・・・ブログ「ケンチク」とも関連する内容ですが、
《慶沢園茶室「長生庵」》
543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-108/天王寺動物公園事務所06-6771-8401
https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000103457.html
天王寺公園慶沢園内にある、落ち着いた雰囲気の茶室です。★「慶沢園」は、もと住友家茶臼山本邸内の庭園として、木津聿斎(きづいっさい)の設計にて、京都の名庭園師小川治兵衛の手により明治41年に着工し、大正7年に完成しました。その後、大正10年に住友家の転宅とともに、昭和元年に慶沢園を含む茶臼山一帯の土地を大阪市に寄付され、天王寺公園の一部になりました。「慶沢園」は当初、伏見宮貞愛親王伏見が「照代之恩恵、祖先之余沢」から意味をとられて名付けられた「恵澤園」としていましたが、大正7年茶臼山本邸の完成の際に現在の文字となりました。
・・・残念ながら★「台風」のため、参加を見合わせたイベントがありました。
《剥張》
https://osaka-hyougu.or.jp/event/event1710hakucho.html
2017年10月21日(土曜)・22日(日曜)、天王寺公園内・慶沢園★茶室「長生庵」の襖、障子、腰張りの公開張替イベントを開催しました。★台風が近づく雨の中のイベントとなりましたが、多くの方々にご来場いただき誠にありがとうございました。イベント中にさまざまなパフォーマンスをしていただきました方々、材料提供を頂いたメーカー様にも厚く御礼申し上げます。2日目(22日)には暴風警報が発令され、慶沢園入り口が閉鎖となり、わざわざご来場いただいた方には大変ご迷惑をお掛けし申し訳ございませんでした。「剥張(はくちょう)/~美しい日本を後世に残す表具師の仕事〜」と題して開催した、このイベントは「表具師」の仕事を直にご覧いただき、一般の方々に広く知って頂くために企画されたイベントでした。昨今では「掛軸」や「屏風」はもちろんのこと、「襖(ふすま)」までもが生活空間から消えつつあります。この「表具」という「和紙と木」でつくられる「空間しつらえ」には、先人たちのさまざまな知恵が詰まっており、モノを大切に受け継いでゆく我が国日本の「理にかなったリユース」の知恵が沢山詰まっています。昔ながらの扉、日本固有の「襖」「障子」は使うごとに木の味わいが増し、張替をしてゆくことで何代にも亘り使用されます。今回張替をさせていただいた慶沢園・茶室「長生庵」の襖、障子は竣工当時のものかどうかは定かではありませんが、★下張りには反古紙(楮和紙の古い大福帳や手紙)が使用され、引手も昨今取り入れられている工業製品ではなく「引手職人」が作った引手が使われ引手底部分には★和紙が巻かれておりました。また、縁には「くの字」に曲がった折れ釘が使われており、長年使用されてきた襖であることは間違いありません。ご来場いただいたお客様からは「初めて見た」「初めて知った」「へぇ〜、そんな風に出来てるんですか!」との沢山のお声を頂戴しました。美術館で硝子越しに見る、襖や屏風の中身をご覧いただくような感じですね。このような機会は滅多にありませんが、表具師の仕事を広く一般の方々にご覧いただける機会が今後も持てることを願っております。
・・・実際に見たかったなあ~
《参考》「書道反古紙」
http://ecoshin.or.jp/sub2.html
書道反古紙とは、小学校・中学校・高等学校の書道の授業や書道家から出る書き損じ・使用済みの書道用紙のことです。古紙類のリサイクルにおいて、書道反古紙は★禁忌品扱いとなっているため、ペーパー資源回収などに出すことはできません。墨(墨液)は東洋のインクともいわれ、天然素材(すす<炭素>と、膠<動物の皮革や骨髄からとられる強力な糊>)で作られています。廉価な墨液も、環境汚染につながる物質はほとんど入っていません。しかし、墨の特性が優れているが故に、★脱墨は不可能と考えられ、書道反古紙は再生されずに廃棄され続けてきました。
一番多いのは「一般可燃ごみに出す」です。昨今叫ばれているごみの減量化に相反して、耳が痛いところです。事業ごみ・ペーパー資源ごみについては回収業者によって集められ、専門工場で選別にかけられて、一般的には再生パルプになります。再生パルプは、用途に合わせて十数種類にランク分けされます。書道反古紙がもしAランク(良質)の原料に混入した場合、この再生パルプのランクは大幅に下げられてしまうのです。工場によっては選別の段階ではじかれ、結果的に一般可燃ごみに回ることもあります。
・・・知らんかったなあ。
《反古座》
