古民家再生 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《菅原神社/上野天神宮》

518-0861三重県伊賀市上野東町2929/0595-21-2940

https://www.ueno-tenjin-matsuri.com/about/sugawarajinja/

当神社は贈太政大臣正一位★菅原朝臣道真公(845~903)を主神とし、古く上野村に祀られていた九社神社を相殿としてお祀りしています。古くは天満宮と申し上げ又、天神宮とも称し、通称お天神さんと親しまれている旧上野町43ヶ町8千戸の惣社であります。文学の神様として信仰が篤く、合格祈願を始め文芸の上達を祈る参詣者が後をたたず年間に亘り社頭を賑わせています。また、伝説による牛馬との関係から牛馬の守護神としての特殊信仰があって農事や畜産関係者の崇敬も深く5社詣りの中心的な社柄でもあります。

「上野天神祭のダンジリ行事」として、2002年(平成14)2月12日に国重要無形民俗文化財に指定され、また、2016年(平成28年)12月1日(日本時間)には、ユネスコ無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」33件の一つとして登録されました。上野天神祭の特色として、印(しるし)と鬼行列、印と楼車という、囃される物と囃す物とが対になっているということなどが、特に認められました。上野天神祭は、江戸時代前期の1660年(万治3年)旧暦9月に再興された祭礼です。当時「天神祭礼」と呼ばれたこの祭礼は再興というものの、それ以前のことは詳らかではありません。伊賀国を治めていた藤堂藩の許可のもと行われた天神祭礼の行列は、再興後程なくして丸之内(城内)へ巡行するようになりました。藩主も見物することから、町人の街として栄えた三筋町(本町筋・二之町筋・三之町筋)の町々は、出し物を競い合い、趣向を凝らした行列となりました。たとえば、3代藩主・藤堂高久が御覧になった1688年(貞享5)の天神祭礼では、「石引」の行列や、牡丹・梅・菊の「作り花」の行列が記録されています。(『統集懐録』)。

 

★句集「貝おほひ」作:松尾芭蕉

松尾芭蕉が伊賀上野の天満宮に処女作「貝おほひ」を奉納し江戸に旅立つ。芭蕉の生前中自著として刊行した唯一の出版物で現在一冊だけが現存するといわれる。「貝おほひ」の刊本は、延宝初年に江戸の中野半兵衛から出版されたもので、★天理大学附属天理図書館が所蔵している。版木が発見されたので50冊複製された中の一冊が、天理大学から昭和21年に奉納されたそうです。

「小六ついたる竹の杖、ふしぶし多き小歌にすがり、あるははやり言葉の一くせあるを種として、捨られし句どもをあつめ、右と左にわかちてつれぶしにうたはしめ、」というのが書き出しです。

 

※「天理大学綿屋文庫」

所蔵の古典籍には学者、蒐書家などの蔵書を一括入手したものも多い。中でも綿屋文庫、古義堂文庫、吉田文庫の3件は別置され、請求記号も他の図書とは別になっている。綿屋文庫は中山家(天理教教祖中山みきの家)の屋号★「綿屋」にちなむもので、名古屋の石田元季(石田春風)旧蔵の近世文学書約1万冊、神戸の川西和露旧蔵の俳諧書約3千冊、京都の藤井乙男(藤井紫影)旧蔵の近世文学書約5千冊などを含む文学関係資料が中心で、柿衞文庫、東京大学図書館「洒竹・竹冷文庫」とともに三大俳諧コレクションと評価されている。

★天理図書館開館90周年記念展-新収稀覯本を中心に-

https://www.tcl.gr.jp/exh/exh-4574/

 

★句碑「初桜 折しも今日は よき日なり(松尾芭蕉)」

芭蕉が45歳の元禄元年、郷里伊賀上野の「薬師寺」で催された、句会の初会合での句。「薬師寺の境内には、初桜がチラホラ咲いて、今日は句会の発足に相応しい、まことによい日である。」と詠った。

 

・・・残念ながら「貝おほひ」は展示されていませんでした。詳細は、後日紹介します。そろそろ晩御飯です。

 

《廣岡弘文堂》

518-0863三重県伊賀市上野新町2765/0595-21-0663

http://www.iga-hanko.com/index.html

★創業1899年の「はんこ屋」として日本文化のはんこ手彫り吉相印は、日展作家の技術が息づいています。毎日展作家が印相学で鑑定して、文字を創作し謹刻させていただきます。又、時代の流れに合った、特急仕上げ、安価な商品(機械彫り)もございます。商品により、当店の印鑑保証保険、印鑑供養(無料)もございます。

