ミドリ(10) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・正直こまっているのです。「ミドリ」を寄り道しすぎて、作品のイメージがまとまりません。今読んでいる開高健「風に訊け」の中に、次のような言葉が出てきました。

 

《玩物喪志》四字熟語辞典より

必要の無いものに★夢中になって、大切なことをなおざりにすること。「喪志」は本来の目的を忘れること。人を好き放題に扱えば自身の徳を失い、物に執着すれば志を失くしてしまうという意味。「物を玩べば志を喪う」とも読む。「書経」より。

 

「中国文明論集(玩物喪志)」著:宮崎市定

明代の芸術家の中で、その作品といい、その議論といい、また後世に対する影響の点からいって、その名を逸することの出来ぬ第一人者はおそらく董其昌(1555~1636)であろう。中国には昔から★玩物喪志、物を愛玩しすぎると人間の本領をなくしてしまうという譬えがある。特にそれは学者や芸術家が、書が骨董の蒐集僻に陥ると、善悪の見さかいさえなくなって不道徳な行為をも平然として行うようになるのを戒めた言葉である。ところで董其昌は芸術家の最も陥りやすい美術品蒐集マニアに憑りつかれたのである。(中略)彼の意見によれば、画は単に自然を師とするだけでは足りない。すべからく古人の筆意を会得した上で無ければならぬ。いいかえれば★独創よりも研究が必要なのである。この董其昌の芸術態度はそのまま清初に引き継がれている。(中略)今日、展覧会場など、雑踏の間で、ガラス越しに拝見するのは、実は窮余の一策にすぎない。★展覧会でしか画を見ないと、展覧会用の画しか描けなくなる。(名品の)普及、大衆化は大切なことには違いないが、しかしそれで(名品の)本来の使命を無視していいことにはならない。近頃はどうも鑑賞の本筋が忘れられてきた。名画の複製なども★一枚ずつ取り出して鑑賞さるべきで、厚い本に綴じつけられたのでは困る。1つ見てわからぬくらいなら、画など見るなと、誰が言い切れるものか。★芸術とは本来が贅沢なものである。だから董其昌の芸術態度はその限りにおいては是認されなければならない。中国では多くの贋物が、古来作られてきた。それは、一重に権力者に所望されたら譲らねばならず、贋物を飾る事が往往にして行われたのである。歴史書に於いて、董其昌は贋物を扱ったと批判されるのだが、宮崎氏は芸術家に関する考察を深めることで、董其昌が贋物を扱った理由を挙げている。それがこの論文の本旨だ。 しかし骨董蒐集家など、特に悪評というものは絶えない。蔵を持つような田舎集落では、骨董屋による悪行というものは有名である。陶芸家にしても、陶片などに於いては善悪の区別を喪失する者が多い。茶道具に於いても同様のことであるが、しかし骨董屋にしても、それ以前に人間であることには疑いが無い。★人間としての素地を失ってはならない。中国では「玩物喪志」という言葉で以てこれを戒めている。道具に囚われてはならないという意味で、やはり中国に源流を持つ茶道や禅道にも、この戒めは底通している様に思う。それは即ち、「如何なる時も善悪の見境を失ってはならない」という一点に在る。

 

 

逆に云えば、★「善悪の見境が盤石で在ってこそ、名品の扱いに習熟出来る」という話であり、★「名物を扱うに人品(品格、人格)を要求する」といった茶道の修行に通じている。若年者が名物を扱うべきでは無いという考え方は、単に「不釣り合い」というだけでなく、「人倫修行の観点」からも説かれていると見るのが自然であろう。いやしかし、中国では常識かもしれないが、現代の日本で、この考え方は通俗していない。また、芸術態度としての”自然を師とするだけでは足りない。すべからく古人の筆意を会得した上で無ければならぬ。いいかえれば独創よりも研究が必要なのである。”という内容は、現代では正に★魯山人が唱えた理論そのものである。書画に通じた魯氏が董其昌の文章を読んでいないと見る方が不自然であるから、魯氏もこの影響下と見る方が実際に近いだろう。しかしまぁ、表立って指摘するのは顰蹙か。魯氏に関わらず、陶器に関わらず、此の手の思想は古いものであり、董其昌は禅にも参じている。★自然と歴史的名品を鑑としての制作。董其昌は明代の、日本で言えば正に戦国時代~桃山時代の人物であり、生年は蒲生氏郷などが近い。桃山の陶工が四苦八苦している一方、中国では滔々と芸術論が展開されていたわけである。日本で此の手の芸術論が為されたのは、まあ20世紀に入ってからであろうか。それも輸入した思想が主体であろう。人類史上に渡り、中華王朝は文物も、思想も、常に圧倒的に優れている。唐物を崇拝した時代も当然のことであっただろう。

 

・・・「自然を師とするだけでは足りない」納得です。さらに「どつぼ」にはまります。

 

 

