・・・福岡伸一さんの「ルリボシカミキリの青」は、「週刊文春」連載エッセイ70回分ほどを「再構成・再編集し手を加えて」まとめたものですから、内容は週刊誌の連載エッセイらしく多彩です。福岡さんの持論は「動的平衡」です。
《NEWS》2020.4.6朝日新聞より
「ウイルスは撲滅できない」福岡伸一さんが語る動的平衡
ウイルスとは電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子であり、★生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。生命を「自己複製を唯一無二の目的とするシステムである」と利己的遺伝子論的に定義すれば、自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず生命体と呼べるだろう。しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り替えて、あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステムである、と定義する見方――つまり、動的平衡の生命観に立てば――、代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。しかしウイルスは単なる無生物でもない。ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である。今、世界中を混乱に陥れている新型コロナウイルスは、目に見えないテロリストのように恐れられているが、一方的に襲撃してくるのではない。まず、ウイルス表面のたんぱく質が、細胞側にある血圧の調整に関わるたんぱく質と強力に結合する。これは偶然にも思えるが、ウイルスたんぱく質と宿主たんぱく質とにはもともと友だち関係があったとも解釈できる。それだけではない。さらに細胞膜に存在する宿主のたんぱく質分解酵素が、ウイルスたんぱく質に近づいてきて、これを特別な位置で切断する。するとその断端が指先のようにするすると伸びて、ウイルスの殻と宿主の細胞膜とを巧みにたぐりよせて融合させ、ウイルスの内部の遺伝物質を細胞内に注入する。かくしてウイルスは宿主の細胞内に感染するわけだが、それは宿主側が★極めて積極的に、ウイルスを招き入れているとさえいえる挙動をした結果である。これはいったいどういうことだろうか。問いはウイルスの起源について思いをはせると自(おの)ずと解けてくる。ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、★ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらく★ウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。親から子に遺伝する情報は★垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は★水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる。それゆえにウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ。おそらく宿主に全く気づかれることなく、行き来を繰り返し、さまようウイルスは数多く存在していることだろう。その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、★生態系全体の動的平衡を促進する行為である。かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからも★ウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。
・・・生態系全体としたらなるほどそういう仕組みなのかと思うわけですが、人類の利己的な発想からすると、やっかいな問題であるわけです。
《参考》「法隆寺と伊勢神宮、どちらが動的平衡か?」/ザ・アカデミアより
https://theacademia.com/articles/otonalesson08
この問いは、ある建築家と話していて浮かんだものです。絶えず分解と合成を繰り返すのが、動的平衡。それなら、20年ごとに建て替えを行う「伊勢神宮」の方が動的平衡と言えるのではないか?と考えた人も多いでしょう。しかし★私の考えでは「法隆寺」の方が動的平衡です。世界最古の木造建築と言われながら現代までその姿を残しているのは、さまざまな部位が、常に少しずつ入れ替えられ、更新されてきたから。遷宮のたびに一新して建て替える伊勢神宮よりも、“ちょっとずつ”入れ替えていく法隆寺の方が、★より生命のあり方に近しいように、私には見えます。この動的平衡の視点で世界を眺めてみると、あらゆるものが「生命的」に見えてきませんか?鴨長明の『方丈記』の冒頭には★「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と書かれています。川はいつも流れていて、もとの水と同じではない——。文学的な表現ですが、ここで語られているのはまさに動的平衡の考え方です。「かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」。一方では消えてなくなり(壊され、分解され)、一方では形ができて(合成され)、そのままの状態でとどまっているということはない…。生命のあり方を動的平衡として捉えることによって、私たちが暮らす社会や、織り成す時代の移り変わりなど、さまざまなものを生命の立場から読み解くことができるはずです。
・・・この「法隆寺」の例えは、とてもよく理解できました。法隆寺ってスゴイ(人間臭い)わけです。福岡さんは科学と芸術を同一線上で語ってくださる、ほんとスゴイ人です。
《ウイルスは生きている》著:中屋敷均/講談社現代新書2016
我々はすでにウイルスと一体化しており、ウイルスがいなければ、我々はヒトではない。それでは我々ヒトとは、一体、何者なのか?生命科学という★パンドラの匣の中には、ぎっしりとウイルスが詰まっていた。果たしてかれらは生命なのか?人間は幾多の謎を解明できるのか?生命というミステリーの幕が開いた!『生物と無生物のあいだ』から9年、新たなる科学ミステリーの傑作が誕生!
