建築と風 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・作品制作の方で「風のかたち」を追いかけていますが、「建築と風」の関係については、こちらの方で紹介させていたただきます。

 

『ル・コルビュジエの住宅と風のかたち』/新建築社 2013年4月臨時増刊

本書では、ル・コルビュジエが設計した9作品について「どんな風が流れるか?」「より快適域を拡げるには?」「その改善案は東京で応用できるか?」などをシミュレーションで検証しています。 自然環境との付き合い方を熱・気流シミュレーションで模索した、建築設計の新しい可能性を感じられる1冊です。

 

 

【ル・コルビュジエ】Le Corbusier(1887~1965)/ギャルリー・タイセイより

https://www.galerie-taisei.jp/archives/lecorbusier.html

近代美術のコレクターとして著名であった故テオドール・アーレンバーグ氏がル・コルビュジエに依頼、アンビルトであった私設美術館をモチーフにしたバーチャル・ギャラリーです。

1887年10月6日、ル・コルビュジエ(本名★シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ)はスイスの山あいの小都市ラ・ショー=ド=フォンで、時計職人の父とピアノ教師の母のもとに生まれました。地元の美術学校を卒業後、ヨーロッパ各地を旅し、建築家のアトリエで修業をし、地元に帰って活動した後、1917年にパリに出ます。★ピュリスムの画家として活動しながら、35歳のとき、再従弟ピエール・ジャンヌレと共同で建築事務所を設立します。雑誌『レスプリ・ヌーヴォー』誌上での新しい時代の建築や美術について論考★「新しい建築の5つの要点」の提唱(1926年)などを通して、彼の存在は徐々に知られるようになり、建築作品では《ラ・ロッシュ+ジャンヌレ邸》《サヴォア邸》に代表されるような、明るく清潔で機能的な住空間を創造しました。

★日本からは前川國男、坂倉準三、吉阪隆正など何人もの建築家が彼の元で働き、彼の作品は雑誌などを通して逐次紹介されました。1959年に完成した★《国立西洋美術館》(上野)の基本設計はル・コルビュジエによるものです。建築分野でめざましい業績を残しただけでなく、彼は数多くの絵画作品や版画、彫刻、タピスリーなども制作しています。彼の美術作品と建築作品の間にはフィルムや色彩に関して多くの共通点を見出すことができ、両者の密接な関係がうかがえます。彼はあらゆる表現方法を駆使し、★総合芸術をめざしたアーティストであったといってよいでしょう。ル・コルビュジエは1965年に亡くなりましたが、20世紀を代表する建築家として、彼の業績はますます高く評価され、生誕100年(1987年)、生誕120年(2007年)には、大規模な展覧会が世界中で開催され、2016年には7ヶ国にわたる17資産が★ユネスコ世界文化遺産に登録されました。

 

《ピュリスムPurism》現代美術用語辞典より

「純粋主義」。1918年から25年の短期間、フランスで展開された絵画運動。この運動を喧伝したC=E・ジャンヌレとA・オザンファンの二人は『キュビスム以後』(18)というマニフェストを表わし、主観主義に陥ってしまったキュビスムを批判し、その名の通りより機能性が純化された絵画の必要性を力説した。作品自体は、精密で明快な画面と、幾何学的な空間性を特徴とし、雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』を通じたプロパガンダなども併せて、そのユートピア的、有用的な志向性は同時代の「デ・ステイル」や「ロシア構成主義」などとも多くの共通点をもつ。画家ジャンヌレが21年以降ル・コルビュジエを名乗る建築家へと転身したこともあり、短命だった「ピュリスム」の絵画運動は広範な影響力をもちえなかったが、その理念は後のル・コルビュジエの建築やデザインに十全に発揮されたことで、後年「ピュリスム」もあらためて評価されることになった。「デ・ステイル」のT・ファン・ドゥースブルフが、ル・コルビュジエをライバル視していた事実も、「ピュリスム」をめぐるエピソードのひとつである。

★ル・コルビュジェとは、「カラス君」という意味で、フランス語でカラスとはcorbeauですが、このコルボウではなくカラスちゃんとかカラス君といったニュアンスを自称しました。当時のアーチスト的な独特のしゃれっ気なのでしょう。日本を含め世界の建築が白く、四角く、ガラス張りになってしまったことの事由のひとつにフランスの建築家、ル・コルビュジェという人の存在があります。この人のことを現在でも建築の設計をする人たちは、アイドルとして尊敬もし、また完全に影響下にあるということで、20世紀を代表する文化の立役者のひとりとして認知されています。

