREAMS COME TRUE/作詞:吉田美和/作曲:中村正人
ブルーのシャツ着たらすごく似合う 朝も夕焼けにも
こっち向いて笑って照れないで smile smile smile
私だけ知ってるイイ顔で Eyes to me
こっち向いて笑って照れないで smile smile smile
私だけにくれるあの顔で Eyes to me
早起きで出掛けよう
つゆくさにつくしずくが消えないうちに
あなたのアルバムの一頁私に
今日はさせてプロデュース
(中略)
秘密の橋の下で★公園の砂場で
ハルニレをバックで空に手を広げて
私だけにくれるあの顔で smile smile smile
私だけにくれるあの顔で Eyes to me
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/music/anokoro/05/kiji/K20110529000909570.html
デビューから3年。“ドリカム”の人気を決定的にした9枚目のシングルはオリコンチャートで初の1位を獲得。74万枚のセールスを記録した。ドリカムの初期のナンバーでも「この曲が好き」というファンは多く、ファンでなくても曲が始まってほとんど最初にサビの部分がくる印象的な歌だけに与えるインパクトは強かった。カップリングの「彼は友達」もアップテンポ曲でダイドードリンコのコーヒーのCMに使われ、友達から彼氏に“昇格”する寸前の微妙な間合いを、女性の視線からユニークにとらえた歌詞が共感を得た。ドリカム人気はもちろんだが、「Eyes…」のヒットを後押ししたの当時14歳だった観月ありさを起用した富士フィルムのCMソングとして、広く聴かれたことも大きかった。まっすぐカメラ目線の観月が「いつかこの夏の時のことを思い出すために」と言った後に流れる「Eyes…」。観月のはじけるような笑顔に相まって、吉田美和の伸びやかな歌声が重なり、さわやかな余韻を残している。90年「笑顔の行方」が中山美穂主演のフジテレビ系ドラマ「卒業」の主題歌に使われ、一部の音楽関係者に知られる程度だったドリカムは、一気に世間に認知されるようになり、年末にはNHK「紅白歌合戦」にも出場した。さらに「Eyes…」がヒットした頃には男性2人女性1人のグループで行動する若者が増えていることをマスコミが注目、“ドリカム現象”とまで名付けた。翌92年9月発売の「決戦は金曜日」で初のミリオンセラーを記録すると、1カ月に発売した「晴れたらいいね」はNHK朝の連続テレビ小説「ひらり」の主題歌に。朝ドラを楽しみにしている年配の方にもその名が知られるようになったドリカムは、一気にジャパニーズポップスの世界で代表的存在になった。
・・・「水あそび」「砂あそび」「土(泥)あそび」こそ「造形遊び」の原点、そのフィールドは「公園」であり「砂場」です。
《人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ》
All I really need to know I learned in kindergarten
著:ロバート・フルガムRobert Fulghum/刊:河出書房新社
牧師であり哲学者であるフルガム氏の有名なクレド(信条)
人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればいいか、本当に知っていなくてはならないことを、わたしは全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。わたしはそこで何を学んだろうか。