【中屋敷均】
1964(昭和39年)年、福岡県生まれ。1987年京都大学農学部農林生物学科卒業。博士(農学)。
現在、神戸大学大学院農学研究科教授(細胞機能構造学)。『生命のからくり』(講談社現代新書)で2014年にデビュー。専門分野は、植物や糸状菌を材料にした染色体外因子(ウイルスやトランスポゾン)の研究。趣味は、将棋、山歩き、テニス等。
《参考》人間と共生する生き物?可能性未知数のウイルスの正体~ただの病原体ではないウイルスの本当の姿と活用の可能性を探る/EMIRAより
https://emira-t.jp/special/7814/
「“増やす”ではなく、正確には環境を与えられたので、“増えられるから増えている”ものだと思います。その中でより増えることができたものが残っていくのですが、まれにウイルス同士で助け合うこともあります。調べてみると、ウイルス集団の中には、しばしば自分だけでは増えることができないものが見つかり、他のウイルスからタンパク質をもらうことで、生きているようです。共助ですね」
「ウイルスの全てが病気の元になっているわけではないのです。いることによって何かしらの役に立っているものもあるんですよ」
「ウイルスは一般的には病気の元になりますし、それは事実。一方でウイルスがあるからこそ元気でいられることもあるんです。例えば、子宮で子どもを育てるという戦略は、哺乳類が繁栄できているキモだと言われています。実は、子宮の胎盤形成に必須の遺伝子の一つがウイルス由来のもので、胎盤の機能を進化させる上で重要な役割を果たしていることが知られています。現在でも、その遺伝子がなければ胎盤は正常には作れません」
「例えばヘルペスのように、それがいることで他の菌に感染しにくくなっている、と報告されているものがあります。あるウイルスのおかげでわれわれの体は他の菌やウイルスに対して強くなる。つまり、ワクチンを打っているようなものかもしれませんね」
「ウイルスは基本的にエネルギーを作ったりはしません。自身では設計図を持っているだけで、それを誰かに渡して製品(遺伝子産物や子孫)を作ってもらっているような感じです。自分の製品をより多く作ってくれるところへ潜んでいき、そこで設計図を渡す。その動きだけを見ると、結構世渡り上手な感じですね。だからウイルス自身が何か生産的なことをしているというより、宿主の細胞に働きかけて上手にそのシステムを利用しているイメージです」
「自身を増やす過程で、自分を排除しようとするものから巧妙に逃れる性質があります。この活動があるからこそ、ウイルスは増えていき、その結果、病気を引き起こすことにもつながっているのです」
「自分では動けない、しかし自身を増やすことはできる。何をもって“生きている”と定義するかによるのですが、進化をして、子孫を残すという性質を重視すれば、生きていると考えることもできるように思っています」
「この巨大ウイルスが、遠い未来に意思を持つような生物になるかもしれませんね(笑)。実は、巨大ウイルスを研究していたところ、彼らに“寄生するウイルス”(これは普通サイズ)というのが見つかり、寄生されると巨大ウイルスが病気になることが分かったのです。その後、巨大ウイルスは寄生したウイルスをやっつけるための免疫システムのようなものを持っていることも判明しました」
「こういった“生物的な”巨大ウイルスの活動を考えるともう、ウイルスを生き物の仲間に入れてあげてもいいんじゃないかと思いますね」
「今までウイルスは、それを原因とした病気の発生を通して見つかるという歴史でしたが、次世代シーケンサー(遺伝子の塩基配列を高速に読み出せる装置)と呼ばれる技術の発展により、病気を起こさないウイルスというのが生物界に広く存在していることが明らかになりつつあります。そういったものの中には、★病気やストレスに対するワクチンのような効果を持つことが分かったものも少なくありません。ウイルス研究が進めば、これからさらに“共生体としてのウイルス”の良い面がどんどん分かってくるかもしれません。今からのウイルスの研究は、これまでと一味違うものになっていく可能性がありますし、その動きは既に始まっています」
・・・とにかく、病気やストレスに対するワクチンのような効果の研究を急いでください。としか言いようがないですね。
《NEWS》2013.7.19National Geographicより
パンドラウイルス、第4のドメインに?
