タマゴ | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・ダチョウについて掲載しましたが、そもそもタマゴって?

 

《卵(玉子)たまご、らん》

動物のメスが未受精の卵細胞(cell)や、受精し胚発生が進行した状態で体外(外環境)へ産み出される雌性の生殖細胞と付属物の総称である。このため、生殖を目的として外部に放出(産卵)される卵は、その多くが周辺環境と内部を隔てる構造を持ち、幾らかでも恒常性を保つ機能を持つ。この保護機構は種により異なる。なお、卵細胞そのものを卵という場合もある。大きさとしては、直径約100µm のウニの卵から、長径約 11cm のダチョウの卵まで、様々な卵が存在する。なお、卵黄自体は★一つの細胞である。このため2000年代現在、確認されている★世界最大の細胞は、ダチョウの卵の卵黄である。

※「最大の単細胞はダチョウの卵」とよく言われますが、『単細胞』といってもほとんどが栄養嚢であり、いわゆる生物的な部分は卵黄の上にポチっとある★胚です。

体外に産み出される卵は、卵細胞、あるいは多少発生の進んだ胚と、それを包む構造からなり、場合によっては発生を支持する構造を内部に持っていたり、外部に囲いがあったりするものもある。また発生に消費されるエネルギーとして脂肪が蓄えられているものも多く、このため卵自体は他の生物にとって大変優れた食料ともなる。多くの海産無脊椎動物の卵は、卵細胞の形で放出され、受精膜のみにつつまれて発生が進む。爬虫類や昆虫など、陸上に産卵される卵は表面に膜を持つことで水分の蒸発を防ぐ。これにより乾燥した陸上での生活を可能にしている。また、は虫類は胚膜を形成し、これが陸上での胚の発生を支える。鳥類や一部のカタツムリの卵は表面に炭酸カルシウムの殻(卵殻)をもち、内部を保護している。多くの哺乳類は、受精卵は母親の胎内に留まり、そこで成長する胎生であるが、カモノハシ目のカモノハシやハリモグラは、弾力のある殻をもった卵を産む「卵生」の哺乳類である。

卵という概念が確立したのは発生学においては実は非常に新しい。もちろん卵そのものは鳥や魚のそれとして古くから知られていたのだが、ほとんどのほ乳類は卵から生まれない。サメやエイにも胎生の種があり、それらも卵は見られない。逆に昆虫の蛹は卵と考えられていた。従って、すべての動物の発生の起源としての卵という見方はなかった。★ウイリアム・ハーベーは胎生の動物の発生を詳しく調べたが、卵を発見することは出来なかった。しかし、類推からそれらにも卵が存在することを確信し、★「すべては卵から」との言葉を残している。これが現実的に確認されるのは、細胞説の成立後である。

●卵は生命、復活の象徴として、しばしば取り上げられる。例えばキリスト教の祭日である復活祭では、鶏卵を色とりどりに塗った「イースター・エッグ」を作る風習がある。また、卵には「未熟だけれどもこれから成長の見込みがある」というイメージがあり、日本語では日常的に「学者の卵」とか「画家の卵」のように初心者、駆け出しの者を意味する場合に用いられる。この事情は英語でも似通ったところがあるが、やや侮蔑的な「青二才」の意味を持つので、むしろ「ひよっこ」(ヒヨコ)と語感が似ている。さらに茹でた鶏卵の殻を取り除いた姿が白くつるつるしていることの連想から、時に官能的なニュアンスを伴って「卵の剥き身のような柔肌」などという言葉が比喩的に使われることもある。生卵が非常に割れやすい事から、脆い物の象徴としても使われる。

●卵は栄養が豊富であるから、食用となるものが多々ある。卵の採取を目的に飼育される場合もある。鳥類などはその典型で、世界各地で鳥類の卵を食用として得るために様々な鳥類が飼育される。しばしば★卵と食肉の双方を得るためにも飼育される。その一方で、魚卵は魚肉を得る際の副次的生産物ではあるが、逆に風味の良い魚卵は特別に扱われ、中には魚卵そのものを目的として採取される魚類もある。日本においては、食事関係で単に「卵」というと、鶏の卵をさすことが多い。