何でもみんなで分け合うこと。ずるをしないこと。人をぶたないこと。使ったものはかならずもとのところに戻すこと。ちらかしたら自分で後片づけをすること。人のものに手を出さないこと。誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと。食事の前には手を洗うこと。トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。焼きたてのクッキーと冷たいミルクは体にいい。バランスの取れた生活をすること-毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして、少し働くこと。毎日かならず昼寝をすること。おもてに出るときは車に気をつけ、手をつないで、はなればなれにならないようにすること。不思議だな、と思う気持ちを大切にすること。発泡スチロールのカップにまいた小さな種のことを忘れないように。種から芽が出て、根が伸びて、草花が育つ。どうしてそんなことが起きるのか、本当のところは誰も知らない。でも、人間だっておんなじだ。金魚も、ハムスターも、二十日鼠も、発泡スチロールのカップにまいた小さな種さえも、いつかは死ぬ。人間も死から逃れることはできない。ディックとジェーンを主人公にした子供の本で最初に覚えた言葉を思い出そう。何よりも大切な意味をもつ言葉。「見てごらん」
わたしたちみんなが、そう、世界中の人々が、3時のおやつにクッキーを食べてミルクを飲み、ふかふかの毛布にくるまって昼寝ができたら、世の中どんなに暮しやすいことだろう。あるいはまた、各国の政府が使ったものはかならずもとのところに戻し、ちらかしたら自分で後片づけをすることを基本政策に掲げて、これをきちんと実行したら世界はどんなに良くなるだろう。それに、人間はいくつになっても、やはり、おもてに出たら手をつなぎ合って、はなればなれにならないようにするのが一番だ。
《NEWS》砂場遊びで重体、鬼ごっこで転落死…”あり得ない悲劇”はなぜ起きた?/livedoornewsより
https://news.livedoor.com/article/detail/3893559/
(前略)近年、公園からシーソーやジャングルジムが急速に姿を消しつつある。その理由として、公園を管理する地方自治体は口を揃えて「老朽化」を挙げる。しかし、老朽化ならば新しいものに替えれば良いのではないか。実は、その背景にあるのは★「モンスターペアレント」の存在だ。老朽化した遊具で事故が起きるなどのクレームに加えて、「うちの子がジャングルジムから落ちてケガをした。治療費を払え」などの苦情まで寄せられるので、「文句を言われてまで、金をかけてまで遊具を新調するくらいなら、いっそ撤去を」という判断になるのだという。こうした親は、わが子に遊び方を教えないばかりか、自分の手で過剰に守ろうとしてしまうため、当の子どもは痛い思いをせずに大きくなってしまう。ましてこのご時世、こうして★遊具の消え失せた公園で、子ども達ができる遊びは限られてくる。さらに、近年は★防犯上の問題もあって、親が管理できない場合、子どもを外で遊ばせるのが不安ということで、そもそも外遊びをさせない親も多い。また、★家庭用ゲーム機器の普及もあって、室内遊びを選択する子どもが増えている。中には公園のベンチに小学生の集団が座ってDSに興じている…などという光景も見られる。だから、学校の中で体を動かす遊びをした時に、★力の加減や限度を知らずに、今回挙げたような事件・事故を起こしてしまうのだ。それに対して、行政は「安全対策」を声高に掲げる。それは必要でこそあるが、問題の根本的な解決にはつながらない。何か問題が起きると、その「手段」を取り上げることばかりに目が行きがちだ。ナイフの所持禁止、携帯電話の制限…もし鉛筆で突っつくなどの事故が多発したら、鉛筆禁止令が出るのか。肝腎なのは★「使い方」を教えていないことなのだ。どんな人でも、子どもの頃に一度は「いたずら」をして、親からこっぴどく叱られた経験があるだろう。また、調子に乗りすぎて痛い目にあったり、転んで擦り傷を作ったり…そうした★経験によって、人は成長する。それは学校の授業で教わることではない。
・・・これらの内容に「同感」「共感」する人も多い、しかしあまりにも「無力」です。
★公園にカッターの刃が数十本。横浜市金沢区、砂場に散乱/2020.5.4
★悪質!公園の砂場に大量の「つまようじ」無防備な子どもを狙った嫌がらせか /2020.2.10
★「真相報道バンキシャ!」2009.3.29で紹介された情報
https://kakaku.com/tv/channel=4/programID=1210/page=15/
