チチヤス | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・ヨーグルトと言えば「チチヤス」、幼少期より親しんできました。阪神高速で伊丹空港に向かう途中にあった「立体看板」には、思わず見とれてしまうほどでした。残念ながら、現在は撤去され「付箋」はがされてしまいました。

 

《チチヤス》初代チー坊が復活!2007年~現在

https://www.chichiyasu.com/chibo

平成14年頃より復刻イメージで使用。平成19年より全面的に起用。チー坊グッズも作成し、キャンペーン等にも使用。チチヤスは、同社創業日である★6月1日を「チー坊の日(チチヤスの日)」として日本記念日協会に申請し、登録が決定した。2018年5月31日には広島県廿日市市の同社本社において、登録を記念した「記念日登録証」の授与式が開催された。

チチヤス製品のパッケージにある★1917年(大正6年)は、チチヤス社が日本で初めてヨーグルトをある程度の規模で製造販売を開始した年のようです。それ以前にも、日本にはヨーグルトらしき発酵乳はありましたが、工業的規模の生産ではなかったのでしょう。様々な資料には、1919年に「ダノン」社がスペインのバルセロナに建てた工場で、ヨーグルトの本格的な工業生産が始まったとあります。チチヤスの1917年はダノンの工場における製造開始よりも2年早いことになり、「日本で最初」なだけでなく、「世界で最初」の工業的生産の開始であった可能性すらあります。ただ、「工場」や「工業的生産」をどの程度の規模で判断するかによっても変わってくるかもしれません。

《NEWS》伊藤園、チチヤスを完全子会社化/商品開発や販売機会の拡大図る

伊藤園は2011年4月25日、ジェイ・ウィル・パートナーズ社が管理運営するファンドとその子会社が保有する乳業メーカー・チチヤス社の発行済み全株式を取得し、完全子会社化することを決定した。株式は5月25日に取得する予定。清涼飲料事業に加え、乳製品事業も展開することで、伊藤園グループのさらなる地位向上をめざす。

 

・・・「チチヤスの日」から1ケ月、もう7月。そして、今回注目したのがチチヤス×伊藤園の広口ペットボトル容器。「ヘルシー系 ナタデココ マンゴーヨーグルト味」「ヘルシー系 タピオカこんにゃく バナナヨーグルト味」の2種類が販売されましたが、最近あんまり見かけない。よくぞ2本購入しておいたものです、とはいうもののどう使うか思案にくれて、羽根になるかなと切断して置いてありました。

 

・・・そして、このままではと重い腰を上げ、とにかく穴に入りそうなものを探しました。一つは、化粧品のサンプル容器、そして、なんと「ガラスビン」でちょうどのものがありました。

 

・・・このビンの中には、大好きな歌を入れてあります。

 

《椰子(やし)の実》/作詞:島崎藤村・作曲:大中寅二

名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ

故郷(ふるさと)の岸を 離れて 汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる 枝はなお 影をやなせる

われもまた 渚(なぎさ)を枕 孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば 新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)

海の日の 沈むを見れば 激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙

 思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお) いずれの日にか 国に帰らん

 

この歌は、島崎藤村の友人である柳田国男(民族学)から 伊良湖の海浜に漂着したヤシの実のことを聞いて作られたといわれていますが 伊良湖岬のある田原観光協会では、1988年から『遠き島』を石垣島に想定して ヤシの実流しを毎年おこなっています。

https://www.aichi-now.jp/spots/detail/2581/

 

《NEWS》2018.6.14毎日新聞より

波に愛のせ30年/石垣島から各地へ

「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子(やし)の実一つ」--。島崎藤村(1872~1943)の叙情詩「椰子の実」創作の「舞台」となった渥美半島・伊良湖岬がある愛知県田原市の有志が取り組む「ヤシの実流し」が今年で30年を迎える。「遠き島」に見立てた沖縄・石垣島の沖から流したヤシの実は、これまでに長崎県や宮崎県、鹿児島県など九州各地の海岸にも漂着。関係者は今年も★偶然の出会いに期待している。

 

・・・アートも多分に「偶然の出会い」ヒラメキです。