《新しい建築の5つの要点》

http://touron.aij.or.jp/2016/03/1056

1.ピロティ:地面から建築を解放し、交通と植物、運動のための場に。

2.屋上テラス(庭園):屋上と空を解放し、日光浴、運動、菜園の場に。住居を湿った層で保護。

3.自由な平面:部屋の形や配置を構造壁から解放。間仕切り壁で自由につくれる。

4.横長の窓:自由に大きい窓がつくれるため、建物内部を一様に明るくできる。

5.自由なファサード:絵画を描くように自由にデザインできる。(上記4つからの直接的な結果)

 

 

◆【国立西洋美術館】◆

110-0007東京都台東区上野公園7番7号/03-5777-8600

https://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

文部科学大臣の要請を受け、新型コロナウイルス感染症の感染予防・拡散防止のため、2020年2月29日(土)から3月16日(月)まで臨時休館しておりますが、政府から取組の継続について要請があったことから、臨時休館を当面の間、延長することを決定いたしました。再開の予定につきましては、当館ホームページにて、あらためてお知らせいたします。ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

★世界遺産パンフレット

https://www.nmwa.go.jp/jp/about/building.html#discover

 

『風のかたち 熱のかたち 建築のかたち』末光弘和+末光陽子/SUEP.の設計に見る環境と建築の相関/新建築社2015年4月臨時増刊

本書では、実験・測定・シミュレーションなどの方法を用いてあらゆる角度から環境を可視化し、建築設計を行った事例が紹介されています。その中で風、熱を可視化できるツールとしてFlowDesignerが使われており、地形を含む広域の風環境、建物の通風性能などの評価で役立てられています。 様々な環境設計の手法にあわせて、シミュレーション結果の美しい表現にも注目したい1冊です。

 

 

《リアリティと概念》講演:北川原温/東西アスファルト事業協同組合講演会

https://www.tozai-as.or.jp/mytech/92/92_kitagawa02.html

★形のないものに形を与える

まず最初のスライドは、福岡市内から少し離れた場所に建つ「Sタウンセンター」で、今設計中の建物のスケッチです。初期のスケッチなので現段階はもう少し変わってきています。この建物のデザインは、いろいろな要素をそれぞれのプログラムに応じてレイアウトしています。ある意味でいえば、構成的、構築的です。レム・クールハースのいう「クリティカル・マッス」臨界質量ですが、そのやり方に近いところもあります。つまり、考えられる最大限のボリュームを設定して、そこから空間を抜き去っていく、マイナスの部分、ヴォイドの部分をつくっていく、というやり方をクールハースはしていますが、ややそれに近いかもしれません。まず大きなヴォリュームを敷地に設定して、そこから空間を抜き去ることによって建築に変質させていこう、という手法です。ドイツの建築家フライ・オットーの計画案に「ミサイルの格納庫」というのがあります。高さが100メートルぐらいあるものです。実現はしていない計画です。

コンスタンチン・ブランクーシの彫刻作品「フィッシュ」です。1920年頃のものですから、今から70年も前の作品です。最近、★伊東豊雄さんが風の変容態ということで、これに似たような形を表現していますが、ブランクーシは、概念を表現する彫刻家としては、20世紀の彫刻家の中で世界の五指に入るだろうと思います。伊東豊雄さんは勉強家ですから、いろいろ調べられて、ブランクーシが気に入られたんだろうと思います。「フィッシュ」ということですから、魚の形に似ていると感じる人もいるでしょうけれど、ブランクーシにとっては、水の中を移動するという概念、移動するという現象そのものを形に表現しているのであって、魚の形に似せているというわけではありません。真鍮性です。