取材の一環としてレポーターが訪れていた大阪市阿倍野区・長池公園。施設の一部であるガラス全体が割られていた。
法界寺公園(兵庫県・尼崎市)先日注射器が見つかった公園から3km離れた場所にある公園で、ここの砂場でも去年・一昨年と画びょうや金属製のネジなどが大量に捨てられていたという。
千住旭公園取材の一環としてレポーターが訪れていた足立区にある公園。この公園では、夜のうちに砂場に何か捨てられていないかと毎朝チェックするのだという。休むのは正月の二日間のみで、毎朝子どもの安全のために三人の清掃員が交代でチェックを行っているとのこと。
仏向猪ノ久保公園
神奈川県・横浜市にある公園。自治体が定期的に砂場の点検をしているという。取材班が訪れている最中にも、砂場からは空き缶が発見されていた。
白河かもめ保育園江東区にある保育園。兵庫県尼崎市の公園から80本もの注射針が発見された事件を筆頭に、今公園が狙われるという事件が相次いでおり、その取材の一環としてレポーターが訪れていた。この保育園では、園児達と近くの公園に行くときは、保育士が事前に安全をチェックするという防衛策をとっているのだという。
塚口第二公園兵庫県・尼崎市にある公園。今月24日に公園の砂場から、使用済みの注射針が捨てられているのが発見されたという。公園の砂は全て新しいものに替えられたとのこと。
上野恩賜公園。兵庫県尼崎市の公園から80本もの注射針が発見された事件を筆頭に、今公園が狙われるという事件が相次いでおり、その取材の一環としてレポーターが訪れていた公園。花見に興じるたくさんの人々が映っていた。
《おまけ》「公園デビュー」Wikiより
幼児が1歳を過ぎてヨチヨチ歩きを始めた頃に、母親が近所の公園(砂場や滑り台、ブランコなどがある空間・いわゆる児童公園)に子供を連れ出して、そこに集まってくる他の母子連れの仲間入りを果たすこと。1990年代中頃からマスコミで使われるようになった。育児に際しては、「三歳児神話」などに関連して、子供の幼少期の体験が生涯にわたって影響するなどといった考え方もあり、そのため保護者がことさらデビューに際して神経質になるといった話も聞かれ、社会現象や社会問題の範疇でも公園デビューが注目を集めたため、これに応じる形で育児雑誌から大衆向けの週刊誌など、あるいはネットコミュニティや情報サイトに至るまで、様々な媒体で取り上げられた。ただ一般レベルでは★「あまり気負い過ぎずに気楽に」などの経験者の話も見られ、2000年代中ごろよりは「公園デビュー」という言葉自体も、過去のものとみなされる傾向もある。
《感触遊び》
感覚遊びのひとつで五感(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)をフルに使って遊べる遊びなのです。寒天や小麦粉、片栗粉など、さまざまな素材を使って不思議な触り心地を楽しむ「感触遊び」。乳児から楽しめるので、室内遊びのアイデアとして人気です。乳児期から感触遊びを行い、たくさんの物に触れてきた子どもは、刺激をたくさん与えられ好奇心旺盛で、何にでもチャレンジしようと新しい試みを持つことが出来るようになります。また、想像力など考える力が備わり、新しい出来事にも動じずに受け入れるようになります。逆に感触遊びを拒んでいた子どもに関しては、新しい出来事に対応できず受け入れにくくなってしまう傾向がみられます。
《参考》「子どものための安全な公園づくりとは」/国土交通省より
私が小学生だった頃に、公園の遊具で子どもがケガをするという事故が多発したことがあった。その結果、公園から遊具が失われていった。子ども達の安全を考えての施策なのだろう。だが、私はどうしても遊具をなくすことが良い方法とは思えない。他に、もっと良い方法はないのだろうか。私も、小学校の中学年の頃に、遊具で遊んでいてケガをしたことがある。「うんてい」という遊具で遊んでいた時、足を滑らせて落ちたのだ。幸い、それは大したケガではなかった。だが、その数ヶ月後、私が通っていた小学校の一年生が遊具で遊んでいて死亡するという、最悪な事故が起きた。