H・S・Z(10)「質」について | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・前回「色形材」について書きましたが、さらに「材(質)」について深めてみたいと思います。

 

《参考》友達はスフィンクスより

https://taesunworld.com/texture-expression/

・質感には、絵全体の★マチエールが醸し出すものと、物質そのものの材質感を表現するものがあります。絵自体の質感は、画家の個性やテーマ、色彩、マチエールなどの★統合によって生まれる。

・構図と質の配置については、自然を観察することがいちばんよい。山、海、道、木々、石・・・自然の風景のどこを切りとってみても、豊富な素材があふれています。

・ひとつの画面のなかには、いろいろな★タッチがあります。たとえば、鳥を描くとすると、体を覆う羽毛は軽く、風になびくが、それはあくまでも鳥の本体を包んでいる表面です。生きて動く鳥の量感を、繊細な羽毛の奥に感じさせるような表現が必要になってくる。厚くぼってりした塗り方と、薄く滑らかに塗ったのとでは印象がまったく違ってきます。

 

《マチエール》(仏)matière

1 材料。素材。材質。2 美術で、絵画の絵肌、彫刻の質感など、作品における材質的効果。また、表現されたもの固有の材質感。

絵画に関しては、絵の具その他の描画材料のもたらす材質的効果や絵肌をさす。最近はどちらかと言えば、多少ざらざらした粗めの絵肌やその状態をマチエールという言葉で示す場合が多いようだが、油絵の具が手作りだった頃は、均質な絵の具を作ることができるのはメチエ(名人)だけだった訳で、そこから出てきた言葉ということを考えると語義的には魅力的なマチエールというのは、陶器の表面のように滑らかだということかもしれない。

 

《タッチとストローク》Touch & Stroke

絵画表現における描画法を表わす言葉。筆や木炭を使うとき、その画材の先を少しずつ画面に触れるように動かす行為(あるいは筆の跡)を「タッチ」と呼び、日本語では「筆触」と訳す。また画面に対して、大きく腕を振るって筆を動かすような運動感のある行為を「ストローク」と呼ぶ。これらは画家自身が意識をして「ここはタッチ」「ここはストローク」という使い分けをしているというよりも、評論家など第三者が、出来上がった絵画の画面にある筆の跡を見て、「タッチ」か「ストローク」かを言い分けているといった側面のほうが強い。また、小さな平筆を使っているからタッチ、刷毛を使っているからストロークというわけでもなく、画家あるいは第三者の視点において、実際にその差を選別することは難しいだろう。いずれの場合でも、画面上に残された筆や絵具の跡が作家の個性を表わす要素であるといえる。また、印象派以降の近現代になって、タッチやストロークといった筆の使い方が注目されるようになった。描画法は「タッチ」と「ストローク」のほかに、平行に等間隔で引いた斜め線で面を表わす「ハッチング」、細かく点を打つような「点描」、輪郭をやわらかく表現する「ぼかし」などがある。

 

《参考》世界初。6万枚の油絵で構成された映画『ゴッホ〜最期の手紙〜』が公開

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/9885

本作は、世界で初めて全編が「動く油絵」で構築されている。映画はまず、俳優たちが演じる実写映画として撮影された。その映像をキャンバスに投影し、油絵に写し取ったものを写真に収め、ふたたび映像として構成。油絵を描いたのは、世界各国から選ばれ、訓練によりゴッホのタッチを習得した125名の画家たち。使用された油絵は、映像1秒につき12枚、全編で6万2450枚にものぼる。

 

・・・「色」「形」はとらえやすくそれなりに表現できても、「質」は簡単にはいきません。アートの「本質」にかかわることでもあります。★学びの「質」が問題とされる、学問や教育の改革についても考えてみたいと思います。

 

《大阪府立大学「学域学類」》

https://www.osakafu-u.ac.jp/campus_life/education/academics/

大阪府立大学では、文系・理系の★枠にとらわれず、現代社会の問題解決に役立つ実践的な知を身につける4つの学びのフィールドを用意しています。これら4つの学域が4年間(獣医学類は6年間)の舞台。そこで手にするものは、★自分自身から社会を変えていく力です。

 

