「百聞は一見にしかず」という格言があります。
《「漢書」趙充国伝から》人から何度も聞くより、一度実際に自分の目で見るほうが確かであり、よくわかるという意味ですが、「見る」という部分より「自分で(主体性)」というところに大きな意味があります。ただ「見る(観光)」ということと「視る、観る(観察)」の違いです。目的や方向を定めないと「見えない」「見えてこない」、そのためには事前の情報収集や学習が必要になります。
さて造形教室ではもう一歩すすめて、「みる」から「やってみる(こころみる)」へ。
「手は第2の脳」とか「手は外部の脳」などと言われます。「外部の脳」というのは哲学者のカントが言ったとされます。「脳を刺激するには手を使うのが大事」とか「手先の器用な人は頭がいい」などと昔からよく言われますが、握る・つまむ・押す・引っ張る・など複雑な動きで私たちの生活を支えています。あまりにも当たり前すぎて、その働きについて考えることはほとんどありません。実は大脳皮質の約3割が、手指の動きをコントロールするために使われているそうです。カナダの脳神経外科医ペンフィールド(1891~1976)さんの図によると、手や指のはたらきは顔や口などと同様に、大脳皮質の多くの部分を占めているということです。大脳皮質の各部位と人間の体の各部位の感覚や運動の関係を示した図です。それによって、足や頭、手や指、顔、舌、唇などの感覚や運動の機能が、大脳皮質のあちこちにあって、それぞれ分業していることが分かったのです。人間は2本の足で歩行できるほ乳類ですが、ほかのほ乳類と決定的に違うのは、手指を自由に操れることだといわれます。手を使うことで人間が文明を築いてきたといわれるのはそういうことだったわけです。指先には脳につながっている神経がたくさんあるといわれています。「手は第2の脳」とか「手は外部に出た脳」などといわれる所以がここにあります。「塩ひとつまみ」とか「手ばかり(手で分量をはかること)」「手ざわり」「手探り」など、分量や感触などにまつわる手指に由来する言葉はいろいろあります。それだけ手指は優秀な感覚器官ということなのかもしれません。そんなわけで「手指を使うと脳が活性化される」・・ということに結びつきます。
しかし、漫然と手や指を使っても脳は刺激されません。日常の慣れてしまった動きでは、あまり脳は活性されないからです。脳が刺激されるのは、簡単にいえば「やり慣れていないことをする」ことです。たとえば「きき手とは逆の手で歯みがきをする」とか「食べる」、「左右の手で違う図形を描く」などや「一人じゃんけんをする」や「相手に負けるじゃんけんをする」など、できれば「楽器を演奏する」「絵を描く」「編み物をする」「プラモデルを作る」といったことも脳の活性にいいわけです。
ただ何も考えずに漫然と指を動かしたり、義務感やいやいややっても活性化されません。楽しくないと脳は刺激されないのです。楽器でも絵でも編み物でも、指使いや筆づかいが初心者くらいのほうが脳には刺激になるようです。慣れてしまうとあまり刺激にならないので、上達したらさらに難しい技法や新しい題材に挑戦してみるのがいいのかもしれません。
《参考》
●「プラスウェルネス」コラム
https://www.pluswellness.com/pluscolumn/detail.php?column_id=671
●「やすらぎ鍼灸整骨院」
https://yasuragi-hari.com/?p=2022
結論は「つくろう」「えがこう」「やってみよう」です。
この造形教室が、お手伝いします。
※「障害」のある方々をサポートする様々な機器や装具(★もののつながり)が開発されていますし、もとより介助・介護するスタッフ(★人のつながり)がもっとも大切であることは言うまでもありません。