・・・「日本の夏」いい感じです。
《蚊遣器(かやりき)》
煙でいぶして蚊を追いやること。また、そのために燃やすもの。かやりび。蚊いぶし。蚊ふすべ。古くは平安初期に蚊火 (かひ) の名があり、また火を燃上がらせずに焚くところから、「蚊遣り火の」となると和歌では、「下」「底」「悔ゆ」などにかかる枕詞となり、一種の情緒の連想がある。スギの葉、ヨモギなどが用いられたが、蚊遣り香としてつくられたものは、除虫菊の花、葉、茎などを原料とする。
蚊取線香を安定して燃焼させ灰の飛散を防いで後処理を容易にする道具。端的には蚊取り線香用の灰皿である。夏の風物詩の一つ。蚊を積極的に駆除する製品が蚊取り線香のみであった時代には重要な役割を果たしていたが、電気蚊取の普及以降は蚊取り線香と共に一般家庭における役割を縮小しており、実用品として利用される機会は少なくなったものの工芸品として現在も製作・販売されている。なお、蚊取線香を複数枚封入した製品では金属製の「線香立」や「線香皿」が封入されていることが多い。線香の燃焼部位が比熱容量が大きい陶器や熱伝導性が高い金属と接触してしまうと、燃焼維持に必要な熱がそれらに拡散して火が消えてしまうことがあるため、線香の安定した燃焼を確保しつつ十分な酸素を供給できる状態を維持する必要がある。そのため、線香を蚊遣器に装着する際には、★Y字型の線香立に蚊取線香の一端(通常は渦巻型の線香の渦の中心部分)を固定し、線香の他の部位が蚊遣器筐体に接触しないように保持する。
豚を模った陶製の「蚊遣豚(かやりぶた)」は蚊遣器の代表的な形状の一つであり、三重県四日市市の萬古焼のものなどが有名である。蚊遣器の形状にブタが用いられるようになった理由には諸説ある。歴史的には蚊取り線香が発明される以前の江戸時代の武家屋敷より徳利を横向きにして豚の形に見立てた陶器が発掘されており、もともと野外で蚊よけのために壺に草木を入れて燻す習慣が存在し、壺が横型になって豚の形にデフォルメされるようになったともいわれる。
https://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/collection/materials/archeology/yotsuya/yotsuya-edo/235/
三丁目の夕日にも取り上げられており、そこでは養豚場で蚊よけに円筒状の土管のような器を使用していたのが、その煙を少しずつ出すように口が小さくなっていき、製品化する過程において豚の形に変化したという説が挙げられている。大正4年の新聞広告に蚊遣豚が登場していることから、明治時代に考えられたとも説明されている。このほか野生の豚(イノシシ)を火伏の神様とする信仰があったという説やブタは毛におおわれていて蚊に刺されにくいと考えられたためという説もある。なお今日では、線香を用いない電気蚊取においても、本体を豚の形に模した製品が販売されている。
《参考》蚊取り線香をフィギュア化して発光させる取り組み
https://dailyportalz.jp/kiji/11149
よもぎや松を焚き、その煙で蚊を追いやっていたのは遠い昔。やがて人類が発明せし、蚊を落とすための道具・蚊取り線香。そして長く使え、しかも折れにくい構造として考案された、ぐるぐる渦巻く螺旋の構造。その美しさに魅せられて、現代のテクノロジーで発光させてみたのが「光る蚊取り線香フィギュア」である。思えば遠くへ来たもんだ。
・・・こういうの大好きです。「金鳥」グッズをいろいろ調べていると、
《中川政七商店》
630-8144奈良市東九条町1112-1
https://www.nakagawa-masashichi.jp/company/
1985「遊 中川」本店の開業。本社の移転に伴い、空いた仕事場(現在の本店)で麻小物の小売を開始しました。それがはじまりです。
★「遊中川」本店(奈良町)
630-8221奈良市元林院町31-1/0742-22-1322
https://www.nakagawa-masashichi.jp/shop/brand/yu-nakagawa/
1988奈良県から出展依頼を受け、「ならシルクロード博」に出展。これまで扱っていた麻素材の正倉院柄のタペストリーや名物裂を販売。多くのお客様が手績み・手織りの手仕事に強い関心を持ってくださいました。「ならシルクロード博」の出展をきっかけに「遊 中川」のものづくりが本格化します。