 

《伊賀鉄道「広小路駅」》三重県伊賀市上野玄蕃町

https://www.igatetsu.co.jp/cat89/cat94/

単式ホーム1面1線を持つ地上駅。無人駅で、古びた趣のある駅舎がホーム側面にあったが、2007年8月27日に撤去され、ホームに直接入る形となった。また、棒線駅のため、伊賀神戸行きと上野市行きの双方が同一ホームに発着する。ホーム有効長は2両分。隣駅★上野市駅とは0.5kmしか離れていないが、カーブや住宅等があるため互いの駅はホームからは見えない。

 

・・・「自由にお撮りください」看板、こういうおもてなし好きやなあ。もう、おなかぺこぺこ。

 

※「農人町の道標」(伊賀市農人町)

伊賀街道・大和街道の追分にある。「直ぐ京大坂/なら者(は)せ道」「すぐいせ/左り 江戸 みち」「☞すぐはせ/農人甼中」「是ヨリ/北江 東海道 関」★四面全てに行き先が書かれているのは珍しい。

 

《参考》「伊賀上野城下町ホテル」(正式名称:古民家等再生活用事業)

https://www.city.iga.lg.jp/0000007252.html

人口減少や少子高齢化に伴い、全国的に空き家の増加が社会問題となっています。市内でも空き家の増加が進んでおり、特に伊賀上野城下町(中心市街地)の密集した住宅は移住者の希望には合わず、中心市街地の空洞化が進んでいる状況です。中心市街地の空き家密度も1㎢あたり220棟と郊外では8.6棟と比較してもおよそ26倍も高くなっています。さらに、75歳以上の高齢者人口がピークとなる2030年以降は、一転して高齢者人口が減少することから、空き家が急増すると見込まれ、中心市街地の空き家化が加速することが想定され、中心市街地の空き家の増加を抑制し、空き家の活用が喫緊の課題となっています。また、伊賀上野城下町には、歴史的建築物が多く残されていますが、活用されず放置されたままになっています。これらの歴史的建造物やその景観をどのように保存し、次代を担う世代に継承を図っていくか、また、地域資源・社会資源として、どのように観光や新たな産業の創出に繋げていくかも重要な課題となっています。これらの課題を解決する手段として、城下町に多数点在する歴史的資源である空き家となった古民家を活用した観光まちづくり、まちの賑わいに繋げていくことを目的として、伊賀上野城下町ホテル(正式名称:古民家等再生活用事業)を展開します。城下町ホテルでは、城下町全体をひとつのホテルとして捉え、城下町にある空き家となった歴史的建築物をホテルの客室や観光交流・体験施設、物産店などさまざまなテナントとして配置し、城下町全体を面と捉え開発を進めます。そのため2019年3月にJR西日本、(株)NOTE、(一社)ノオトと市の4者が業務連携協定を締結し官民連携してまちづくりを進めて行きます。

2019度は、事業の立ち上げとして、★広部邸(上野農人町)、★栄楽館(上野相生町)、旧福森邸(上野幸坂町)といった空き家となった町家を古民家ホテルに改修する計画で、栄楽館には、チェックインフロント機能を備えた、3客室及びレストラン、観光案内窓口などを設けます。また、旧福森邸と広部邸には客室を設け、3棟10客室からスタートします。フロント機能のある栄楽館から、それぞれの客室へ徒歩で移動し、客室までの間、町並みを眺め、散策し、郷土土産や伝統工芸品など伝統と文化に触れ、地場産の買い物や伊賀の食を楽しんでいただく構想です。2019度は、事業の立ち上げとして、民間事業者と連携し、★公設民営として、栄楽館(上野相生町)を整備し、★民設民営として広部邸(上野農人町)、旧福森邸(上野幸坂町)といった空き家となった町家を古民家ホテルに改修する計画で進められています。栄楽館は予定通り2020年3月末に完成しましたが、他2棟は、建物の老朽化が著しく改修や耐震化の方針変更が余儀なくされ、設計や工期の見直しを行う必要ができ、完成が2020年9月頃まで延期することになりました。ホテルの開業は先ず栄楽館だけでも7月開業を目指し進めてきましたが、新型コロナウイルスの感染拡大により、緊急事態宣言が全国に発令され、感染の終息が見込まれないことから、開業時期の検討を行っています。

 