さきほどの福岡のプロジェクトを進めるプロセスの中で、フライ。オッターの考え方やブランクーシの考え方を参考にしてデザインが変わっていくわけです。

次もやはり、僕の計画に影響を与えたものの一つですが、アースワークというか、彫刻家クリストの作品に★「空気の形」というのがあります。クリストは「アンブレラ」という、僕も見にいきましたが、茨城県とカリフォルニアで同時期に巨大な傘をいくつも広げるという作品で有名な人です。「空気の形」は高さが焼く85メートルほどあり、単純にいうと中に空気が入った風船です。つまりクリストは、空気あるいは大気というもののテリトリーをはっきりさせて、それを包み込み、形がないと思われている空気に形を与えたわけです。これは、巨大なミミズのような形でなくても、丸いものでも、四角いものでも、どんな形にもなるわけですが、クリストが与えた形はこうだったわけです。一種のコンセプチュアル・アートですが、ものすごく巨大なものです。クリストは巨大なものをやるのが得意な人ですが、彼がスケールの大きなものにこだわるのは、社会的な影響力を考えてのことだと思います。つまり、「空気の形」という作品はドイツのカッセル・ドクメンタという美術展で展示された作品ですが、多分一週間か二週間展示されて、その後取り壊された。つまり、一、二週間すると消えてしまう、ということがクリストにとっては大事で、空気の形がある時期出現していた、ということを★それを見た人々の記憶に鮮烈に留めよう、というのがクリストのねらいだったわけです。空気に対する認識、見た人になんらかの影響を与える、それが現代美術の一つの大きな役割でもあると思います。話題が逸れているように思われるでしょうが、そうではなくて、僕は福岡のプロジェクトをやりながら、建築をクリストがやったような考え方からとらえていけないだろうか、と考えていたわけです。

 

《風の変様体―建築クロニクル》/著:伊東豊雄/青土社1988

文章は文章として建築作品から自立し、独自のコミュニケーション・メディアとして異なる空間を形成する。著者・伊東豊雄氏の言葉を借りれば、「テクノロジー信奉と、その支配への諦めから生じた気だるい感情が交錯する都市に産み落とされた私生児建築こそ、"URBOT(ウルボット)"である」という。そのウルボットが地上に送り出されてから、もう約30年近くの時を迎えようとしている。私も雑誌の仕事を通じて、数回、伊東氏には会っているが、ウルボットについての会話は一度もしたことがない。本書で語られている「設計行為とは歪められていく自己の思考過程を追跡する作業にほかならない」、また「設計行為とは意識的な操作に基づく形態の偽装工作である」との鋭い言葉が建築に身をおく者の心を強く打つ。伊東氏が口にする、軽やかで風の移ろう状態があるだけの形態をもたない建築、つまり、★風の建築と呼ばれるものだ。体を抑えつける建築的な形式の強さや重苦しさを排し、どんな建築空間を追求していくのか、いつの日か、伊東氏自身がわれわれの前に、その答えを出してくれるに違いない。(フリーライター 手嶋純)

 

★東日本大震災後、被災地に何度も通って「みんなの家」を被災地に建てた。

https://www.wochikochi.jp/topstory/2012/10/minnanoie.php

そして、2012年開催の第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展、「ここに、建築は、可能か」をテーマとした日本館では、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田に、被災者のための憩いの場、「みんなの家」をつくるプロセスを展示しました。近代の「個」の意味を問い直し、建築は誰のために、そして何のためにつくるのか、という最もプリミティブなテーマを追求したその試みは、第13回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展国別参加部門の最優秀賞である、パヴィリオン賞(金獅子賞)を受賞しました。そして、プリツカー賞も受賞した(2013年)。さらに、新国立競技場の設計競技については結果的に★3度挑戦し敗れた。

 

 

●談:伊東静雄

80年代に入って日本がバブル経済の時代を迎えた頃、東京では建築は紙くずのような存在でした。一度も使われていない建築物が壊されて土地が売られてしまうケースさえありました。 本来、日本の建築は★「壊して建て直せばいい」という精神性があります。だから僕もそういう日本の建築の持つ精神的な仮設性、軽さを表現したいと思い、80年代はそういう傾向で設計していました。しかし、80年代の終わりぐらいから公共建築の設計に参加できるようになり、90年代は日本の地方都市の公共建築も依頼されるようになりました。そうなってくると「軽い」と言っていては相手にされないこともあり、もう少し別の戦略でいかないと太刀打ちできないと思うようになりました。★「せんだいメディアテーク」も綺麗な光のチューブのような存在を作りたいと思って提案したのですが、コンペティションに勝った翌日から、住民や自治体から「こんなものはいらない」と猛烈に反対された。1年間、針の筵に座っているようで。やめてしまおうかと思う日々でした。

 

《せんだいメディアテーク》

980-0821 仙台市青葉区春日町2-1/022-713-3171

https://www.smt.jp/

当館は、仙台市の「新型コロナウイルス感染症の発生に伴う仙台市の事業及び施設等の取り扱いに係るガイドライン」の改訂を受け、新型コロナウイルス感染の拡大防止のため、下記のとおり臨時休館いたします。ご理解とご協力をお願いいたします。