すきかえし用の反古紙を商った中世商人の座。すきかえし紙である★宿紙(しゆくし)は、綸旨・補任状などの用紙として朝廷で用いられ、律令制以来図書寮(ずしよりよう)の管掌するところであった。この宿紙を扱う座を宿紙上下座といい、上座は図書寮に所属する紙工が座をなしたもので、栂井氏の支配下にあった。下座は紙の需要が増大したことにより、室町期に商品生産に応じて生まれた新しい座である。上座・下座では宿紙のほかに続紙、御幣紙、緑紙、黄紙などをつくり、公事として貢納している。
《宿紙》
〈すくし〉ともよみ〈熟紙(じゆくし)〉ともいう。平安時代以降、使用済みの紙や反故(ほご)紙を原料として漉(す)いた紙をさし、〈漉返し紙(すきかえしがみ)〉、また墨を含むため色が浅黒いので〈薄墨紙(うすずみがみ)〉ともいった。764年(天平宝字8)の《正倉院文書》に、★生紙(きがみ)に対する加工紙の意で、〈熟紙〉として初出するが、〈しゅくし〉はこれの清読であるとする説(《古今要覧考》)や〈旧〉の意で〈宿〉の字を用いたのだとする説(《類聚名物考》)など諸説ある。
《紙屋紙》
〈かんやがみ〉ともいう。紙屋院(かみやいん)で漉(す)き出された和紙。もとは図書寮紙屋院(ずしょりょうしおくいん)で漉かれた紙を示し、728年(神亀5)の『正倉院文書』に初出するが、平安時代の嵯峨(さが)天皇の大同(だいどう)年間(806~810)に京都の野宮(ののみや)の東方へ紙屋院が拡充設立されてからは、そこで漉かれる上質な紙の一般名となった。中国から輸入された★唐紙(からかみ)をしのぐ優秀な、麗しい、ふくよかな紙として、上流貴族の間でもてはやされた。王朝文学のなかにしばしばその賛辞がみられる。紙屋紙の声価はおよそ4世紀近く続くが、平安時代末期に貴族の権威が低下し、紙屋院の機構が衰退するとともにその紙質も低下し、陸奥紙(みちのくがみ)などの優れた地方産紙が出回るにつれ、ついに★故紙の再生、すなわち宿紙(しゅくし)の代名詞のようになった。紙屋院のそばを流れる川は★紙屋川とよばれ、紙漉きの伝統は川に沿って続くが、江戸時代から明治にかけては西洞院紙(にしのとういんがみ)などの★ちり紙が盛んに生産された。
《参考》「故紙」はいつから「古紙」になったの/古紙四方山話より
https://www.ojisaitoushigyo.co.jp/blog/index.php?itemid=23
昭和31年7月5日の国語審議会の建議と報告にある「同音の漢字による書きかえ」によると、当用漢字(現在の常用漢字)の使用を円滑にするために、当用漢字表以外の漢字を含んで構成されている漢字を処理する方法の一つとして、表中同音の別の漢字に書きかえることが考えられるとあり、例として、糺明→糾明、撒水→散水が挙げてある。しかし、★故紙の故は当用漢字であるから取り上げられなかった。一方、『国語年鑑』(国立国語研究所)(昭和32年)32頁によると、新聞業界では昭和28年8月から用語懇談会で表外字を使った用語の「言いかえ」作業を30年1月に終えたあと、二通り以上書き方のある用語の統一作業を始め31年1月に完了したが、その統一は次のような方針によって行われた。すなわち、二つ以上が慣用されている場合は★字画の少ない方による。例えば、因襲→因習、隠退→引退、自由型→自由形という具合である。★そこで故紙の故は画数の少ない古で置き換えられることになった。『新聞用語集』(日本新聞協会)および『毎日新聞用語集』(毎日新聞社)には、こし(故紙)→統(古紙)となっている。統とは二つ以上の表記があるものの処理で、【1】その一方を統一的に使うものに統を付け、【2】比較的に慣用度が高いと認められる方を使うものには統を付けない、例えば稼動→稼働、幕明け→幕開けのようである。つまり国語審議会の方針に沿ってはいるが、常用漢字とは違う経路で昭和31年頃から新聞で「故紙」を「古紙」と統一的に書き換えることになったのである。新聞で使われると次第に世の中に広まるものであるが、公式には昭和31年からかなり後まで故紙という表記が使用されるが、その後に古紙と故紙が併記されることが行われる。例えば日本工業規格JISでは1969年改訂版(昭和34年)に紙・板紙の用語としてはじめて「故紙」が採用されるのであるが、その時は「古紙」ではなかった。それが79年改訂版(昭和54年)になると「古(故)紙」と併記の形になり1998年版で「古紙」となった。通産省の紙・パルプ統計年報で「故紙」が「古紙」に変わるのは昭和63年(1988)のことである。一般社会では比較的早く古紙に切り替わったようで、古紙再生促進センターが設立されたのは昭和49年(1974)である。しかし、製紙技術関係で公式に古紙が採用されるのはかなり後である。紙パルプ技術協会が発行した昭和47年(1972)の『紙パルプ技術便覧』、50年(1975)の『新訂紙パルプ事典』ではいずれも「故紙」となっていたが、57年(1982)の『紙パルプ技術便覧』、58年(1983)の『紙パルプ事典』では「古紙」となった。つまり、昭和31年頃に新聞用語として故紙を古紙と書くようになったのが一般化し、昭和63年頃になると公式にも定着した。★書き換えであるから意味は全く同じなのである。
・・・いやあおもしろい。なんでも調べてみるものですね、チコちゃん!