◆ボードレール(1821~1867)を思い浮かべました。

《巴里の憂鬱》

「お前は誰が一番好きか?云ってみ給え、謎なる男よ、お前の父か、お前の母か、妹か、弟か?」

「私には父も母も、妹も弟もいない」

「友人たちか?」

「今君の口にしたその言葉は、私には今日の日まで意味の解らない代ものだよ」

「お前の祖国か?」

「どういう緯度の下にそれが位置しているかをさえ、私は知っていない」

「美人か?」

「そいつが不死の女神なら、愛しもしようが」

「金か?」

「私はそれが大嫌い、諸君が神さまを嫌うようにさ」

「えへっ!じゃ、お前は何が好きなんだ、唐変木の異人さん?」

★「私は雲が好きなんだ、…あそこを、…ああして飛んでゆく雲、…あの素敵滅法界な雲が好きなんだよ!」

《群衆》

大衆の泉に浸るということは、誰にも許されている能力ではない。★群衆を楽しむことは、一つの芸術である。(中略)大衆と孤独と、この二つの言葉は、生気あり詩想豊かなる詩人にまで、共に相等しく互いに置き換えられるべき言葉である。

《悪の華》★「深きところより叫びぬ」

ぼくはあなたのあわれみを願う、ただひとり愛するあなた

ぼくの心の落ちこんだ、この暗い深淵の底から。

これは鉛色の地平のひろがる陰鬱な世界、

夜のなかを恐怖と冒涜がただよう

《交感》

遠くから響き来るこだまのように

暗然として深い調和のなかに

夜の闇 昼の光のように果てしなく

★五感のすべてが反響する

《『現代生活の画家』》芸術のための芸術運動「モデルニテ」

現代性とは、一時的なもの、うつろい易いもの、偶発的なもので、これが★芸術の半分をなし、他の半分が、★永遠なもの、不易なものである

彼のめざすところは、流行(モード)が歴史的なものの裡に含み得る詩的なものを、流行の中から取り出すこと、★一時的なものから永遠なものを抽出することなのだ

 

・・・ますます「ふかみ」にはまっていきます。

 

 

◆オスカー・ワイルド(1854~1900)「芸術は自然を模倣しない、自然が芸術を模倣するのだ」

「ロンドンアートめぐり」より

https://art.japanesewriterinuk.com/article/anti-mimesis.html

これは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉、「芸術は自然を模倣する」へのアンチテーゼで、アンチミメーシスとも呼ばれる。ワイルドは評論「嘘の衰退」で「Life imitates Art far more than Art imitates Life(芸術が人生を模倣するよりも、人生が芸術を模倣する)It follows, as a corollary from this, that external Nature also imitates Art.(このことから当然、外界の自然もまた芸術を模倣している)」と書いている。さらに、「自然が我々に見せるものは、我々がすでに絵画や詩で見たことのあるものだけだ。それが自然の魅力であり、また弱さの説明でもある」と続く。つまりワイルドは、人生や自然界の中にあるものは、現実ではなく芸術により初めて見いだされる、我々のものの見方は芸術に影響されるとした。例えば、ロンドンの空は何世紀も霧がかったものであったが、霧を美しいと思った人はいなかった。画家が美しい霧を描いたことで、人々は★初めてその美しさに気づくというようなことである。「絵のように美しい景色」という今ではよく聞く言葉も、この考えに近いものであると言えるかもしれない。ここには、芸術至上主義の考え方が表れている。「芸術は現実を超えるものである」という点はアリストテレスの考え方と一見似ているようにも思えるが、この芸術至上主義は「芸術こそが自然に美を与えるものだ」という自然や人生に対する芸術の強い優位性を示すものだ。つまり芸術>>現実(自然)なのである。これは耽美主義(唯美主義)の「美こそが最高の価値」という思想にもつながる。こうした考えはワイルドだけのものではなく、ワイルドの生きた1800年代後半の西洋に出てきた思想の一つであった。当時の急速な科学技術の発展と社会の変化は、多くの人々に「現在の文明はピークに達しており今に崩れるのではないか」という恐れを抱かせた。そうした社会的な不安とアンチミメーシス、耽美主義が影響しあい、19世紀末にはデカダンス(退廃主義)という芸術のムーブメントも生まれた。デカダンスという言葉は18世紀からあり、もともとは18世紀末〜19世紀前半に流行したロマン主義への蔑称として使われた。

 

・・・「人々が初めてその美しさに気づく」ことってあるよね。それこそがアートの存在意義だとおもうわけです。さらに、もっと奥へ。

 

◆パブロ・ピカソ(1881~1973)

「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのに★ずいぶん時間がかかったものだ。」

 

 

◆北大路魯山人(1883~1959)

本当に物の味が判るためには、あくまで食ってみなければならない。飽きがきた時になって、初めてそのものの味がはっきり判るものだ。

個性だとか、創作だとか、口でいうのはやすいことだが、現実に表現が物をいうようなことは、なまやさしい作業でなし得られるものではない。さあ自由なものを作ってみろと解放されたとしても、決して自由はできないものである。第一過去の人間が作った美術に充分心眼が開かなくては、かなわないことである。過去といっても千年も二千年も前からの美術、芸術に眼が利かなくては、かなわないことなのである。食器師だからというので陶器ばかり観ているぐらいの注視力では乙な器は生まれるものではない。★三百年前の茶碗が作りたければ、千年前の美術が分からなくてはかなわぬものである。

