・・・「玉手箱プロジェクト」との関係で「キューブ(立方体)」を先行させましたが、そろそろ「正方形(スクエア)」について考えてみたいと思います。
■日本人は黄金比よりも白銀比や正方形が好き?/准教授★牟田淳のページより
http://amuta.jp/asarticles/silver.html
19世紀の西洋人を対象に行われた★フェフィナーの調査では、黄金比の四角形を好む人が多いということが示されました。しかし、人々の好みは文化、時代、世代によっても変わるものです。実際、日本では「黄金比」よりも人気のある比があります。★「白銀比」や「正方形」です。ここではその白銀比など、日本人好みの比を紹介します。
【牟田淳】1968年生まれ。東京都杉並区出身。2018年現在、東京工芸大学芸術学部教授、フェリス女学院大学非常勤講師、大東文化大学非常勤講師。東京大学理学部物理学科卒、同大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了、理学博士。筑波大学等を経て現職。理学部物理出身の芸術学部教員として、アートと理学及びそれらを融合した様々な本の執筆及び研究を行う。また、ビートたけしさんとの対談をはじめ多数全国雑誌掲載あり。テレビ、ラジオ等にも出演した。
※「精神物理学」
外的な刺激と内的な感覚の対応関係を測定し、また定量的な計測をしようとする学問である。認知科学や工学の分野では心理物理学と呼ばれることが多い。★グスタフ・フェヒナーがその創始者であり、心理学(実験心理学)の成立に大きな影響を与えた。 外的な刺激は物理量として客観的に測定できる。そこで外的な刺激と内的な感覚との対応関係が分かれば、内的な感覚(クオリア)も客観的に測定できることになる。
《★雪月花の数学》著:桜井進/祥伝社2010
西洋の黄金比に対する日本の白銀比、江戸時代に発達した和算の歴史など、日本という視点から数学へアプローチする。例えば「5・7・5」「5・7・5・7・7」で構成する俳句や短歌は、構成要素もその和もすべて素数で、さらには白銀比が隠れている。白銀比こそが無駄を好まず質素を美徳とする日本人の精神に通じているというから、なんとも興味深い。数学の雑学としてはもちろん、日本人として大事な考え方を知ることができるという点でも楽しめる一冊。
【桜井進】
1968年山形県生まれ。東京工業大学理学部数学科卒業、同大学大学院卒業。サイエンス・ナビゲーター。東京工業大学世界文明センターフェロー。在学中から、講師として教壇に立ち、大手予備校で数学や物理を楽しく分かりやすく生徒に伝える。2000年、日本で最初のサイエンス・ナビゲーターとして、数学の歴史や数学者の人間ドラマを通して、数学の驚きと感動を伝える講演活動をはじめる。小学生からお年寄りまで、誰でも楽しめて体験できるエキサイティング・ライブショーは見る人の世界観を変えると好評を博す。世界初の「数学エンターテイメント」は日本全国で反響を呼び、テレビ出演、新聞、雑誌などに掲載され話題になっている。
■正方形研究・序説-芸術工学的"かたち"の理解-九州産業大学芸術学部情報デザイン研究室
●風呂敷、折り紙、四畳半。日本には正方形に関わる知恵が豊富にある。正方形という切り口からデザインの可能性を模索してみたい。
●Amazon.co.jpで「正方形」をタイトルに含む和書を検索すると、わずか8件のヒットという結果になる(2009.09.17)。その中で、デザイン・造形的な観点から正方形に言及したものを抽出すると、右下表の4件に絞られ、さらに、主題に「正方形」という文字を含むものに絞れば、★ブルーノ・ムナーリの本が唯一の存在となる。ブルーノ・ムナーリによる「円+正方形-その発見と展開」はそれ自体が15cm四方の2冊組で、そのひとつに「正方形-その発見と展開」(IL QUADRATO)と題がついている。この本には目次がない。すべての項目がアルファベット順に掲載されており、ムナーリ自身がその前書きで「索引の必要はない」といっている点もユニークである。ムナーリによれば、正方形は「完全な一つの空間概念の極限の集約」であり、「充実した精神の象徴性の秩序を表現」している。「囲い、家、村の概念を意味し」、「美術的な構築をするに当たって調和ある骨組みを与え」、またチェスやダイスなど古くからある「遊びの因」にもなっている。AGORAの平面図にはじまり、WANG HSI-CHIH 註7)の草書・楷書体まで、建築物、美術作品、日用品、文字、さらに正方形に関わる幾何学や抽象概念、詩に至るまで、全170項目に言及した貴重な資料である。
【ブルーノ・ムナーリBruno Munari】(1907~1998)
http://www.munart.org/index.php?p2=0
イタリアの美術家、グラフィックデザイナー、プロダクトデザイナー、教育者、研究家、絵本作家。幼少期を北イタリアのバディーア・ポレージネというちいさな街で過ごし、18歳の時ミラノへ戻り、イタリアの前衛美術運動の一つ★「未来派」の活動に参加、「役に立たない機械」を発表する。ムナーリは「未来派」の中でも「後期未来派」に分類され、運動の考え方に共鳴するものの中心的な人物として活動はしていない。絵本「スイミー」などで有名なレオ・レオニともこの時期未来派の芸術家として交流を持つ。1930年代、1940年代はグラフィックデザイナー、アートディレクターとして雑誌の編集などに関わる一方、幼い息子の為に★仕掛け絵本を企画デザインする。10冊企画された絵本は当時7冊がモンダドーリ社から発行され、後年2冊が追加された。現在はコッライーニ社の復刻版が発行されている。