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8175/
これまで知られている中で最大のウイルスが発見された。パンドラウイルスと呼ばれるこれらの生物は、科学の世界にまったく新しい疑問を突きつける存在で、発見した研究チームによれば、既存の生物とは完全に異なる第4のドメインに属している可能性もあるという。★パンドラの箱を開けたような様から、このウイルスはパンドラウイルスと命名されている。新たに見つかったパンドラウイルス属のウイルスの大きさは約1ミクロン(1000分の1ミリ)で、50~100ナノメートルほどしかない他のウイルスと比較すると格段に大きい。属とは分類学上、種と科の間に位置するカテゴリーだ。物理的な大きさだけでなく、パンドラウイルスはDNAも巨大だ。大部分のウイルスの遺伝子の数は10程度だが、パンドラウイルスは★2500の遺伝子を持っている。約10年前にも、ミミウイルス属の発見により、微生物学の既成概念が打ち破られたことがあった。このウイルスは0.7ミクロンの大きさを持ち、初めて存在が確認された巨大ウイルスだった。
これまでパンドラウイルスが見つからなかったのはなぜか? 理由はいくつかあるが、非常に単純な問題として、多くの科学者がウイルスは小さいものという★固定概念にとらわれていたという点が挙げられる。
巨大ウイルスについて知っておくべきことは? 第一に、これらのウイルスは人に害を及ぼすものではない点を、研究チームは強調している。多くのウイルスは他の微生物を宿主としている。実際、多くのパンドラウイルスやこれに似た海生ウイルスは、確認されていないものの自然の中で有益な役割を担っている可能性がある。例えば、ウイルスは海に住む植物性プランクトンをエサとしており、捕食によりこうしたプランクトンを一定数に抑える役割を果たしているとも考えられる。植物性プラントンは海の食物連鎖の基礎をなす生物で、地球の★酸素の半分を供給している。さらに大きな視点で見ると、パンドラウイルスの発見は★「地球上の微生物に関する我々の知識がいかに浅薄なものであるかを示している」と、研究チームでは述べている。(科学誌「Science」2013年7月17日号掲載)
《パンドーラー(Pandōrā)》
ギリシア神話に登場する女性で、神々によって作られ人類の災いとして地上に送り込まれた。人類最初の女性とされる。パンは「全てのもの」であり、パンドーラーは「全ての贈り物」を意味する。また日本語では長音符を付けずにパンドラとも表記されている。現在伝わっている神話では人間とされているが、かつては地母神であり、陶器に描かれた絵に神々に作られたパンドーラーが大地から出現する表現が見られることから、地下から恵みをもたらす豊穣神だったと考えられている。ヘーシオドス『仕事と日』(47-105)によればヘーパイストスは泥から彼女の形をつくり、神々は彼女にあらゆる贈り物(=パンドーラー)を与えた。アテーナーからは機織や女のすべき仕事の能力を、アプロディーテーからは男を苦悩させる魅力を、ヘルメースからは犬のように恥知らずで狡猾な心を与えられた。そして、神々は最後に彼女に★決して開けてはいけないと言い含めてピトス(「甕」の意だが後代に「箱」といわれるようになる。)を持たせ、プロメーテウスの弟であるエピメーテウスの元へ送り込んだ。美しいパンドーラーを見たエピメーテウスは、プロメーテウスの「ゼウスからの贈り物は受け取るな」という忠告にもかかわらず、彼女と結婚した。そして、ある日パンドーラーは好奇心に負けて甕を開いてしまう。すると、そこから様々な災い(エリスやニュクスの子供たち、疫病、悲嘆、欠乏、犯罪などなど)が飛び出した。しかし、「ἐλπίς」(エルピス)のみは縁の下に残って出て行かず、パンドーラーはその甕を閉めてしまった。こうして世界には災厄が満ち人々は苦しむことになった。ヘーシオドスは、「かくてゼウスの御心からは逃れがたし」という難解な言葉をもってこの話を締めくくる。パンドラの箱の物語は多分に寓意的である。特に箱に残ったエルピスをどう解釈するかで物語の理解が分かれる。古典ギリシャ語のエルピスは、「予兆」とも「期待」とも「希望」とも訳され得る。英語圏ではエルピスは「Hope」(希望)と呼ばれている。現代では神話になぞらえて、「開けてはいけないもの」、「禍いをもたらすために触れてはいけないもの」を意味する慣用句として「パンドラの箱」という言葉が使われている。またパンドラウイルス属は、発見によって生物の定義に★「混乱がもたらされた」ため、パンドーラーにちなんで命名された。