◆岡本太郎(1911~1996)

「芸術は、美しくあってはならない、気持ちよくあってはならない、心地よくあってはならない」

「芸術なんてもの、それを★見極めて捨てたところから開けるものなんだ。」

 

 

・・・先を急いではいけない。(寿命は縮んでいくけれど)見極めるためにも「寄り道・脱線・まわり道」こそが必要である、との結論に達しました。適当にお付き合いよろしく、「極める」ために。

 

《コレクターシップ―「集める」ことの叡智と冒険》著:長山靖生/JICC出版局1992

人はなぜモノを集めるのか。最後の殿様・徳川義親から現代の奇才・荒俣宏まで、「集める」ことに憑かれた日本の蒐集狂たちの冒険と思想。集めることは"想い"であるが、それを選択し、配列することは、一種の"思想"にほかならない。モノから叡智を生み出していく方法と発想の実際を、さまざまな先達の生涯に探る待望の書。

《オタクの本懐》著:長山靖生/筑摩書房2005

蒐集癖こそが、おたくの重要な特質である。じつは、日本の近・現代に燦然と輝くコレクターたちは、いずれ劣らぬ、元祖おたくなのであった。柳田国男、南方熊楠から、澁澤龍彦まで、博覧強記の学者や一つ分野を極めたコレクターなど、後の文化に大きく貢献した彼らこそ、おたくの理想像と言える。そうした人物の源流をさぐる異色文化論。

【長山靖生】1962(昭和37)年生まれ。鶴見大学歯学部卒。歯学博士。文芸評論、社会時評、科学史研究など多岐にわたる活動をとおして近代日本のイメージを刷新する仕事を手掛けている。1996年、『偽史冒険世界』で第十回大衆文学研究賞を受賞。

 

《参考》「玩物喪志」「病気自慢」26年前のオタク評が心に刺さる件/2018.2.2より

https://famicoms.net/blog-entry-2717.html

1992年4月に発行された長山靖生著『コレクターシップ』という本のオタク評が、26年前の言説にしては心に刺ささる部分が多かったので感想など並べてみたい。本書は、コレクションという娯楽が王侯貴族のたしなみだった時代から、個人資産家や大企業が担う文化的活動へ変貌していった現代に至るまでに活躍した、名だたる美術品・骨董品・稀覯本コレクターたちの物語だ。

●ここで、オタクと呼ばれるコレクターもどきについても、我々は考えてみなければならない。オタクというのは、M君の幼女誘拐殺人事件で、一躍有名になった言葉だ。(中略)こうしたオタクと従来からのコレクターとは、まったく別の存在だと言いたいところなのだが、コレクターシップを持たないコレクターは、たとえその収集の対象が美術品であれ、学術的価値の高い資料であれ、しょせんは★玩物喪志のオタクにすぎないだろう。

●既存の権威に盲目的(ママ)で知ったかぶりをする手合いをスノップ(俗物)とすると、オタクと呼ばれる人々の多くを占めているのは逆スノップとでも言うべき、病気自慢の精神であるように見受けられる。広い社会的模範を軽蔑する一方、ひどく限定されたマニアの世界での価値観を信奉し、そのなかで他人に“自慢できるもの”に固執するのは、本質的には私がめざすところのコレクターではないのだ。

●逆に、真に自分自身の眼差しによって選択したなら、集める対象が漫画だろうがリカちゃん人形だろうが、オタクではないといえるだろう。問題はあくまでも、その心性のあり方なのだから。

●ここで再びオタク問題に触れておくと(中略)、逃避のために、とりあえず求めるのであってはならない。“なに”を求めているかをはっきりさせることが重要なのである。なぜなら、求めるべき対象を把握することを通して、求める“わたし”もまた鮮明になってくるからである。そこにコレクションとともに、★ゆるぎない“わたし”が見つかるだろう。

 

《おまけ》FlyFisher2018年3月号EarlySpring

https://tsuribito.co.jp/cover/archive/detail?id=4678&kind=5

まだまだ寒さの厳しい日が続きます。外に出て本格的に魚と遊べるのは、もう少し先。というわけで今号では、暖かい室内で道具を愛でる特集を組みました。表紙を飾るのは、100年以上も前に作られたフライリール。ほかにもバンブーロッドの名品、エーベル・リールの物語、筆者愛用の品々と、その背後に隠された物語などを紹介しています。 道具にこだわるのは、フライフィッシャーの楽しみのひとつ。うっかりハマると抜け出せない、★玩物喪志の幸福を味わう一冊です。また、今号では名手たちのフライボックスの一部を原寸大で掲載。春の解禁前、ご自身のボックスも、これらを真似て埋めてみてはいかがでしょうか。 ほかにもオレゴン在住のフライフィッシャーからのレポートや、刈田敏三さんが紹介する“ちょっとヘン”な水生昆虫の話など、今号も盛りだくさんの内容でお届けします。

 

・・・抜き差しならない「沼」の奥底で、至福の時を味わう。ただ、二度と浮かび上がれない、かもしれない。ははは