ランドセルを背負ったまま遊んでいたため、ランドセルが「うんてい」にひっかかって首がしまったのだ。その事故がきっかけで、周辺の公園には遊具で遊ぶ時の服装の注意をよびかける看板が設置され、「うんてい」は取り外される事になった。私がよく遊んでいた公園の場合、「うんてい」だけにとどまらず、その後も「危険」と思われる遊具は次々と取り外されていった。だが、注意をよびかける看板を設置したなら、遊具をなくす必要はあるのだろうか。確かに、危険な遊具を取り外すことによって、公園の遊具での事故は聞かなくなった。だがそれは、単に遊具が減って公園の利用者数が減少したからではないのか。私は、「安全な公園をつくる」という事は、公園の利用者数の増加につながると思っている。だが、実際はどうだろうか。私は夏休みに入ってから何度かその公園を訪れた。だが、いつ見ても公園の利用者は少なく、以前ほど活気は感じられなかった。これではまるで逆ではないか。現在、子どものインドア化が社会問題としてあげられる。だが、私はこれでは仕方がないと思う。公園の遊具をなくすという事は、公園の安全性を高めるだけではなく、同時に子ども達の遊び場を奪う事になるからだ。「子ども達は公園から遊具がなくなっていく事を望んでいるのか」気になった私は、実際にそれを子ども達にきいてみた。その結果、「望んでいる」と答えた子どもはいなかった。私の妹はよくその公園を利用するのだが、「昔より楽しくなくなった。遊具が減ったらつまらない。」と言っていた。そして、「遊具がなくなってほしくない。」とも。私だったら、遊具が減ってつまらなくなった公園で遊びたいとは思わない。そして、そんな気持ちが子どものインドア化につながっていくのだと思う。やはり私は、公園から遊具を取り外すのは良くないと思う。公園が安全になる事は事実だが、それにともなって公園の利用者数も減っていく事もまた、まぎれもない事実だからだ。大人には、子ども達の安全のため工夫をこらす義務はあっても、子ども達から遊び場を奪う権利はないと思う。事故が起きたらすぐに遊具を取り外すのではなく、事故の過程を知り、その原因を取り除く事が大切ではないだろうか。そうでないと、本当の意味で大切な公園はつくれないと思う。まずは、周囲の大人達が子どもに★安全をよびかけて、一人一人が★正しい使い方を身につける事が先けつだろう。そうすれば、事故はしだいに減ってゆくのではないだろうか。
・・・繰り返しますが、私たちは「無力」です。かといって「見て見ぬふり」「傍観者」、ダンマリを決め込むわけにはいかないのです。
《参考》幼児期までに「多様な細菌」と触れ合うべき理由/森田麻里子(医師、小児睡眠コンサルタント)
「子どもを病気にさせないために」と、せっせとご家庭で除菌・抗菌に励んでいる親御さんもいらっしゃるでしょう。しかし、その行動はかえってお子さんを病気に近づけるかもしれません。最近の研究では、幼少期に土や動物と触れ合って細菌を体内に取り入れたほうが、アレルギーや肥満になりにくいことがわかっています。それでは、具体的にどうすれば子どもを病気から守ることができるのでしょうか。「子どもを牧場に連れて行くべき?」「薬用せっけんを使うべき?」といった素朴な疑問に、シカゴ大学教授らが最新の研究結果から答える書籍★『子どもの人生は「腸」で決まる:3歳までにやっておきたい最強の免疫力の育て方』が注目を集めています。(中略)★赤ちゃんの頃の経験が腸内細菌を通じて人の健康に大きな影響を与えているというのは、非常に興味深いところです。20世紀に抗菌薬が発明され、人類はさまざまな感染症を克服してきましたが、ここにきて、細菌はすべて悪者というわけではないことが明らかになってきました。過度な殺菌や除菌を追求するのはそろそろやめて、子どもは★どろんこ遊びでさまざまな細菌に触れさせたほうがよさそうです。
《子どもの社会性とイメージする力を育てる遊び》/母子健康協会より
https://jp.glico.com/boshi/futaba/no80/con01_06.html