《参考》「文系学部解体」/著:室井尚/角川新書2015

文部科学省から国立大学へ要請された★「文系学部・学科の縮小や廃止」は、文系軽視と大きな批判をよんだ。自ら考える力を養う場だった大学は、いつから職業訓練校化したのか。教養を身につけ、多様性を受け止める場だった教育の現場が新自由主義の波に晒されている。競争原理が持ち込まれ、その結果もあいまいなままにさらなる効率化が求められ、目に見える成果を求められている。そもそも★教育の成果とはなんなのか。すぐに結果が見えるものなのか?著者は、この問題が静かに、そして急速に進められつつあった当初から問題を指摘してきた現役の大学教授。「中の人」として声を上げたブログは、10万アクセスにも及んだ。著者が所属する学科は、今回の要請で一方的に「廃止」を宣言されている。1990年代に当時の政策で新たに創設された新設学科だったが、教員たちの尽力もあって、いまや受験生に人気の学科となっていた。にもかかわらず、一方的に廃止が告げられたのである。その決定に率直に憤り、今や瀕死といっても過言ではない教育の現場を嘆きながらも、大学の存在意義を感じ、希望を見出そうとする著者。大学への希望を見出そうとする思いにあふれた渾身の書。

 

《大阪公立大学》

https://www.upc-osaka.ac.jp/new-univ/about/

2022年4月、大阪市立大学と大阪府立大学を母体に新たな公立大学が誕生します。新大学は、幅広い学問領域を擁する、学生数約1万6千人の全国最大規模の公立総合大学になります。大阪から日本・世界の成長を牽引する大学となるよう、学生・教職員が一丸となってこの新しい大学を創っていきます。規模を拡大しつつ、これまで同様、学生と教職員の自由闊達な環境で教育を行います。基幹教育と高度な専門教育を★有機的に結び付けた複眼的視点を持ってあらゆる問題を俯瞰的かつ直観的に見通す力を培うことで、グローバルに活躍できる高度人材を育成します。

 

・・・一般の?大学でさえ、様々な苦悩をかかえて改革がすすめられています。いわんや美術系大学、危惧するところは、

 

《美術の終末、芸術の終末》文:三頭谷鷹史(美術評論家)/岩田洗心館より

http://www.iwatasenshinkan.jp/kiyou/mizutanitakashi.html

芸術系大学の場合、少子化だけが問題ではなかった。ある時期から若者の求めるものが従来の芸術系大学の方向とは違ってきたことに教員たちが気付くことになる。美術(芸術)から若者の心が離れ始め、他方では若者に浸透していたサブカルチャーが存在感を示し始めていた。サブカルチャーのメインカルチャー化である。格を高め、大学教育に取り込みやすくなった。私の勤めていた大学では2007年にマンガクラス(のちにマンガコースに拡大)を発足させているから、その数年前には多くの教員が変化の兆しを感じ取っていたはずである。もちろん美術の終末という自覚があっての改革ではない。ファインアート系コースの学生減少を、マンガ・アニメ・イラストなどのサブカル系コースの新設で補う、そんな意識だったと思う。従来の芸術系大学はアートとデザインの二本柱というのが普通だったが、ここに第三勢力としてサブカルを加えるという、三本柱への移行が始まったのである。

アートイベントも美術ジャンルに大きな影響を与えている。各種アートイベントに出品される現代美術作品がいつの間にかエンターテインメント的要素を加えてイベントアートとでも呼ぶべきものに変質している。「変質」と書いたが、見方によっては美術の新しい「展開」ということにもなる。果たしてどちらなのか。少し振り返ってみれば、2000年以降、アートイベントが大きく躍進したことがわかる。飛躍の中核にあるのが観客動員数である。2000年の第1回「大地の芸術祭」が16万人、その後毎回増えて、2009年の第4回は37万人となった。また、新たに開催された2010年の「瀬戸内国際芸術祭」は93万人である。精査した数値ではないのと、その後は未調査であるが、観客の飛躍的な増加は明らかである。ただ、この間、若者の美術志向が激減してきた事実を思い出す必要がある。イベントの楽しさや意義を否定するつもりはないが、美術というジャンルが衰退していく過程と重なるのだ。一方でイベントが栄え、他方で美術が衰退するのである。

 

・・・「ファインアート系」を歩んできましたが、サブカルやアートイベントも大好きで、対立的にとらえるつもりはなく、ワタシの問題意識は「ファインアート」そのものにあります。

 

《ファインアート(fine art, fine arts)》Wikiより

芸術的価値を専らにする活動や作品をさす概念。日本語の芸術とほぼ同義であるが、とくに応用芸術、大衆芸術と区別して純粋芸術を意味する場合に使われる。芸術の中でも美術について使われることが多く、この場合、応用美術に対して純粋美術とも。ファインアートは、ハイカルチャーを構成する一部分である。ハイアート(high art)はファインアートとほぼ同義だが、ファインアートは応用芸術との対比で、ハイアートは大衆芸術との対比で使われることが多い。1911年のブリタニカ百科事典第11版は、ファインアートの5大領域を建築、彫刻、絵画、音楽、詩(Poetry)とし、補助的領域としてダンスと演劇をあげている。美術分野の代表的なファインアートは絵画、彫刻であり、これに対するイラストレーションやデザイン、工芸と峻別されるが、20世紀最後の四半期以降、★その領域は互いに浸透し、区分は曖昧なものになりつつある。

