インド | すくらんぶるアートヴィレッジ

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●インド中部ボパールで15日、新型コロナウイルスの恐ろしさを訴える絵が道路に描かれた。

 

・・・画像の掲載を忘れていました。さらに、中南部の都市ハイデラバード(Hyderabad)で自動車博物館を営んでいるスダカール・ヤデブ(Sudhakar Yadav)さんについてさらに調べてみますと、とんでもない人でした。

 

 

 

《Sudha Cars Museum》

https://www.hyderabadtourism.travel/sudha-cars-museum-hyderabad

Sudha Cars Museumは、インドのハイデラバードにある自動車博物館です。博物館には、日常のオブジェクトに似た「クレイジーカー」が展示されています。これらの車は、Kanyaboyina Sudhakar(主にK. SudhakarまたはK. Sudhakar Yadavとして知られている)によって手作りされ、学生時代に趣味としてスタートし、2010年に専用博物館をオープンしました。Sudhakar Yadavは、子供の頃から自動車と整備士に興味がありました。彼は14歳で廃車から必要な物品を集めて最初の車を作りました。2005年7月1日、彼は全高が12.67メートル(41.6フィート)のハイデラバードで最大の三輪車に乗りました。三輪車のホイールの直径は5.18メートル(17.0フィート)で、長さは11.37メートル(37.3フィート)でした。ギネス最大の三輪車として、彼の名前はギネスに記録されました。博物館のすべての展示物にはプラークが付いており、車の製造元、製造にかかった時間、達成可能な最高速度に関する情報を提供しています。博物館には、10人が収容できる世界最小の2階建てバスもあります。小さなサイズの12種類のモーターサイクルが展示されており、そのうち最小のものは高さ33センチ(13インチ)で、時速30キロ(19 mph)の速度で走行できます。ヤダブは、いくつかの車は特別な機会を念頭に置いて作成されていると述べました。女性の日のために、彼は6 ccエンジンを搭載したハンドバッグとスティレットのような形をした車をデザインしました。バルディワス(子供の日)では、ペン、鉛筆、鉛筆削りを使って車をデザインしました。世界エイズデーを記念して、コンドーム型の車が発表された。自家製車の製造コストは、約85,000〜150,000ポンド(1,000〜1,800ポンド)です。しかし、非売品です。車はしばしば博物館から出して、人々が彼らが運転しているのを見ることができるロードショーのために持ち出されます。そして、今回「私は一般的に知られるあのウイルスの形を模したデザインのバイクをつくりました。人々に社会的距離を保つことを呼びかけるためです。」と語っておられます。

 

 

・・・さて、インドには素晴らしいアートがあります。それが、

 

《インド更紗の伝統と現在》文:日本女子大学名誉教授・小笠原小枝

「インド更紗」という呼称は日本でインドの模様染、特に木綿の生地に模様を表したものを総称したものですから、この名に当たるインドでの名称はありません。しかし様々ある技法のなかで、最も一般に知られているものが、カラムというペンを用いて描く★カラムカリ(kalamkali)と木型を使った★ブロック・プリント(wooden block printing)、あるいはこの二つ の技法を併せ持ったものです。中国が絹織物において世界で最も長い歴史を持つように、インドは木綿の模様染においてその名を世界に知られてきました。実際、茜の染文をあしらった縞模様の綿布がシリア・パルミュラから発見されているように、インドの染は紀元まもなくの頃から国外に輸出されていたことが知られています。輸出反物としてインド更紗が最もその本領を発揮したのがヨーロッパの大航海時代 16~17 世紀 以降の頃からです。特に 17 世紀に入ってヨーロッパ諸国の東インド会社が相次いで設立されたことにより、インド更紗は洋の東西に運ばれ、それぞれの国の模様染に大きな影響を与えてきました。日本近世の多彩な友禅染の発達、ヨーロッパ近代の模様染の発達、どれもインド更紗を抜きにしては語れないものです。

 

 

