《絵画の死》The Death of Painting/アートスケープより
19世紀初めに写真が発明されてから何度となく繰り返されてきた美術史上における★絵画の衰退を言い表わす言葉。写真の発明後、理想ではなく目に見える現実を描こうとする写実主義のもと、古典絵画を解体したエドゥアール・マネや、人体や物を不動で無時間的なものと捉えてきた絵画に、運動や時間という観念を導入したマルセル・デュシャン。あるいは、絵画から再現性を排除し、色と線の純粋な構成による抽象画を生み出したピエト・モンドリアンや、画面からイメージを追放して表現行為を極めたジャクソン・ポロック、そしてミニマリズムからコンセプチュアル・アートに至る流れなど、それまでの★絵画の枠組みからの逸脱が起こり、その存在意義が問い返されるたびに絵画の終焉が語られてきた。だが、「絵画の死」の反動として「絵画への回帰」が起こるため、それで絵画がなくなることはなかった。例えば、伝統的な主題を具象的に描く1970-80年代の新表現主義は、ミニマリズムやコンセプチュアル・アートの禁欲的な表現に疲弊していた美術界に歓迎された。しかし、その懐古的な表現が絵画における新たなオリジナルの追求を断念させ、既存のイメージや様式を引用し、組み合わせて再提示するシミュレーショニズムへと一気に向かわせたことからもわかるように、★安易な「絵画への回帰」はアートシーンを停滞させる危険性をはらんでいる。
・・・ここでいう「絵画」とは何か?「絵画の枠組み」とは何か?ルネッサンス初期の芸術家・アルベルティは『絵画論』の中で絵画を★「開いた窓」として語っている。
【レオン・バッティスタ・アルベルティ】Leon Battista Alberti(1404~1472)
初期ルネサンスの人文主義者、建築理論家、建築家である。専攻分野は法学、古典学、数学、演劇作品、詩作であり、また絵画、彫刻については実作だけでなく★理論の構築にも寄与する。音楽と運動競技にも秀で、両足を揃えた状態で人を飛び越したと伝えられる。彼は多方面に才能を発揮し、ルネサンス期に理想とされた★「万能の人」の最初の典型と言われた天才。確実に彼に帰属するとされる絵画、彫刻は現在のところ伝わっておらず、建築作品についても少数ではあるが、深い芸術理論は様々な分野で後世に影響を与えた。
アルベルティの『絵画論(De pictura)』は、西洋絵画を確立したものであると言っても過言ではない。彼は遠近法の手法を構築し、★絵画は「遠近法と構成と物語」の三つの要素が調和したものであると考え、これによって絵画の空間を秩序づけた。彼は、芸術作品について常に調和を重んじ、それを文法化することに腐心した。そのため、彼の芸術論は非常に優れたテキストであった。ルネサンス最初の建築理論となる『建築論』は、ウィトルウィウスの『建築について(建築十書)』と、ローマ建築の遺構を調査して書き上げられたものであるが、ウィトルウィウスのラテン語能力の低さと、用いられているギリシャ建築の用語が全く知られていなかったため、『建築について』の理解は多難を極めた。しかし、彼は建築比例と5種類のオーダーを再発見し、その要素を『建築論』にまとめた。アルベルティの紹介した★人体比例は、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名なスケッチ、『ウィトルウィウスによる人体比例図』に図式されている。建築論を書いた後に設計をはじめたという点が独特であるが、その建築作品は教条的ではなく、自らの『建築論』にしたがわない部分もしばしば見受けられる。また、ローマ建築を懐古的に処理することもなく、むしろ自由に、実験的に操作した。
アルベルティは風力の定量的な測定器を作った初めての人とされている。彼は1450年頃に板の傾きで風圧を測る風力計(swinging-plate anemometer)を考案した[3]。レオナルド・ダ・ビンチが考案したとされる風力計より約20年早く、しかもレオナルドはアルベルティの風力計にも言及しているので、アルベルティの風力計が記録が残っている中で世界で最も古いとされている。また、彼は最も古い湿度計も作ったとされている。それは1452年に「建築論(De re aedificatoria libri decem)」の中に記されたもので、海綿(スポンジ)が湿ると重さが変わることを利用したものである。
《フレームFrame》アートスケープより
