・・・「街道」に興味をもち「道標、標柱(石柱)」を追いかけて、旧道を走り回っていると「赤丸ポスト」も多く発見する。
・・・大切にしている三輪車に乗っている幼児期の写真、後方に写っている「赤丸ポスト」。そんなこともあって発見するたびに、幼児期の記憶が蘇る。
《590-0136堺市南区美木多上7》
《590-0116堺市南区若松台2-1-2》
《590-0116堺市南区若松台2-4-4》
《郵政博物館》
https://www.postalmuseum.jp/column/transition/post_10.html
日本で郵便制度が始まった明治4(1871)年に、日本で最初のポストも誕生しました。脚付の台に四角い箱をのせた木製ポストは、書状(手紙)を集める箱であることから「書状集め箱」と呼ばれ、郵便の開業を知らせる「太政官布告」、郵便の利用方法を知らせる「書状を出す人の心得」、あて地別の郵便料金と届くまでの時間を知らせる「各地時間賃銭表」が付けられていました。
書状集め箱は、東京に12カ所、京都に5カ所、大阪に8カ所、そして3都市を結ぶ東海道の宿場62カ所に設置されました。
明治5(1872)年になると郵便が全国に実施されたため、郵便局(当時は郵便取扱所)の数もぐんと増え、それにあわせてたくさんのポストが必要になりました。そこで、杉板を四角い柱のように組み合わせ、かどに鉄板を張って黒いペンキを塗った「黒塗柱箱」(黒ポスト)が作られました。その後、明治34(1901)年に火事に強い鉄製の★赤色丸型ポストが考案されると「赤くて丸い」ポストの時代が始まりました。この時、ポストを「赤色」に塗ったのはポストの位置をわかりやすくするためでした。また、かどを丸くして通行のじゃまにならないようにしました。昭和12(1937)年に日中戦争が始まり戦時体制下に入ると、物資対策のため、鉄製の郵便ポストのかわりにコンクリートや陶器など、代用の資材を用いたポストが出現しましたが、昭和20(1945)年に終戦をむかえ、再び鉄製ポストが使用されました。★昭和24(1949)年の郵便差出箱1号(丸型)を最後に丸い形のポストは終わり、それ以降は大量の郵便物の差し出しや取り集め作業のスピードアップに対応し★角型になりました。
・・・郵政150周年、ますます「赤丸ポスト」を大切にしていきたいものです。
・・・周辺には、大切にしたい歴史が息づいている。「赤丸ポスト」という付箋がきっかけとなり、赤い鳥居の神社に出会いました。