《参考》「岩立フォークテキスタイルミュージアム」

152-0035東京都目黒区自由が丘1-25-13岩立ビル3F/03-3718-2461

http://www.iwatate-hiroko.com/index.html

館長・岩立広子が長年収集した染織品を基礎に開設された、小さな美術館です。1965年の中南米に始まり、インドへの旅から本格的な収集が行われました。多彩な文化を持つインドの、名もなき民が生み出す「大地の布」の美しさに魅せられ、情報の全くない時代、「車窓から見た女性たちのスカートの柄に惹かれ、近くの染め場を訪ねる」 といった、手さぐりの出発でした。現地の人々や風土に触れ、暮らしの中にある染織品を収集し、およそ50年間、インドを中心に世界各地を訪れました。現在、インドの収集品が約4000点、その他の国が約4000点、計8000点余りの染織品を所蔵し、年3回の展覧会を企画、運営しています。手間暇を惜しまず、労力を顧みず作られた、かつての美しい布に実際に出会える美術館です。ぜひ、御来館ください。

 

《Kalamkari・カラムカリ》

何世紀もの昔、神話は吟詠家や画家たちにより、唄や絵を通して語り継がれてきましたが、時間の経過とともに、物語はキャンバスに織り込まれるようになりました。紀元前3000年以上前に始まり、ムガル朝の時代にアンドラ・プラデッシュ州で栄えた、インドで最古とも言える手捺染(ハンド・プリント)”Kalamkari(カラムカリ)ですが、その後はイギリスの殖民時代に、イギリス人によって装飾的なデザインとして発展していきました。今日でも、アンドラ・プラデシュ州では、何世代にも渡り、多くの職人によって”カラムカリ”の生産が行われ、最も重要な収入源となっています。”カラムカリ”は、23の工程によって作られます。最初に水牛の糞・乳・水で作られた溶液に綿布を浸して漂白をし、水洗いをした後、染めの際に色が滲むのを防ぐために、水牛のミルクとミロバランと呼ばれる植物から抽出された液体の混合物に浸します。その後、水牛の臭みを取るために、生地は20回も水洗いされ、天日干しされます。布の準備が整ったら、アーティストが布にデザインのスケッチを施し、”カラムカリ” の職人が、天然の原料から染料を作ります。ヒンズー教や植物をモチーフとしたデザインに、絵付けには藍、マスタード、錆び、黒、緑のような素朴な色が主に使われます。”kalamkari’はペルシャ語が由来で、”Kalam"は”ペン”、”kari" は”クラフトマン・シップ”を意味します。長い工程を経て準備をした布地に、職人の手によって竹のペン(又はナツメヤシの枝)で精密に描かれた絵、そして天然の色が載せられた布は、まさに”クラフトマンシップ”の賜物です。糸を紡ぐところから、糸巻き、織り、絵付け、染色、全ての工程が、自然の素材を使い、人の手により行われるテキスタイル作り。さらに刺繍を施したり、装飾をして、洋服を仕立てるなんて、本当に気が遠くなるような工程ですが、太古の昔から今でも続けられていること。機械化が進んだ現在では、日本を始め多くの国で、一から手で行われて作られるものが、”工芸品”となり、普段使いがしづらい、高価な物と化してしましました。かかる手間と時間を考えたら、それなりの値段がつけられるのが相当とは思うのですが、本来、人に伝えることから始まり、”生活に使うもの”に”彩り”を与えるべくして発展したテキスタイル。高価な物として箪笥の肥やしや、装飾品として扱うのではなく、”生活の一部”として、愛でるだけではなく身に纏い、感じ、共に在るべきだと思います。インドにはまだ、本当の”テキスタイル”が生活に息づいています。

 

 

※インドのテキスタイルとも由縁のあるウィリアム・モリスの言葉

”Have nothing in your house that you do not know to be useful, or believe to be beautiful.”実用的でもなければ、美しいと思わないものを家におかないこと。”工芸品”とは、美的価値を備える、実用品であるべきなのです。

 

《ブロックプリント》

手彫りの木版を使って布にインクを押し付けていくインドの伝統工芸。その歴史はとても古く、起源前にまで遡るとも言われています。カラフルで複雑な柄ほど幾重にもインクを重ねていくため、その作業工程は果てしなく、その分、機械では出せないハンドメイドならではの優しい風合いが生み出されます。ラジャスタン州ジャイプール近郊のサンガネール村やバグルー村に多くの工房が存在します。種類としては、サンガネールプリントと呼ばれる一般的な化学染料を用いたもの、バグループリントと呼ばれるインディゴなどの天然染料を用いたものやイスラム文化の影響を受けた幾何学模様が特徴的なアジュラクプリント、木版ではないですが「カラム」と呼ばれる染め付け用のペンで描くカラムカリなどが代表的です。

 

・・・この「ブロックプリント」を作品に生かしてみたいと考えています。