狭義には絵画の額縁をさすが、現在ではそのような物理的な枠に加え、画面内の空間と外部の現実空間を隔てる非物質的な境界という意味も内包している。初期ルネサンスの建築家レオン・バッティスタ・アルベルティの『絵画論』(1435)では、画家は絵画を★「開いた窓」に見立てており、遠近法を用いて描かれた絵画は、額縁がもつ「窓」の性質によって再現性が担保されていた。しかし、そのような視覚的再現=表象性は、近現代以降の絵画において批判の対象となり、境界領域としてのフレームがもつ作用についても俎上に載せられた。例えばクレメント・グリーンバーグは論文「モダニズムの絵画」(1965)において、それら絵画を長年支配してきたリアリズムやイリュージョニズムが、★「メディウムの本質」を隠蔽してきたとして、還元不可能な絵画の本質を★平面性に見出した。フランク・ステラのシェイプド・キャンヴァスは、矩形の形態から逸脱していながらも、それら60年代に制作されたシリーズにおいて描かれたモチーフがキャンヴァスの輪郭線と一致していることから、グリーンバーグによるフォーマリズムの影響がうかがえるだろう。さらにロザリンド・クラウスは、オディロン・ルドンら象徴主義の画家が画面内に描いた窓の形態から、20世紀以降の絵画がもつ幾何学的構造としての★「グリッド」の概念を抽出した。グリッドは求心的/遠心的性質をもち、特に遠心的性質は作品の内側から外側へと作用し、「フレームを越えた一つの世界の認識」を鑑賞者に強いるものとされる。そのようなグリッドがもつ連続性は、絵画における知覚の問題に留まらず、アンディ・ウォーホルらの写真を用いた作品や、ルイーズ・ネヴェルソンの建築空間に関連が見られる立体作品まで拡張可能な概念として、展開された。なお、ジャック・デリダは「彫像の衣服」や建造物の「列柱」とともに、絵画の額縁に★「パレルゴン」を見出している。パレルゴンとは、作品に対して本質的でも付随的でもない「作品-外的補足物」であり、デリダはそのようなパレルゴンとしての額縁の境界領域を問うことで、絵画あるいは作品を論じた。
《メディウムの本質》メディウム・スペシフィシティMedium Specificity/アートスケープより
素材や媒体に固有の性質のことを示す美学/批評用語。モダニズムの美術批評の理論的展開において重視され、特に批評家、C・グリーンバーグの言説によって広まった。グリーンバーグは、モダニズム芸術の歴史を自己批判による自己純化の過程として捉え、その過程において絵画や彫刻は、各々の媒体にとって非本質的な要素を次第に削減し、媒体固有の限界を見出すと考えた。グリーンバーグによれば、絵画においては「平面性」が他の領域と共有することのない本質であるとされ、そのような還元主義的な手続きにおいて芸術領域の自律性や「純粋さ」が確保されるという。ゆえにメディウム・スペシフィシティという概念はフォーマリズム批評ともきわめて密接な関係にある。グリーンバーグの影響下に批評家として活動を開始した60年代のM・フリードもまた、絵画に特定の限界を記述することを、特にF・ステラやK・ノーランドの作品分析において重視した。またR・E・クラウスはモダニズム批評にたいする批判的な視座から、映像などの非物質的な媒体における技術的な特性を「メディウム」の見地から分析する「ポスト・メディウム」論を展開している。
《参考》「幽体離脱の芸術論」への助走~メディウムスペシフィックではないフォーマリズムへ向けて~/文:古谷利裕/エクリより
https://ekrits.jp/2018/03/2515/
・・・もうこれ以上は、私の理解力?を超えてしまうので終わりにしますが、結論として「描いている本人」が「絵を描いている」と★意識していれば「絵」であり「絵画」、「見ている他者」が「絵を見ている」もしくは「見ているのは絵」だと★認識すれば、そこに「絵」もしくは「絵画」が存在しているということになる。
《参考》違い.siteより
絵は★「平面に写されたもの」。写真や印刷物などが主に該当し、広くいろいろなものが絵と表現できることになります。絵画は★「キャンバスに絵の具を使用して何かしらを描くこと」。一般的に絵を描くというときには、出来上がったものは絵画という表現を使うことができるのです。絵との違いは難しいですが、絵画の方が範囲が狭いと言えます。
「絵」はなにかしらの形がある対象を★描いたもの。「画」は面に★映った像の光をさすようです。絵を描く人も「絵を描く」とは言っても、「画を描く」とは言わないけど「画面をつくる」などはいうし、画家や画商とはいっても、絵家や絵商とは言わない。
・・・「違い」の「違い」は「同じ」、もうどうでもいいっか?