《NEWS》2019.1.16伊賀タウン情報より

栄楽館が閉館へ、レストラン・宿泊施設に改修/伊賀市の公共施設

伊賀市は1月15日、生涯学習施設で国の登録有形文化財の「栄楽館」(上野相生町)を今年3

月末で閉館し、レストランを備えた宿泊施設に改修する計画を明らかにした。市によると、栄楽館は江戸時代から続いた生薬問屋を1873(明治6)年に改造し、料理旅館「栄楽亭」として営業していた木造2階建て数寄屋風の建物。旧上野市(現伊賀市)で教育委員長を務めた故・荒木栄太郎氏が93年に寄贈し、95年から現在の名称で6畳から23畳の和室9部屋と茶室を備えた生涯学習施設として活用してきた。栄楽館の利用状況は、近くのハイトピア伊賀(上野丸之内)に生涯学習センターがオープンしたことや、他の類似施設が整備された影響もあり、2017年度の稼働率は20%に満たなかった。今後は書道や茶会、舞踊などで利用している約10団体や4月以降の予約希望者に閉館の予定や他の貸館施設を案内するという。栄楽館の用途転用について、市は市街地活性化の一策として古民家などの再生活用計画に盛り込んでおり、他の古民家2棟とあわせて20年度の開業をめざすとしている。

 

《まちやガーデン伊賀・色々》

518-0831三重県伊賀市上野農人町423番地

https://www.iga-iroiro.jp/index.html

当施設は、伊賀の地にたたずみ、歴史を刻んできた伝統的歴史建築である町家を生かし、★町家そのものをひとつのまちと見立て、「まちでくらす・まちであそぶ」感覚を提案します。イタリア料理、和のサロン、ガーデンなど、多様な機能を展開し、うえのまちの食文化・和の文化を伝えるとともに、訪れる人の暮らしにさりげなく花を添える存在をめざします。伊賀上野をもっと魅力と元気のあるまちにするために、歴史ある町家の良さを見直し、生かすこと、というまちづくりの実現に向けて、上野の台地で歴史を刻んできた町家を2007年リニューアル。「町家あそび」をコンセプトに、4つの機能を展開し、伊賀の食文化・和の文化を伝え、訪れる人の暮らしに花を添えます。

★「リストランテ・チッタ」

まちやガーデン伊賀内/0595-22-8320

http://www.citta-iga.jp/

暮らしの知恵によって結ばれた町家は、世界に通じる-

まちやガーデン伊賀・色々として改修されたこの建物は、伊賀上野城下町の東の入り口である農人町に、★明治時代末期頃に建てられました。主屋である間口4間半と奥行7間半(約120平方メートル)の空間。その魅力を最大限に伝えていきたいというコンセプトのもと、イタリア料理店として生まれ変わりました。イタリア・シエナで修行を積んだシェフを迎え、本格イタリア料理と歴史が蓄積された町家が生み出すものは、新しくて懐かしい。そんな雰囲気の中で、楽しみと寛ぎの時間をお過ごし下さい。

 

《参考》「NIPPONIA HOTEL 伊賀上野 城下町」

518-0859三重県伊賀市上野相生町2842/0120-210-289

https://www.vmg-igaueno.com/

2020年11月1日(日)オープン。歴史ある邸宅をリノベートした個性ある客室。文化財★旧栄楽館をはじめ、城下町に点在する3棟10室の歴史ある建物が宿泊棟に。

●KANMURI棟(フロント棟)

城下町の碁盤目状の町並みのほぼ中央に位置し、江戸時代から続いた生薬問屋を、料理旅館、学習施設と機能を変えながら、永い間市内外の文化人たちに親しまれてきた歴史的建物。現在では、国の文化財に登録され、今回当ホテルのフロント機能、レストラン、客室としてリノベート。文化財ならではの凝ったしつらえや、茶室を有する客室も。

●KOURAI棟

津市まで続く伊賀街道の起点に面する美麗な町家。伊賀らしさを代表する街道のまちなみそのものにお泊りいただけます。母屋の街道側はくみひもの店舗、工房となっており、奥には中庭が続きその広さに驚く。別棟は複数家族で一棟貸し切りもしていただける広々としたつくりになっています。

●MITAKE棟

城下町の碁盤目状の町並みのほぼ中央に位置し、江戸時代から続いた生薬問屋を、料理旅館、学習施設と機能を変えながら、永い間市内外の文化人たちに親しまれてきた歴史的建物。現在では、国の文化財に登録され、今回当ホテルのフロント機能、レストラン、客室としてリノベート。文化財ならではの凝ったしつらえや、茶室を有する客室も。

 

・・・また、ことあるごとに訪問させていただくことになりそうな「伊賀」、楽しませていただきました。ありがとう。