2008「日本の伝統工芸を元気にする!」というビジョンを掲げ、その決意表明として『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。』を出版。伝統工芸をベースにしたSPA業態の仕組みを明らかにし、業界特化型コンサルティングを開始します。ロングセラー商品であった「花ふきん」がグッドデザイン賞金賞を受賞しました。
2010「暮らすように働く」をコンセプトにした新社屋が奈良市東九条町に完成。設計★吉村靖孝氏。この社屋はJCDデザインアワードやグッドデザイン賞など数々の賞をいただきました。日本の土産ものを扱うブランド「日本市」を発表。会社名を冠したブランド「中川政七商店」発表。11月には京都・ラクエ四条烏丸に一号店がオープンしました。
【吉村靖孝】
http://www.yasutakayoshimura.com/
1972愛知県豊田市生まれ。
1988愛知教育大学附属岡崎中学校卒業[1]。
1991愛知県立岡崎高等学校卒業[1]。
1995早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1997早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。
1999~ 2001文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV在籍。
2002 早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程満期退学。
2005(株)吉村靖孝建築設計事務所設立。
★2010中川政七商店旧社屋増築棟
http://makeseen.com/yasutaka-yoshimura-architects-nakagawa-office-extension/#.XuDR_kkVDcs
2年前に新社屋を設計した企業の旧社屋を増築するプロジェクト。既存部はほぼ手を付けず、構造的に縁を切ったうえで、トイレやキッチンなど水回りとエントランスや階段など主要動線部分をまかなう棟を増築することにした。駐車場を確保すると増築可能な土地は限られるが、2x20mの平面を持つ薄っぺらい建物とすることで、予算や工期を改装想定時のままに収めた。ファサードとしての建築である。
★2011吉村靖孝建築設計事務所によるエクスコンテナ・プロジェクト
http://exc.ysmr.com/top/index.html
東日本大震災で被害を受けた被災地の復興を支援すべく、吉村靖孝建築設計事務所は、海運コンテナを用いた安価で質の高い仮設住宅シリーズを打ち出した。これは、「ベイサイドマリーナホテル横浜」の客室棟で既に使用しているモジュールであり、工場で内外装を仕上げるプレハブ住宅として、恒久的な住宅へと転用することも可能だ。20フィート×20フィートのコンテナを並べることによって、キッチンやリビングルーム、お風呂場、寝室を自由にカスタマイズすることが出来る。6万USドルのインターバル・タイプは、60平米の常設住宅になる。2階建てタイプは、狭い土地に最適である。このデザインには、既存の素材を使いつつ、長年に渡って密集した住宅地で暮らしてきたコミュニティに対する配慮もなされている。海運コンテナの規格を流用したプレファブユニット建築を被災地に届けるプロジェクト、仮設から本設へ移行できるように,構造フレームを再設計し、法規に適合させながら、不必要な部分を省いている。今回つくられたプロトタイプは福島・宮城を巡回し最終的には石巻のボランティア支援団体に寄贈された。
2016創業300周年事業として、日本各地の産地の工芸と人との出会い、学び、体験を通じて土地の魅力を再発見する大日本市博覧会を東京・岩手・長崎・新潟・奈良で開催し、累計7万3千人の方にお越しいただきました。奈良博覧会では13代が中川政七を襲名し、100年後の工芸大国日本の計を誓う口上で、★300周年を締めくくりました。
・・・コンテナ(箱)を活用した建築を提案した吉村靖孝さんが設計した「中川政七商店」本社が販売する「金鳥手拭い」と、つながり3連発嬉しい。