路地裏 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「風」「Fuji」などの制作と並行して、試行錯誤してきた作品があります。ようやく「月のアート」としての方向性が定まり、さらに「路地裏」のイメージを重ねていきたいと考えています。その理由は、

 

《参考》

●路地裏遺産/BSテレ東2018.9.28放送終了

https://www.bs-tvtokyo.co.jp/official/rojiura/

路地裏には、その街の歴史や文化、★人々が生きてきた証が詰まっており、そこを通る人々の想像をかきたて、どこか不思議で心を自然と高揚させる。哀愁漂う路地裏、整然とした路地裏、人々が交流する路地裏、路地裏の数だけ、表情は異なる。この番組は、そんな心惹かれる「路地裏」を探訪し、 上質な 映像と音楽を交え、その街の歴史や文化をひも解きなから・・・「風景」、「人物」、「建造物」、「グルメ」、「音」…そんな後世に残したい『路地裏遺産』 を発見する番組である。

 

 

●路地裏の行方(1)経済合理性VS.ぬくもり感/朝日新聞2019.10.28

夜風に赤ちょうちんが揺れる。東京・浅草の浅草寺近く。大衆酒場が軒を連ねる通称「ホッピー通り」。老舗店の経営者(73)は言う。「店のカウンターには訪れた人たちの★汗や涙、ため息が染み付いている」。1曲100円のカラオケ。歌声が路地裏に響く。一緒に歩いたのは下町の変遷に詳しい歴史家の谷口栄さん。

●路地裏の行方(2)歌舞伎町の「匂い」を求めて/朝日新聞2019.10.29

きらめくネオンの海に人々が吸い込まれていく。500メートル四方に飲食店や風俗店など約3千軒がひしめく東京・新宿歌舞伎町。天皇陛下の即位を祝う「饗宴(きょうえん)の儀」が皇居・宮殿で行われた22日夜、「日本有数の歓楽街」は★普段と変わらぬにぎわいを見せていた。

路地裏の行方(3)タワマン建設、消えた「昭和」/朝日新聞2019.10.30

台風19号の被害でも有名になってしまったが、「ムサコ」というと川崎市中原区の武蔵小杉駅のこともさすらしい。タワーマンションが林立し東京や横浜へのアクセスもいい。「住みたい街ランキング」の上位に近年入っている。「でも、こっちも『ムサコ』。こっちの方が★歴史がある」

●路地裏の行方(4)「奥」と高架下、注目スポット/朝日新聞2019.10.31

2020年の五輪まであと9カ月。東京の都心部や主要駅の周辺では高層ビルや広場の建設など再開発が進み、不動産価格が高騰している。飲食店経営者も物件探しに苦心しているという。「これからの注目は★『奥』。中心部からやや離れた場所に個性的な飲食店が集まるようになったのです」。

 

 

 

●路地裏の行方(5)東京、変化続ける未完の街よ/朝日新聞2019.11.1

10月最後の土曜日、東京・渋谷を訪れた。近づくハロウィーンを意識し、魔女やゾンビに仮装した若者や外国人が路地裏を歩いていた。スクランブル交差点も人波が絶えない。スマホで自撮りをしながら歩いている外国人もいた。「渡ることが渋谷に来たということの証しなのかもしれません」コミュニティーFM「渋谷のラジオ」で番組を持っていたイベントプロデューサー、テリー植田さん(47)は語る。前回五輪があった1960年代、東京の繁華街の中でも、渋谷は反体制の学生らでにぎわった新宿のような熱気はなく、銀座のような格式ある街でもなかった。流行の発信地として脚光を浴びるようになったのは73年の「渋谷パルコ」の開店といわれる。坂道が多く、谷底の地形に路地が入り組んでいる渋谷。路地裏の魅力が色濃く残っているのは、再開発を免れた京王井の頭線の高架下や周辺だろう。老舗焼き鳥屋や中華料理屋、スナック、アダルトショップなどが密集している。テリーさんは言う。「赤ちょうちんがともる酒場のカウンターで、独りしみじみ飲む酒も★ダンディズムではないか」道玄坂を上がった一角にある「しぶや百軒店(ひゃっけんだな)」も隠れ里のような雰囲気がある。ギラギラとネオンサインが輝いているのはストリップ劇場「道頓堀劇場」。出演したことがある踊り子は「劇場の近くには★時間が止まったような路地がある。暗い歴史を秘めたような場所もある」と話す。現在、駅周辺では「100年に1度の大開発」といわれる大型プロジェクトが2027年度まで進行中だ。駅直上の高層ビル「渋谷スクランブルスクエア」の東棟(高さ約230メートル)は11月1日に開業。駅桜丘口地区も再開発工事が進んでいる。優れた風景論で知られるフランスの文化地理学者オギュスタン・ベルクは、著書★「空間の日本文化」の中で指摘していた。「日本の街路は、目的語を持たない自動詞のようなもので、人々はそこにいるのが楽しくて、明確な目的もなく歩いている」だが、谷底地形の渋谷が超高層ビル群に覆われたら息苦しさを感じてしまわないだろうか。静謐(せいひつ)でオフィシャルな雰囲気の空間は果たして渋谷と言えるのだろうか。「でも渋谷は★何かできそうだと可能性を抱かせる街」と語るのは渋谷区内に事務所を構えるアートディレクター森本千絵さん(43)。注目するのは空飛ぶ自動車の開発。「いずれ人間が宙を飛ぶ時代もやってくるかもしれない。空中に路地裏的な空間を造るとか、大胆な発想で街づくりを進めてほしい」と渋谷の未来に期待する。55年前の東京五輪の際、開発が進む首都の姿を描いたルポ「ずばり東京」で開高健は書いた。★「問いつづけることのなかにしか答えはないはずである」東京は、永遠に変わり続ける未完の街なのかもしれない。路地裏も時代と共に変わっていく。