★感覚遊びは、最も初歩的な遊びであり、視覚・聴覚・触覚などの感覚を働かせて楽しむものです。また、★運動遊びは、筋肉を伸縮させ身体全体を動かして楽しみます。子どもは発達とともに、身体の動かし方がより複雑・精巧になっていきます。発達に遅れのある子どもの中には、感覚遊びにばかり没頭してしまい、本来の用途や遊び方と違う楽しみ方を行っている姿があります。また、多動な子どもやエネルギッシュな子どもは、単純に身体を動かす・走る・跳ぶなどの運動遊びを好み、自身の身体に刺激を与えて楽しむ姿もあります。いずれも低発達段階や行動特性などから嗜好してしまうものです。一方、★想像遊びは、ごっこ遊びが代表的なもので、お母さん役や架空のもの(戦隊ヒーローやアニメのキャラクターなど)になりきって遊んだり、色々な人の社会的役割を理解していきます。発達に偏りのある子どもは、著しく現実離れした想像遊びをしたり、一日中その役になりきってファンタジー性に浸って遊び、現実との区別がつかないでいることもあります。★受容遊びは、絵本を見たり、お話を聞いたりする遊びです。知的好奇心や情操の発達と関係があります。また、絵本にはたくさんの種類があります。子どもの年齢の他に、言語発達や生活経験などによって、理解と好みなどが異なってきますので、個人差なども考慮した上で絵本を選びましょう。発達に偏りのある子どもは、興味関心の範囲が狭かったり、限局的であったりします。したがって、自身の好みの玩具や遊びなどに終始してしまう姿が多く見られます。自発性、自己完結性や自己報酬性といった遊びのもつ役割は網羅しているとも言えます。しかし、遊びそのものに発展がみられず、他者とのコミュニケーションが狭められてしまうことがあります。保育者とのやりとり場面に誘い、少しずつ現実的な遊びを体験させていったり、類似した玩具や絵本などに目を向けるように工夫して、興味関心を拡げていけるとよいでしょう。保育者との関わりが上手になっていけば、次に、友だちとのやりとりに少しずつ拡げていき、社会性を育てていきたいものです。★構成遊びは、積木をつんだり、絵を描いたり、折り紙・切り紙をするなど、何かを作る遊びです。従来は、想像する喜びを感じさせる伝統的な遊びとして知られてきたものです。しかし、近年では、ミニカーや電車そのものの玩具セット、絵やマークがきれいにプリントされた積木、迷路やキャラクターが描かれてある絵図版などのリアルな玩具が主流になっています。想像したり、知恵を出し合う必要がない遊びになってしまいがちです。イメージする力に弱さをもつ発達に遅れのある子どもにとっては、リアルな玩具は遊び方や玩具の用途、状況理解などの手助けにはなってくれます。従って、遊びへの参加率は上がったりします。しかし、イメージする力はなかなか育ってくれないのも現実の課題としてあげられます。他の子どもが遊んでいる構成遊びを見せたり模倣させる中で、見立てることを理解させたり、できあがりの物を少しずつイメージさせましょう。こうした制作活動を通して、見通しをもって遊ぶことを身につけていきます。
《砂遊び10のヒント》ボーネルンドより
https://playscape.bornelund.co.jp/shop/pages/column_development02.aspx
1. 感覚/形を自由に変える砂にまず視覚的な関心を向け、やがて乾いた砂、湿った砂、泥状の砂、温度の違う砂などの違いを手指や素足で感覚的に感じ取ります。
2. 心/砂には、子どもの体や動きをありのまま受け止めてくれる安心感があります。活動的なあそびだけでなく、静かに過ごしたいときも、心地のよい居場所になるでしょう。
3. 体の運動/砂の上を、歩いたり走ったり飛び跳ねたりする動きには、微妙なバランス感覚や筋力が必要です。深い穴を掘る、バケツの水を運ぶなど、運動量も増加します。
4. 操作性/砂を介したモノの扱いでは、手指や手首、肩の動きや力の強弱やひねり具合などが重要です。子どもはモノを何度も繰り返し使い、次第に道具として使いこなせるようになります。
5. 言葉/あそびの深まりとともに、砂場での子どもの語彙は増えます。経験をベースにした具体的なやりとりや自分の思いを語ることで、コミュニケーションの力を獲得していきます。