《新型コロナウイルスの真実》著★岩田健太郎/ベストセラーズ2020/4/11
★岩田健太郎氏が「全部正しい」ことはありえない/2020.2.2八幡和郎
神戸大学・岩田健太郎教授が、2月18日、ダイヤモンド・プリンセス号内の様子を動画をYouTubeにアップしで報告し百万回を超える再生回数を記録し、CNNでも紹介され大反響だ。厚生労働省がずさんなことは、登録をせずに岩田さんを船内に入れてあちこち歩かせていることでわかる。岩田さんが厚生労働省の誰かに頼んで入れたと言うことは他にも同じことをしている人がいるはずだ。これは由々しき事態である。これでジャーナリストなどを入れていたとしたらそれこそ感染が広がる原因になる。そういう意味において厚生労働省は岩田さんの潜入ルートについてきちんと調べて処罰をしないと大変なことになりかねないのかもしれない。全部が嘘ではないが、危惧すること。もちろん私は、彼が言うことが全部嘘だなどと言うつもりはない。ただ中立的な専門家だとか、感染症の日本でダントツの専門家とか言う目では見ないほうがよさそうである。そのあたりをNHKやCNNが騙されて世界中に広めているのは残念だ。言論の自由ではあるが、日本政府が一生懸命、面倒を見てきたのに、世界から恩を仇で返されるようなことにならないといいと思うし、本来の対策で忙しいときに、この岩田氏のような現場の★モティベーションを低めるような言い方で、自分だけがスポットライトを浴びたのではせっかくのユニークな見識がいかされないことになりはしまいかと危惧するのである。それから、クルーズ船の乗組員も乗客もほとんどが外国人であり、日本人ばかりのときのような★行儀良く整然とした対応など意思疎通の困難もあってできるはずないのである。また、まさか全国から大量に医師や看護師をこの船に投入もできない。感染を防ぐためだけだったら、もっと厳しく部屋に閉じ込めといたほうがいいのだが、精神衛生上の配慮も無視できないなかで★すべての面で満足できる対応など現実にできるはずなかろうとも思うのである。くれぐれも言っておくが、私は厚生労働省のクルーズ船に対する対策をすべて支持するわけでも岩田氏の意見にもっともな点がないともいってないので最後に念を押しておきたい。
・・・このような冷静かつ端的な「指摘」が重要だなと思う。批判とか非難ではなく、問題点を整理して「指摘」することが求められる。
《NEWS》2020.2.20朝日新聞より
岩田健太郎・神戸大教授が20日、動画を削除した
新型コロナウイルスの集団感染が起きた大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号をめぐり、感染対策を批判する動画を公開していた岩田健太郎・神戸大教授が20日、動画を削除した。岩田さんは「ご迷惑をおかけした方には心よりお詫(わ)び申し上げます」とのコメントをツイートした。岩田さんは感染症の専門家で、18日に船内で活動する災害派遣医療チーム(DMAT)の一員として乗船。船内の状況について、ユーチューブに公開した動画で「どこにウイルスがいるかわからない状態」「悲惨な状況」などと説明していた。この投稿に関しては、同船で感染症対策に携わる医師がフェイスブックに「下船していく乗客の方々、現場で頑張っている方々を追い詰めかねない内容」と投稿。当時の状況に関して「(岩田さんが)船内におられたのは2時間弱」としている。また、岩田さんが、船内ではウイルスがない安全な区域とそうでない区域の区分けが十分にできていないと指摘したのに対し、完全とはいえないまでも「実際はゾーニングはしっかり行われている」と反論。船内で「患者さんとすれ違った」という岩田さんの主張にも疑義を呈している。岩田さんは20日、日本外国特派員協会(東京都千代田区)で開かれたテレビ会見で、動画を削除した理由について「船内の環境が向上し疫学的データも公表されたため。ただ感染のリスクが存在しているという私の主張は変わらない」と説明。さらに「私の意図は、誰か個人を批判することではなかったが『批判している』という意見があった。誤解が続かないよう動画を削除した。合理的、科学的な議論が状況を変えると思っている」と話した。
・・・とにもかくにも、専門家の方々には「慎重に」「吟味して」「影響を考えて」言動に注意してくださいとしか言いようがない。そして、受け止め側の私たちは常に「疑問をもって」「偏らずに」「すぐ垂れ流さずに」じっくり自分の中で「醸成(むらす)」ことだと思います。(自分に言い聞かせています)4月も最後です。