《参考》開高健「ずばり東京」東京・日本橋/2017.9.16日本経済新聞

橋を渡るのではない。ガード下をくぐるのである。目をふせたい。川面は、真っ黒な廃液でよどんでいる。そこには、水もない。空もない。鉄骨むきだしの高速道路が頭上にのしかかる。昭和38年(1963年)、昼なお暗い橋を渡りながら、作家は嘆息した。橋は心をゆさぶる。渡るとき、目の前に新しい風景が広がる。喜びがわく。だが、そんな解放感はない。「心を閉じ、固めたくなる」東京はアジア初の五輪を前に、大改造の真っ最中。巨大ビルがどかどか建ち、高速道路が・・・

 

 

●渋谷の路地裏にはなぜ古い店が残っているのか? 東急「再開発構想」から考える/アーバンライフメトロより2019.12.17

東急グループ(東急)が渋谷の街を広げています。東急は、建物を1棟ずつ建設しながら開発を継続。さらに、点(単体の建物) から面(広域エリア) へ広げようとしています。近年、渋谷駅の周りには渋谷スクランブルスクエア(渋谷2)、渋谷ストリーム(同3)などのほか、渋谷キャスト(同1)や渋谷ブリッジ(東1)も誕生しています。これらはいずれも東急が開発した複合商業施設です。しかし渋谷キャストと渋谷ブリッジは、渋谷駅の近くではありません。駅から徒歩約10分のため、少し遠い場所といえます。これらふたつの誕生により、渋谷は北と南へと街の広がりを見せています。東急は、渋谷の街をもっと広げる「広域渋谷圏構想」を打ち出しています。徒歩10分圏どころか、さらに広域です。ところで、「広域渋谷圏」とはどこを指しているのでしょうか? それは渋谷から半径2.5kmの、代官山や中目黒、恵比寿、原宿、表参道などを含むエリアです。  それらの周辺の街が、広域渋谷圏の「周辺拠点」です。東急は「周辺拠点」においても、魅力的な街づくりをしようとしているのです。再開発がすすむと東急の施設やその中に入るテナントは繁栄しますが、東急とは関係の無い周辺の路地や路地裏にある中小の店は、恩恵に預かることができるのでしょうか? 渋谷には、路地や路地裏に魅力的で個性的なお店が昔から存在していますので、もし衰退や閉店するとなると悲しいですよね。渋谷の路地や路地裏に古くから中小の店があるのは、スペイン坂などを始めとする坂や複雑な街路のおかげです。渋谷はすり鉢状の街で★「高低差」があり、加えて直線・直角な街ではありません。「高低差があり、複雑な街路」であることが、渋谷の個性なのです。坂や階段の上にどのような店があるかは、手前からはわかりません。しかし坂や階段を上ると「こんなお店があったんだ」と気づくので、★発見の楽しさが生まれます。同様に複雑な街路は角を曲がるたびに、店を発見する楽しさがあります。そのため路地裏の店であっても、関心を引き寄せ存続できるのです。ちなみに建物を設計したり建設したりする際、「曲がり」があるよりも「直線」の方が簡単です。しかし近年の大型の商業施設は、★わざわざ「通路を意図的に曲げる演出」を行っています。街での「発見の喜び」を、建物でも応用しているのです。さて東急が自社の施設に誘致する店は、どのような店でしょうか。高い賃料を払える大手チェーン店でしょうか? 東急は「中目黒高架下」や渋谷ストリームで、おいしく魅力的な「中小の飲食店」を積極的に誘致しています。高い賃料を払える店や大手チェーン店が、おいしく魅力的な店だとは限りません。東急は資本力ではなく、店の魅力で選んでいるのです。魅力的な店があれば、「この街に住みたい」と考える人が増えます。その結果、魅力的な東急の街に、住みたい・家を買いたい・買い物をしたい、となるわけです。住む人が増えれば、東急の住宅事業が潤います。当然買い物をする人が増えるため、グループ内の東急ストアや東急百貨店も潤います。また電車に乗る人も増えるため、東急電鉄も潤います。いわば街の人々の喜びと、東急の事業がリンクしているのです。しかしエリアの価値が向上すると、賃料の上昇を招きます。賃料が上昇すれば、資本力・賃料負担力のある大手チェーン店が増え、路地や路地裏の「“粋”な中小の店」が、減ってしまう恐れがあります。このような現象を★「ジェントリフィケーション(高級化)」といいます。しかし、東急の「広域渋谷構想」ではこのような店も共存できるとしています。代官山や中目黒、表参道といった、渋谷の「周辺拠点」にも魅力的な店があります。これらは隣の街のため、渋谷から電車ではなく★歩いて移動できます。これにより中心拠点の渋谷駅から★周辺拠点への回遊が促進されます。中心拠点と周辺拠点の間を「中間ゾーン」とすると、今まで寂しかった中間ゾーンも歩く人が増えて賑わうのです。これにより中小のお店も恩恵を受け、閉店せずにいられます。再開発で失われがちな「街の粋な魅力」「古き良きもの」「多様性」が保持できるのです。のように「広域渋谷構想」による再開発は、単なる再開発では、ありません。中心拠点の渋谷も、周辺拠点の代官山なども、中間ゾーンも、さらに古きも新しきも、東急と関係ない店も、いずれをも育む街となることができるのです。東急は「渋谷を広域化することで、長期的な渋谷全体の価値向上を狙う。短期・単発で、収益を狙う通常の大型再開発とは異なる」としています。東急は、再開発を通じて「広域渋谷圏」全体の価値を向上させていく計画です。東急の「広域渋谷圏構想」からは、いずれをも育む街づくりの姿勢が感じられるのです。