6. 社会性/年少期には、モノの取り合いや砂のかけ合いなどのトラブルも。年長になると、協同的なあそびも増え、仲間との人間関係も深めていきます。
7. 想像と創造/砂を固めて小石や木の葉を飾ってケーキにしたり、砂場全体を野山に見立てて乗り物を走らせたり。イメージが具体的な創造につながります。
8. 認知/変化する砂を通じて、モノの大小や重さ、長さ、硬さや柔らかさなど、物質の状態や自分の体との関係性を理解し、自分の言葉で表現できるようになります。
9. 科学的発想/砂山が崩れないように注意しながらトンネルを掘るなど、自然の法則と関わりながら子どもたちは試行錯誤を繰り返し、仮説をもって実験的に確かめていきます。
10. 自己肯定/思い通りにできたときは笑顔に、失敗したときは何度も挑戦。忍耐や集中力、自信や自己肯定につながり、「自分を見る自分」と「見られる自分」の存在に気づいていきます。
・・・「公園」そして「砂場」などのフィールドが失われつつあるならば、新たな環境を創造するしかありません。キーワードは「非認知能力」です。
《非認知能力(スキル)》
意欲、協調性、粘り強さ、忍耐力、計画性、自制心、創造性、コミュニケーション能力といった、測定できない個人の特性による能力のこと全般を指します。学力(認知能力)と対照的に用いられる言葉です。OECDでは、非認知能力に値する力を「社会情緒的スキル(Social and Emotional Skills)」と呼んでいます。社会情緒的スキルは、「長期的目標の達成」「他者との協働」「感情を管理する能力」の3つの側面に関する思考、感情、 行動のパターンであり、学習を通して発達し、それぞれの人生や社会の発展にも関係すると言われています。非認知能力が世界で注目されはじめたきっかけは、2000年にノーベル経済学賞を受賞したジェームス・ヘックマン(James Heckman)の主張にあります。ヘックマンは、自身が行った検証実験や研究から、幼児教育と非認知能力の重要性を指摘しました。その主張を裏付ける研究に、「ペリー就学前プロジェクト」「アべセダリアンプロジェクト」の2つがあります。どちらの研究も、幼児期に非認知能力を高める教育や関わりがあった子どもの方が、将来の収入が高かったり、社会的に活躍する可能性が高いことを示しています。この主張をきっかけに研究が進み、急速に変化する社会情勢や教育の改善を図りたい国々に広まり、世界的に非認知能力の育成が重視されるようになりました。「ペリー就学前プロジェクト」では、幼児期から非認知能力を高めるような質の高い教育を受けた子どもは、学力検査の成績がよく、学歴が高く、収入が多く、生活保護受給率や逮捕者率が低かったという結果が出ています。非認知能力が高い人は、「何かをやり抜くねばり強さ」「自分の感情をコントロールする力」「計画をたてて実行する力」などがあり、学ぶ土台がしっかりと出来上がっているので、状況の変化にも対応でき、生き抜く力が強いのです。IQが高くても、自ら学ぼうという姿勢がなかったり、コミュニケーションが上手くとれなかったりすると、上手くいかないことが多くなり、結果として生活の質や収入が低下してしまうことが多くなります。 日本社会においても、非認知能力が重視されています。
読解力の低下が問題となっています。この★日本の教育問題の解決の鍵となるのが非認知能力だと言われています。貧困家庭のうち、学力が高い子どもと、学力が低い子どもを比較すると、学力の高い子どもは、生活習慣や学習習慣、思いを伝える力などが高水準にある。中でも生活習慣は、低学年時から両グループの差が大きい。(公益財団法人 日本財団「家庭の経済格差と子どもの認知・非認知能力格差の関係分析」より)という研究結果もあります。文部科学省が求める非認知能力とは、新しい学習指導要領では資質・能力を「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力・人間性等」の3つの柱から整理しています。認知能力である「知識・技能」や「思考力・判断力・表現力等」だけでなく、★「学びに向かう力・人間性等」を3つ柱を重視しました。