《四畳半》Wikiより
日本家屋を代表する部屋の間取りのひとつで、六畳、八畳などとともに広く用いられる。通常の敷き方では、一畳サイズの畳4枚と半畳サイズの畳1枚が使われ、全体の形状は正方形となる。畳の配置としては2種類(及びその鏡面形)が一般的である。中央に半畳サイズの畳を置く配置(卍敷きとも呼ばれる)は、部屋の中央に炉を切る時に用いられる。畳の角が4つ集まって十字形になることは不祝儀であるとされるため、他の敷き方が用いられることはほとんどない。四畳半が初めて現れるのは室町時代とされる。初期の草庵風茶室は四畳半の広さであったと考えられている。東山の慈照寺(銀閣寺)にある東求堂同仁斎(1486年(文明18年))は四畳半の書斎で、草庵風茶室の源流とされる。また、村田珠光は18畳の和室を4分して四畳半の茶室を造ったと伝えられている。今日でも、一般には四畳半以下の茶室を草庵風茶室と称する。1970年代頃まで、学生などの青年向けの下宿や間借りの広さは四畳半が代表的であり(例えば、1952年(昭和27年)に建てられ、多くの漫画家が暮らしたことで有名なトキワ荘は全室四畳半であった)、「四畳半」という語は、例えば四畳半フォークのように、(当時の)青春時代の生活の代名詞として用いられた。松本零士の漫画『男おいどん』などでも「四畳半」が青春時代の貧しい生活の象徴として描かれている。
《参考》奇跡のアパート「トキワ荘」
https://www.city.toshima.lg.jp/artculture/brand/tokiwaso/machi.html
東京都豊島区椎名町(現南長崎)にあった木造アパート「トキワ荘」に手塚治虫が入居したのは昭和28年。翌年区内雑司が谷の並木ハウスへ転居し、「ジャングル大帝」をはじめ、「鉄腕アトム」「リボンの騎士」などの名作が世に出されました。その後、彼を慕って、寺田ヒロオ、藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎、赤塚不二夫など、後のマンガ界をけん引する数多くの巨匠たちがその青春時代をトキワ荘で過ごし、互いに切磋琢磨しながら、「マンガ」という新たな表現文化を切り拓いていきました。そのトキワ荘は、昭和57年に解体され、現存していませんが、跡地には記念のモニュメントが建てられ、「マンガの聖地」として今も多くのファンが訪れています。
・・・私が大学のため上京した最初の下宿も「トキワ荘」そっくりの「四畳半」で、家賃の目安は1畳1000円という時代で、『男おいどん』は身につまされるマンガでした。さて、茶室の「四畳半」は「禅の心」を反映したものと★岡倉天心の「茶の本」に記載されています。
■「茶の本」/著:岡倉覚三(天心)/青空文庫より
https://www.aozora.gr.jp/cards/000238/files/1276_31472.html
「わが国の偉い茶人は皆禅を修めた人であった。そして禅の精神を現実生活の中へ入れようと企てた。こういうわけで茶室は茶の湯の他の設備と同様に禅の教義を多く反映している。正統の茶室の広さは★四畳半で維摩の経文の一節によって定められている。その興味ある著作において、馥柯羅摩訶秩多(二七)は文珠師利菩薩と八万四千の仏陀の弟子をこの狭い室に迎えている。これすなわち真に覚った者には一切皆空という理論に基づくたとえ話である。」/訳:村岡博
日本の茶道を欧米に紹介する目的で、1906年(明治39年)、米国ボストン美術館で中国・日本美術部長を務めていた天心が、ニューヨークの出版社から刊行した。茶道を仏教(禅)、道教、華道との関わりから広く捉え、日本人の美意識や文化を解説している。天心没後の1929年(昭和4年)に邦訳された。訳者は、天心の弟である岡倉由三郎の弟子である村岡博。
《参考》茶道の「帛紗」(ふくさ)正方形でない理由/文:さんち編集部・尾島可奈子
https://sunchi.jp/sunchilist/craft/21739
お茶席でお点前をする、その最も重要な意味は、人の見ている前でものを清めるということにあります。この器が清まりますように、その器を使う相手も私も美しく保たれますようにという願いが、実は帛紗の寸法にも込められています。帛紗は一見正方形に見えて、本当は長方形です。寸法は元々『八寸八分の九寸余』と決まっていて、利休の教えを100の歌にまとめたというかつての利休百首にもそのことが書いてあります。なぜこの寸法になったのか。昔の人は言霊と同じように、数字に力があると信じていました。奇数は『陽』、おめでたい力のある数字。偶数は『陰』、陽に準じる数字。つまり『九』という数字は、陽の極まる数字というわけです。“苦しむ”につながるから縁起が悪いとするのは、近代になっての語呂合わせなんですよ。昔の人は、九は高貴で力のある数字だと考えました。古くは、皇室に関連する表現に九という数字が大切に扱われていました。御所をあらわす別の表現は九重 (ここのえ) 。別に、本当に御所の屋根が九層というわけではありません。最高に立派な建物、というニュアンスを伝えるのに九が用いられているのです。さらに御所の宮殿の宮 (キュウ) と九は同じ音でしょう。漢字で音が重なる場合は相通じる意味をもたせてあることが多いんです。究極の究もキュウ。また、9月9日は重陽の節句です。陽の極まった数字が2回重なるから重陽なんです。だから帛紗一枚の中にも、九という数字を閉じ込めたかった。手に使いやすいハンカチくらいの大きさを保ちながら、九という数字をまたいだ九寸余を寸法に用いることで、高貴な数字の持つ力をこの帛紗の中に閉じ込めようとしたんです。もう一辺は、対になる陰の力の偶数で最も大きい八を2回重ねて、八寸八分に。こうして最も高貴な数字を閉じ込めた布で清めるからこそものが清まると、昔の人は信じたのです。
・・・制作している作品の紹介も、タマにはしておきましょう。
・・・「スタンプ」を作品に生かすため、いくつか模様を作りました。
・・・発砲スチロールボードの端材を活用して、新たな可能性にチャレンジです。