 

 

★「路地の日」京都の路地裏/「京ぐらし」店長ブログより

http://kyogurashi.net/

6月2日。今日は「路地の日」です。路地の良さを見直そうと6(ろ)2(じ)の語呂合わせで★長野県が制定しました。京都には、路地裏の文化があります。 辻子(ずし)や路地(ろーじ)と呼ばれ、家と家との間は狭く、細く車は入れないところも多いです。軒は連なり、住む人々の距離感もとても近いものです。京都は歩く街とも言われます。ガイドブックにも歩いて回れる京都の本もたくさん出ていますよね。前、石塀小路を歩いていたら、観光客らしき女の子達が、「きゃ~、これぞ京都って感じ~!!」とはしゃいでいました。 ・・・そうですよね。 京都って言ったら、風情ある街並み、歴史的建造物、情緒あふれる景色こそ京都の本質なのかもしれないですね。路地を歩いて、隠れ京都を探してみましょう。

 

《下諏訪の路地を歩く会》毎日新聞2018.5.22

6月2日の「路地の日」に30回目の記念行事を開く。下諏訪町民らでつくる「下諏訪の路地を歩く会」は、「路地の日」(6月2日)の普及に貢献したとして、日本記念日協会(佐久市)から記念日文化功労賞を贈られた。30年以上前から路地の散策を続けてきたメンバーが1995年に歩く会をつくり、2001年に「路地の日」を同協会に申請して認められた。会員らは「活動が認められてうれしい。路地の魅力をさらに発信したい」と話している。功労賞は同協会が選考しており、歩く会が14件目。路地を巡るツアーを続けてきたことなどが評価された。歩く会のメンバーは現在★7人。その一人の広瀬博人さん(84)は★「大通りの喧噪から離れ、人々の生活を感じられるのが路地の魅力」と話している。歩く会は、今年の路地の日に30回目の路地を巡るツアーを企画した。下諏訪町を頻繁に訪れた芸術家岡本太郎さん、作家永六輔さん、俳優小沢昭一さん(いずれも故人)の直筆の文字を刻んだ石碑や句碑など、ゆかりの場所を見て回る予定。さらに、町内の宿場街道資料館では、3人の定宿だったみなとや旅館の主人で、歩く会会長の小口惣三郎さんらを囲み、3人にまつわる思い出話を聞く。ツアーの参加費は千円。希望者は昼食を持参し、同日午前9時に秋宮駐車場に集合する。問い合わせは広瀬さん(電話090・4950・5217)へ。

 

※「全国路地のまち連絡協議会」

http://machi-roji.com/roji/

私たちは、2003年に東京都北区十条において「第1回全国路地サミット」を開催し、つづいて2004年8月に★大阪市(たぶん空堀)において「第2回全国路地サミット」を開催して、参加者一同による「路地宣言」を採択し、当「全国路地のまち連絡協議会」の設立を決議いたしました。「路地宣言」及び「全国路地のまち連絡協議会の設置についての規約」をお読み頂き、この趣旨にご賛同いただく、多くのみなさま方のご参加をお待ちいたしています。

 

 

★空堀地区HOPEゾーン事業

https://www.city.osaka.lg.jp/toshiseibi/page/0000116288.html

●空堀まちなみ井戸端会

http://karahori.blogspot.com/

 

・・・東京から大阪へともどってきました。これまで「路地裏」で感じたこと出会ったこと、それらの風景を作品に凝縮したいものです。