期間:4月11日(土)~5月31日(日)(※延長になりました)

★美術や映像文化の活動拠点であると同時に、すべての人々がさまざまなメディアを通じて自由に情報のやりとりを行い、使いこなせるようにお手伝いする公共施設です。

 

《あの日からの建築》/著:伊東豊雄/集英社2012

東日本大震災後、被災地に大量に設営された仮設住宅は、★共同体を排除した「個」の風景そのものである。著者は、岩手県釜石市の復興プロジェクトに携わるなかで、すべてを失った被災地にこそ、近代主義に因らない自然に溶け込む建築やまちを実現できる可能性があると考え、住民相互が心を通わせ、集う場所「みんなの家」を各地で建設している。本書では、国内外で活躍する建築家として、親自然的な減災方法や集合住宅のあり方など震災復興の具体的な提案を明示する。

 

・・・しりあがり寿さんは「あの日からのマンガ」を2011年7月に出されていました。みんな「あの日から」再スタートですね。そして今「この日」を迎えているわけです。

 

 

《参考》東京藝術大学美術学部建築科 客員教授特別講義2013

http://arch.geidai.ac.jp/following/archgeidai/Lecture-Report-7

タイトルは予定されていた「あの日からの建築」から「抽象をめぐる近代主義の問題」に変更されました。

 

2016年に立て続けに新書を出した。『日本語の建築──空間にひらがなの流動感を生む』と『「建築」で社会を変える』(集英社新書、2016年9月)である。東日本大震災直後の『あの日からの建築』(集英社新書、2012年10月)と合わせると、立て続けに★3冊の新書が出版されたことになる。いずれも、インタビューをもとに、編集者、企画者がまとめるスタイルである。一連の新書から、伊東豊雄がこの間何をどう考えて、何をしてきたのか、建築家としてのある着地点に向かいつつあることを知ることができる。

 

 

《NEWS》2020.3.30日本経済新聞より

NTT都市開発、原宿駅前の複合施設「WITH HARAJUKU(ウィズ原宿)」の竣工を発表https://withharajuku.jp

原宿駅前プロジェクト「WITH HARAJUKU(ウィズ原宿)」が竣工、全14店舗のショップ&レストラン、賃貸レジデンス「WITH HARAJUKU RESIDENCE」NTT都市開発株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長 中川 裕)は、渋谷区神宮前で開発を進める複合施設「WITH HARAJUKU(ウィズ原宿)」が竣工したことをお知らせいたします。

◆「WITH HARAJUKU」について

本施設は、ファッションや若者文化の発信地とし独自のカルチャーを育んできた原宿において、かつてのクリエイターたちの"たまり場"のように人と人とが交わり、創造し、それを世界に向けて発信する場になるべく、「未来を紡ぐ"たまり場"~文化と創造力を世界に発信する、TOKYOの新たなプレゼンテーションステージ~」をコンセプトに開発を進めてまいりました。設計・施工パートナーに株式会社竹中工務店および株式会社★伊東豊雄建築設計事務所を迎え、原宿駅前と竹下通りをつなぐ★パッサージュを中心とした「道の建築」が誕生しました。これにより、街全体の賑わいと回遊性を高め、地域にさらなる活性化をもたらします。石や天然木といった自然の素材を多用し、随所に木の温もりが感じられる空間デザインとなっており、明治神宮の森から吹き抜ける心地よい風を感じながらそぞろ歩きを楽しみ、くつろいだ時をお過ごしいただけます。地下2階から地上3階には、多様化したライフスタイルをもつ現代人に向けて、ファッション、フード、ビューティー、ライススタイル雑貨など、常にファッションやライフスタイルのトレンドを発信し続ける店舗をラインナップします。また、3階は原宿における文化発信地の一翼を担うイベントホール「WITH HARAJUKU HALL」とシェアスペース「LIFORK 原宿」、4階以上は賃貸レジデンス「WITH HARAJUKU RESIDENCE」により構成される複合施設となります。

◆施設に変化を生み出すポップアップスペース オープン

地下1階竹下通りからのエントランスにはポップアップスペースを配置しました。5月(予定)からは、株式会社NTTアドが運営し、「観光」「地方創生」「街づくり」をテーマとした、常に旬なものやユニークな体験をお届けします。

 

・・・今、街は静まり返っています。