《NEWS》2020.10.19スポニチより
世界的ジャズトランペッッター・近藤等則さん急死…71歳、「スーパードライ」CM曲も
世界的ジャズトランペット奏者で、音楽プロデューサーも務めた近藤等則(こんどう・としのり、本名俊則)さんが17日午後8時45分ごろ、川崎市内で急死した。公式サイトで18日、発表された。71歳。愛媛県出身。葬儀は家族葬で営まれる。喪主は長男空太(くうた)氏。お別れの会は未定。 長男、次男の連名による文書で報告。18日には大阪で、★ライブペインティングイベントに出演予定だったとし「楽しみにしておりましたので、残念でなりません」とした。死因は明かしていない。 1967年に京大入学。ジャズに魅了され卒業後にミュージシャンを志し上京。78年以降は米ニューヨーク、オランダ・アムステルダムなどを渡り歩き、ピアニストのハービー・ハンコック(80)らと活動。大自然の中で1人演奏する「地球を吹く」などで注目された。91年のアサヒビール★「スーパードライ」などCM曲も多数手掛け、97年には有馬記念でファンファーレを演奏した。
《大阪文化芸術フェス2020「絵で行けるとこ/黒田征太郎展」》
会期:2020年10月9日(金)~10月31日(土) (月曜休館)
会場:enoco 大阪府立江之子島文化芸術創造センター
★黒田征太郎×★近藤等則(Tp)×中村達也(Ds) ライブペインティング/MC:マーキー
2020年10月18日(日)PM6:30~8:30/無料開催日:2020年10月18日(日)18:30開始予定
※ライブペインティング出演予定だった近藤等則氏が急逝されました。故人の御逝去を悼み、心よりお悔やみ申し上げます。
http://www.enokojima-art.jp/edeikerutoko
・・・ということで、追悼の意をこめて「黒田征太郎展」に行ってきました。
「絵をかく。ただカキタイから。でもなぜだろう?絵はいつからあったのか。そらにかかるニジは絵なのか?ヒトはナゼ絵をかくのだろう。最初に絵の具をつくったのはダレ?しぜんの花の赤、そらの青、みずのミズイロが絵の具の最初?ぼくは絵をかいていると夢中になれる。自分の中に深く深く潜ってゆく気分だ。そんなことを思いながらドロンコの土のあいだにあったクズ鉄をひろってきて絵のようなものにして、もう一度みんなでみてみたい。みてもらおうとつくりました。どうぞ。」 黒田征太郎
本展「絵で行けるとこ」は、黒田征太郎81歳の現在地です。初披露の作品を中心に構成されます。また、新型コロナ禍で塞ぎがちな心に元気を与えること。そして「絵で行けるとこ」を追い求める黒田の渦に、鑑賞者を巻き込むことを目標にしています。その渦は、会場だけにとどまりません。黒田の描いたアイコンを携えて自分の好きな大阪の風景を撮影するタグ付けプロジェクト。小学生たちとの共作では、Osaka Metro阿波座駅が創造と冒険に満ちた場に生まれ変わります。会場、オンライン、街中で「アートがあなたをどこへ連れて行くか」を体験してください。
【黒田征太郎】 Seitaro Kuroda
1939年、大阪・道頓堀に生まれる。1945年、疎開先の滋賀で終戦を迎える。翌年、父が病死。国と家がいっぺんになくなる。7歳で、小さな妹と弟の父親代わりになる。1955年、高校を1年で退学し、米軍の揚陸船に乗り込む。 1年半の間に、プサン、マニラ、サイゴンを巡る。船を降り、陸に戻ってもなお、漂流生活が続く。1962年、早川良雄デザイン事務所に漂着。入所を許されていないにもかかわらず、早川のもとに居座り続ける。そこで、長友啓典と出会う。 1967年29歳で渡米、肉体労働をしながら各地を放浪する。 帰国後、長友啓典と共にデザイン事務所「K2」を設立。日本のグラフィックシーンを席巻する。1968年、野坂昭如と出会う。その他にも、ミュージシャン、演劇人、作家などとの交流を深め、ジャンルの垣根を鉛筆1本で飛び越える。1986年からは、山下洋輔に始まり、近藤等則、坂田明、新井英一、中村達也、斉藤和義ら音楽家や詩人、舞踊家と、これまでに1,000回以上のライブペインティングを開催。1995年の阪神・淡路大震災で被災した神戸には、ライブペインティングや、仮設商店の看板作製などで何度も訪れた。その後も継続的に、被災地に赴いて絵でできる活動を続けている。81歳になった今もその手は止まらず精力的に制作を続け、現在は、人が捨ててしまった廃材を使った新シリーズに取り組んでいる。
《いのちは即興だ》著:近藤等則/地湧社2008
京都、東京、ニューヨーク、東京、アムステルダムと、音楽活動の拠点を移しながら、世界中の都市を多国籍バンド・自分のバンドで演奏して回り、それにもあきたらず、この10余年、「地球を吹く」と称して、地球の大自然の中でエレクトリック・トランペットを即興演奏する旅を続けた。「ミュージシャンになったほうが笑いながら死ねる」と思って、ミュージシャンの道へ進むことを決めた20歳のとき、こんなに世界を動きまわることになるとは思いもしなかった。何がオレをこんなに動かしてきたんだろう。何でオレはこんなに動いているんだろう。60歳を前にして、早朝のアムステルダムで浮かんできたこの疑問に、生きてきたことの不思議さを呼び起こされて、ボー然となる。「オレのいのちが音の神秘に惹かれてしまったから」としか言いようがない。音の秘密に迫りたい、と本当に思ったんだ。そうして夢中で動いているうちに、40年が過ぎようとしている。こんなタイミングに本を出版することになるとは、「まきちらかしてきた今までの人生を少しはまとめなさい」と神様から言われているのだろうか。まだまだ前進するしかないのだが。脳天気なラッパ吹きの話、どうか裸になって読んでください。
・・・合掌