 

 

《おまけ》「クロスワード.jp」

https://クロスワード.jp/

 

・・・学生さんの勉強になる(私には難しい?)クロスワードが満載です。なかなかいいですよ。

 

【William Harvey】(1578~1657)

イングランドの解剖学者、医師。苗字はハーベイ、ハーヴィー、ハーヴェーとも表記される。血液循環説を唱えた。ハーベーは発生学でも大きな足跡を残した。彼はシカの交尾前後からの発生の段階を観察し、アリストテレスの『胎児は月経血から生じる』という説を否定した。哺乳類の卵を発見することはできなかったが、他の動物との比較からその存在を確信し、「すべては卵から」との言葉を残した。(all life comes from the egg)

 

《NEWS》2010.2.1ナショナルジオグラフィックより

ダチョウやエミューなどの飛ばない鳥は、その祖先も飛ばなかったというのが長く定説となっていた。ところが最新の研究によると、飛ばなくなったのは約6500万年前に恐竜が絶滅したあとのことで、それ以前は飛んでいたという。 研究の主著者で、オーストラリアのキャンベラにあるオーストラリア国立大学のマシュー・フィリップス氏は次のように話す。「恐竜が突然地上から姿を消したことで、捕食動物がいない新しいニッチ(生態的地位)が生まれた。そこでは食べ物が豊富なうえに、飛んで素早く身を隠す必要がなかった」。こうした恵まれた環境で太った鳥は、自らの意思とは関係なく重くなり飛べなくなったと今回の研究では主張している。

★「ダチョウ恐竜」に羽毛

https://www.jiji.com/jc/v2?id=20090724dinosaur_guide_04

 

 

・・・「親子丼」というネーミング本当に素晴らしい、調べてみました。

 

《親子丼》

「親子」という名称は鶏の肉と卵を使うことに由来する。ネギやタマネギなどと共に煮て、彩りとしてミツバやグリーンピース、刻み海苔などを飾ることが多い。親子丼の起源は不明である。確認できる最古の文献資料としては、1884年(明治17年)に神戸元町★「江戸幸」が出した新聞広告に「親子上丼」「親子並丼」「親子中丼」の名が見られる。日本橋人形町にある軍鶏料理専門店「玉ひで」が主張する説によれば、1887年(明治20年)頃、鳥寿㐂(とりすき=軍鶏鍋のこと)の最後の〆として鍋に残った煮汁を卵とじにして、白飯のおかずとして食べる客がいたという。五代目店主の妻、山田とくは「親子煮」と呼ばれていたこの食べ方を盛り切りの丼飯とすることを考案したが、「汁かけ飯を店で出すと格が落ちる」という当時の風潮から、出前専用の料理として提供されるようになった。玉ひではその後、親子丼の元祖としてマスコミにも取り上げられるようになり、1979年(昭和54年)からは店内でも提供するようになっている。玉ひでの親子丼は、みりんをたっぷりと用いた非常に甘い割下で軍鶏の肉だけを煮て卵とじにしたもので、タマネギやミツバ等の野菜類は現在も使われていない。また今日では半熟状態で提供されるが、1954年頃までは完全に火を通した状態で提供されていた。

 

 

※「玉ひで」103-0013 東京都中央区日本橋人形町1-17-10/050-3490-5298

http://www.tamahide.co.jp/

当店をご利用頂きまして誠に有り難うございます。5月6日迄は11時より14時[お持ち帰り用の親子丼1,500円]のみの営業と致します。御注文を頂いてからお作り(約5分程度)致しますのでご予約は頂かれません。店鋪内でのお召し上がりはございません。

 

※政府は5月4日、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い全国に発令している緊急事態宣言を期限だった6日から★31日まで延長することを正式決定した。対象地域は全国一律のままとした。新規感染者数が限定的で医療体制に問題がない地域に対しては外出自粛要請の緩和に向け、経済活動を段階的に再開させる。

 