 

・・・そうなんです「アイマイ」だからこそ、自分の「ファインアート」を構築するしかない。ずっとコダワリ続けている「バウハウス」の理念、

 

《バウハウスBauhaus(独)》

1919年、ドイツのヴァイマールに設立された、総合的造形教育機関。建築家ヴァルター・グロピウスが初代学長を務めた。グロピウスは、14年の終わり頃から、彼自身が学長に推薦されていた、ヴァイマール美術学校の改組案を練り始め、★美術学校と隣の工芸学校を統合し、建築部分を新しく加えるかたちでバウハウスを開校させた。ここでいう「総合」あるいは「総合的造形教育」とは、絵画、彫刻、諸工芸、建築(後に写真も加わる)に関するさまざまな訓練を、一連の過程と見なし、行なうことを意味する。開校にあたって公表された「バウハウス要項」のなかで、グロピウスが記した有名な文句、★「すべての造形芸術が最終的にめざすところは完成した建築にある!」はしばしば引用され、バウハウスの教育目標が建築にあったかのように解釈されることがある。しかし、造形の集大成である建築をもとに★調和のとれた造形と、★芸術と工芸への見直しを促していたと考えるのが正しい。その教科課程はヨハネス・イッテンによる「予備課程」を経て、金属、陶器、家具、織物などの七つの工房で「専門教育」を受けた後、最終段階である「建築教育」へ進むことになっていた。26年にデッサウ校舎に移転。33年にはナチス政権の圧力で閉校を余儀なくされる。閉校までの活動はデザインや建築の分野だけでなく、20世紀芸術と造形教育に大きな影響を与えた。

 

《バッド・ペインティング》Bad Painting/アートスケープより

1978年、ニューヨークのニュー・ミュージアムで行なわれた同タイトルの展覧会に集まった絵画傾向をさす。先進国の美術の70年代を牽引していたコンセプチュアル・アート、ミニマル・アートに対して★絵画の復権を唱えたネオ・エクスプレッショニズム(新表現主義)の先駆けとなる展覧会として位置づけることができるであろう。ヨーロッパの新表現主義が政治的動向をはらんでいたのに対して、アメリカのバッド・ペインティングはきわめて個人的な自伝的要素を稚拙に表現した。同じ頃、アメリカではロウブロウと呼ばれるストリートアートもシーンに登場したが、バッド・ペインティングが異なるのは★絵画というファインアートにこだわった点である。それを、ポップ・アートに対するアンチテーゼとして解釈することもできるだろう。展覧会の企画者であるキュレーターのM・タッカーは、当時アメリカで「古典」とされたフォト・リアリズムやミニマル・アートに対して敬意を払いながらも、故意に侮蔑するような作品を選出した。「良き趣味」とされるアートに対する無礼は、アメリカの伝統的な価値観の崩壊を端的に示しているといえよう。ヴェトナム戦争に疲弊し、暴力とドラッグとセックスが蔓延するアメリカの病を、出品した主に30-40代の作家たちは見逃していなかったのである。

●美術手帖より/国によって呼称が異なり、イギリスでは「ニュー・ペインティング」、アメリカでは「バッド・ペインティング」、フランスでは「フィギュラシオン・リーブル」、ドイツでは「ノイエ・ヴィルデン」あるいは「ネオ・エクスプレッショニズム」、イタリアでは「トランス・アヴァングァルディア」などと呼ばれる。代表作家はジュリアン・シュナーベル、フランチェスコ・クレメンテ、デヴィッド・サーレ、アンゼルム・キーファー、ゲオルグ・バゼリッツなど。78年の「ニュー・イメージ・ペインティング」(ホイットニー美術館)、81年の「ア・ニュー・スピリット・ペインティング」(ロイヤル・アカデミー)、82年の「ツァイトガイスト」(グロピウス・バウ)といった歴史的展覧会で相次いで新表現主義の動向が紹介され、国際的な認知と評価を得た。「ツァイトガイスト」を企画したクリストス・ヨアヒミデスは、現代美術のアカデミズム化や官僚主導による大型美術展の傾向に異議を唱え、新表現主義の台頭がそれらの状況に反抗しようとする意識のあらわれであると見解を示した。