・・・近藤等則さんの追悼ということで、ブログ「JAZZ」からスタートしました。
【近藤等則】(1948~2020)Wikiより
本名は俊則で、読みは同じ。愛媛県今治市出身。愛媛県立今治西高等学校卒業。京都大学工学部から京都大学文学部英米文学科に転じて卒業。芸名は20代後半に占い師から「名前を変えた方がいい」と言われたことによるもの。多くの著名なアーティストとセッションを重ね、ノイズ、アンビエント、トランス等のエレクトリックサウンド手法を取り入れたオリジナリティ溢れる演奏は、国外でも高く評価されている。演奏ライブに留まらず、画家とライブペインティングを行うなどプロジェクトなども精力的に進めた。なお、参加したライブやレコーディングは膨大であり、山木秀夫 [dr]、酒井泰三 [g]、Reck [b]、富樫春生 [key]、ビル・ラズウェル [b]、ジョン・ゾーン [sax]、デレク・ベイリー [g]、ハービー・ハンコック [key]、ペーター・ブロッツマン [sax]、DJ-KRUSH、栄芝[小唄]等。80年代に結成したIMAバンドで一世を風靡し、1993年(平成5年)にはアムステルダムへ拠点を移し、東京とアムステルダムを行き来しながら「地球を吹く」プロジェクトに取り組む。2012年(平成24年)より日本を活動拠点とし、翌2013年(平成25年)、ドキュメンタリー映画『地球を吹く in Japan』を発表。2014年(平成26年)、音楽ダウンロード販売サイト 近藤等則レコーディングス|Toshinori Kondo Recordings をスタートさせる。
★洋画家の智内兄助とは中学高校の同級生であり友人。2人で絵本なども出版している。
https://www.tamenaga.com/artist-detail/239451/kyosuke-tchinai
《参考》「“ぼくがうまれた音”智内兄助絵本原画展」/於:今治城
2018年7月22日~2018年10月21日
http://imabarijo.blogspot.com/2018/07/blog-post_22.html
『ぼくがうまれた音』は、今治市出身の洋画家★智内兄助氏と、中学・高校の同級生で友人のフリージャズトランペッター★近藤等則氏の共同制作の絵本です。近藤等則氏の生い立ちを、近藤氏自身が文として表現し、智内兄助氏が絵を描きました。この絵本は、絵本の原画作家に贈られる国際賞としては最も古いものの一つである「プラティスラヴァ世界絵本原画展」(スロバキア文化省主催)において、2009年にBIB PLAQUE賞【金牌賞】を受賞しました。本企画展では、この絵本の智内兄助氏の原画14点を展示いたします。この機会に、ぜひご鑑賞ください。
https://www.city.imabari.ehime.jp/museum/imabarijo/event/event.html?p=725
・・・さて、道頓堀生まれの黒田征太郎さんの紹介としては、やはり「おおさかアート」で。
《NEWS》2020.10.20ABCニュースより
黒田征太郎展はじまる
大阪出身の画家・黒田征太郎さんのアートを間近で体感できる「黒田征太郎展」が大阪市内で始まっています。 「大阪府立江之子島文化芸術創造センター」で開催されているのは、「絵で行けるとこ黒田征太郎展」です。会場には、鮮やかな色使いや、繊細な筆づかいが目を引く作品が数多く展示されています。なかには、鉛筆や筆ではなく、釘や車のボンネットの廃材などを使って描かれたものもあります。また、展覧会の開催期間中には、大阪メトロ阿波座駅の8番出口周辺で、地元の子どもたちが色づけしたアートも展示されています。この展覧会は今月末まで開催されています。
《大阪文化芸術フェス2020》
今回の展覧会は、2017年から毎年秋に開催されている大阪文化芸術フェスの一環。会場には、絵画226点とオブジェ46点を展示。このうち90点が、今年8~9月にかけて制作された新作という。初日はオープニングイベントとして、黒田さんと桂文枝さんのトークショーも開催。2人は古くからの友人で、久しぶりの再会を喜び合っていた。
《参考》「レンゴー株式会社」
530-0005大阪市北区中之島2-2-7中之島セントラルタワー/06-6223-2371
https://www.rengo.co.jp/index.html
1909井上貞治郎が三盛舎(のちに三成社)の名称で日本で初めて★段ボール事業を創始。
当社は、「絵で行けるとこ|黒田征太郎展」展示のための段ボール等の提供を通じて当展に協力しています。
《参考》「K2の終わり」
http://www.switch-pub.co.jp/from-editors-2017-04-20/
ある日、ファックスがスイッチ編集部に届いた。「今回の突然の長友啓典の死のことで残念ながら長友、黒田で続けて来たK2の終りなのです。いわばサヨナラK2です。50年近くナンダ、カンダありながら続いていたこと、おかしいですね。その間にK2に参加した皆んなで造ったモノ達はかなりな数になります。いまさらカウント不可能です。たとえば道楽に近い気持ちで造り、世間に送り続けたカレンダーやPOST CARDあるいは飲食店などのモロモロ、長友も黒田も覚えておりません。昔から長友が「りょうハしつヲ越えるねんで」と笑っていました。小さなBARのコースターから大きな会社の宣伝物まで面白がって出しおしみナク笑いながらやってきたのがK2スタイルでした。さて、そんなK2のオシマイの遊び事のポスターと本、残念ながらゴールが直前で長友が居なくなりましたが。テンゴクだかジゴクでゴルフしている長友に仕上げを、みせてやりたい。ですよね。だから黒田は最後の仕上げをあの東京港区六本木の内海ビル4階のK2で行うことに決めました。日、時は近々決めますが、ま、3日〜5日あれば出来るでしょう。手仕事のライブですから。その問に元K2のメンバーで来たい人は来てもらって、出来上がったモノ達、ポスターと本をどうするか?を考えるのもいいかと思っています。以上 黒田征太郎 2017.03.14」
黒田征太郎、長友啓典、二人は1939年、そして大阪生まれだ。個性も考え方も思想も違う二人は30歳を期に黒田のKと啓典のKをとってK2というデザイン事務所を東京六本木に設立した。1969年のことだった。この春、設立50年を前に「K2スタイル」と長友が銘打ち企画する展覧会が、関西で準備されていた。長友啓典、2017年3月4日死去、享年77だった。
・・・近藤等則さんのこと、そしてK2長友啓典さんのこと。展覧会を観ながら、つくづく長生きするって「たいへん」なことだと思った次第です。