1958年、イタリアを訪れていた詩人・美術評論家の瀧口修造と知り合う。1965年、瀧口によって日本で個展を開催。瀧口を通じて作曲家・武満徹とも親交が深く、ムナーリが贈ったオブジェをモチーフにした武満の曲「ムナーリ・バイ・ムナーリ」がある。1960年代以降、しばしば日本を訪れ、★日本の伝統的な美意識やデザインに共鳴し、影響を受ける。1950年代からイタリアのダネーゼ社のためのプロダクトを数多くデザインし、その後も家具、照明器具などの工業製品のデザインを数多く残している。1967年、アメリカ・ハーバード大学へ招かれビジュアル・コミュニケーション・デザインの講義を行う。以後、デザイン教育の分野でも多くの著書を書くと同時に、イタリア・ミラノのブレラ美術アカデミーなどで教鞭を執る。晩年は子供のための造形ワークショップ活動に力を注ぎ、イタリア各地、日本を含む国外でもワークショップを行っている。
【岩崎清】 (日本ブルーノ・ムナーリ協会代表)
1939東京生まれ。早稲田大学文学部卒。美術書専門の出版社で編集者として勤める。1985年に勤務先の「こどもの城」の開館記念の特別事業として「ブルーノ・ムナーリ展」を企画開催。2004年から★ギャラリーTOMの副館長として視覚障害者 の芸術体験をうながす企画展示をおこなう。また2008年~11年の四年間にわたり神奈川県立近代美術館の主催する「人づくり・学びの場としての美術館」を考えるプロジェクトに委員として参加。触察本『手で見る北斎』(2012年)の制作。現職:日本ブルーノ・ムナーリ協会代表、ギャラリーTOM副館長、NPO視覚障害者芸術活動推進委員会理事長。
★「ギャラリーTOM」150-0046東京都渋谷区松涛2-11-1/03-3467-8102
村山亜土・治江夫妻が、視覚障害者だった長男・錬の「ぼくたち盲人もロダンを見る権利がある」という言葉につき動かされ、1984年に「視覚障害者のための手で見るギャラリー」として開設した私設美術館です。TOMという名称は、亜土の父、村山知義のサインから採りました。知義は、大正時代より新興美術運動の旗手として活躍し、さらには、小説、劇作、演出、映画制作など、あらゆる表現分野にたずさわりました。特に、妻・籌子の童話に添えた挿絵や、子どものための絵雑誌に寄せた童画などは、いまでも人々の心に深い印象を与えています。また、ギャラリーТОМのロゴマークは、知義のサインをもとに、河野鷹思さんがデザインしました。ギャラリーの建物の設計は、内藤廣さんによるものです。鉄筋コンクリート作りで、その上に特徴のある鉄骨の梁を斜めに掛け渡してあります。内藤さんは「この部分でTOMのメッセージの先鋭さや怒りを表現しようとした」そうです。また、建設にあたり何人ものすばらしいアーティストにもご協力いただきました。鉄製の門扉の取っ手は原正樹さん、木製の入り口のドアノブは西大由さん、テラスの床のアレンジは脇田愛次郎さんにそれぞれ制作していだだいたものです。
・・・すごいギャラリーを知ることができました。ぜひ、行ってみたい。忘れていたわけではありませんが、大学時代にムナーリを初めて知った時の、新鮮な感動が甦ってきました。ムナーリは日本の伝統的な美意識やデザインに共鳴し、影響を受けたそうです。身近な正方形から、振り返ってみましょう。
《折り紙(折紙)》Wikiより
紙を折って動植物や生活道具などの形を作る★日本伝統の遊びである。また、折り上げられた作品そのものや、折り紙用に作られた正方形の専用紙、千代紙などのことをさす。上級武家が和紙で物を包むために用いていた折形、折形礼法から礼法部分がなくなり、庶民へ遊戯用に広く発展・普及したもので、日本を代表する文化である。起源は定かでないが井原西鶴の「一昼夜独吟四千句」(1680年)が最古の文献とされている。ヨーロッパなどで独自に発達した折り紙もあるが、現代では日本語の発音を移した「ORIGAMI」という呼称が海外でも広く使われている。折り紙の芸術的側面が評価され、過去にはなかった複雑で優れた作品が生み出され、各国に伝承する折り方に加えて、新しい折り方も考案され続けている。また、折り紙の持つ幾何学的な性質から、数学の一分野としても研究されている他、工学分野でも構造物の収納・展開の手段として活用されている。
《NEWS》大阪の折り紙製造「大与紙工」に破産決定、1891年創業/2017.2.17不景気コムより
官報によると、大阪府大阪市に本拠を置く折り紙製造の「大与紙工株式会社」(登記上:大與紙工株式会社)は、1月31日付で大阪地方裁判所より破産手続の開始決定を受け倒産したことが明らかになりました。同社のホームページによると、1891年に染紙業として創業の同社は、「おりがみのダイヨ」として折り紙の製造・販売を主力に事業を展開するほか、和紙・千代紙・紙製品の製造を手掛けていたものの、近年は需要の減少により業績が悪化していました。資本金は2000万円、従業員数は25名です。事件番号は平成29年(フ)第254号で、財産状況報告集会・廃止意見聴取・計算報告の期日は4月25日までです。
商号:大与紙工株式会社/創業年:1891年(明治24年)
本社所在地:大阪府大阪市天王寺区空堀町16-8
1891年(明治24年)染紙業として創業。1955年(昭和30年)1月、株式会社に改組。1955年(昭和30年)手で染めていたものを機械で染めることに成功。2017年(平成29年)1月31日付で、大阪地裁から破産手続きの開始決定を受ける。負債総額約3億円。
・・・「ダイヨ」残念なことです。折紙(包装紙)で、「ルービック・キューブ」を作ってみました。