また別の説として、1903年(明治36年)に大阪で開催された第五回内国勧業博覧会の目玉料理として、北浜銀行頭取の岩下清周氏の依頼により、大阪の料亭「鳥菊」の店主「内本松次郎」(一部資料で松太郎とも)が考案した親子丼もある。こちらは鶏肉と白菜、ネギの煮込みを卵でとじてご飯に載せたもので、一杯15銭で販売され人気を博し、その後関西一円の食堂で提供されるようになったとされる。

 

●岸本水府『京阪神盛り場風景』(誠文堂十銭文庫1931)より

《この町のカフエーの創設者ともいふべきフルーツホール、三十一年型のエスペロ、洋書の金文字が光る書店で川瀬日進堂、宝文館、その日進堂の横町を入ると鰻屋の★江戸幸、小料理の穴門亭、大部分外人の客が来るビフテーキ屋などがあるが、さらに本通に戻ると精肉屋でみつわ、恐らく日本で最も古いだらうと言はれてゐる柴田洋服店、楠公父子訣別の画を瓦形の煎餅へ焼きつけた煎餅屋の亀井堂、きんつばで名高い高砂屋、本庄写真部と喫茶部、大丸食堂などである。》

 

※『大阪三六五日事典』(東方出版2002)より

「明治36年3月1日内国勧業博覧会開幕」(p.46)に、“鳥菊”主人考案の十五銭の親子丼が、会場から誕生したとの記述あり。

 

 

『天丼かつ丼牛丼うな丼親子丼~日本五大どんぶりの誕生』著:飯野亮一/ちくま学芸文庫2019

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480099518/

どんぶり物を生み出したのは、江戸時代に生きたある男の“食い意地”だった。出前の蒲焼が冷めないようにと、蒲焼をご飯の中に入れ込んで楽しんでいたところ、それがまわりにも広まり、日本初のどんぶり物、うな丼が誕生する。それまで白いご飯の上におかずをのせるという発想を持っていなかった江戸っ子たちは、すっかりうな丼の虜となった。だがうな丼以降、新たなどんぶり物が誕生するには時間がかかった。天ぷら蕎麦や親子とじ蕎麦は江戸時代には生まれているのに、天丼や親子丼の登場は明治になってから。その背景には何があったのか?膨大な史料から、どんぶり物誕生の歴史をひもとく。

 

 

★5月22日は「たまご料理の日」

クックドゥードゥルドゥー!5月22日は「たまご料理の日」ですよ。一般社団法人全日本うまいもん推進協議会が制定しました。うまいもん、と言えば料理の基本と言われる「たまご料理」ということでしょうかね。食の安全を啓蒙し、たまご料理の食文化の振興という願いが込められているそうです。なぜ5月22日か?と言えば、5月は「05(たまご)」なるほど、ゼロを入れて玉ですか!22日は「ニワトリ ニワトリ」と読む語呂合わせからだそうですが、、読むか?「ニワトリ」。

親子丼、その発祥は諸説あるようですが、その一つ、日本橋にある軍鶏料理専門店の「玉ひで」で軍鶏鍋を食べているお客さんが卵でとじてご飯に食べている方がいたそうで。「鶏肉に卵かけるって親子じゃーん!」って大発見的なことだったんでしょうね、その当時。いつの間にか「親子煮」と呼ばれるようになり、提供されるようになったとのこと。ああ、それが1891年頃だったそうですよ。

 

※クックパッド(Cookpad)

料理レシピのコミュニティウェブサイトである。佐野陽光の有限会社コイン(1997年)が1998年3月に「kitchen@coin」を開設し、翌年クックパッドに改称した。現在は有限会社コインを前身とするクックパッド株式会社が運営する。

 

《もみがら》大江ノ郷自然牧場より

https://www.oenosato.com/fs/oenosato/0230

高級感あふれる箱を開けると、黄金色の★もみがらがぎっしり。そのなかから光り輝く卵が出てくる瞬間は、ちょっとした感動もあり、「まるで玉手箱のよう」と、贈られた方からも喜ばれています。まだ温かさの残る、生みたて新鮮、味わい濃厚な卵で、時節のごあいさつはいかがでしょうか

 

・・・タマゴの最後に、「もみがら」いいよねえ。