・・・今さらだけど「ルービツク・キューブ」が美しいなあと思って、まず「立方体」から調べてみました。
(1)★サイコロのように、六つの合同な正方形で囲まれる立体。★正六面体。
(2)正方形があってその1辺の長さがaのとき、この正方形の各点において、正方形の面に長さaの垂線をこの面の一方の側に立てたとき、これらの垂線によって描かれる立体を立方体または正六面体と呼ぶ。立方体は合同な6個の正方形で囲まれている。これらの正方形を立方体の面といい、面である正方形の頂点、辺を、立方体の頂点、辺(または稜)という。立方体の対角線すなわち同一の面上にない2頂点を結ぶ線分は4本あって、これらは同一点で交わる。
(3)正多面体の一つで、六つの正方形の面からなる立体。正六面体とも呼ばれる。それぞれの頂点のまわりには三つの正方形の面が集まる。直方体の特別な場合とみなせる。立方体の頂点の数は 8、辺の数は 12、面の数は 6である。立方体は直方体がもつ対称性に加えて、対角線を軸とする回転角 120°および 240°の回転移動などでも不変である。立方体を不変にするような三次元空間の合同変換は、恒等写像を含めて 48通り存在する。立方体のそれぞれの面の中心を結ぶと正八面体が得られ、また正八面体の面の中心を結ぶと立方体が得られる。この意味で、立方体は正八面体と双対な関係にある(→双対の原理)。合同な立方体によって三次元空間をすきまなく埋めつくすことができるが、★立方体はこのような性質をもつ唯一の正多面体である。
《参考》小学読本(1873)〈田中義廉〉★四「長、広、厚あるものを、立方体といふ」
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/mono04
文明開化を推進したい為政者は、まずこれからの次代を担う柔軟な頭を持つ子どもたちに新しい知識を授けることに力を注ぎました。それが、近代小学校発展の推進力となるわけですが、さて教科書はどうするか、が問題です。それまでの儒学を基盤とする江戸期の往来物では、西洋に太刀打ちできる新しい日本人は作れません。そこで、文部省は欧米の教科書を原著として、少し日本流にアレンジした翻訳教科書を出版しました。その中で多くの人に影響を与えたのが、日本最初の国語教科書、田中義廉編集『小学読本』(明治6年発行)です。
・・・続いて「サイコロ」を調べます。
《サイコロ》Wikiより
サイコロ(骰子、賽子)、または賽(さい)、ダイス (dice) は主として卓上遊戯や賭博等に用いる小道具で、乱数を発生させるために使うものである。多くは正六面体で、転がりやすいように角が少し丸くなっている。各面にその面の数を示す1個から6個の小さな点が記されていて、対面の点の数の和は必ず7となる。この点は“目”、または“ピップ” (pip)、“スポット” (spot)、まれに“ドット” (dot) とも呼ばれる。日本製の場合、1の面の目は赤く着色されていることが多い。ピップではなく算用数字が記されているものもある。各面に表示される数も“目”と呼ばれ、サイコロを振った結果表示される数を“出目”と呼ぶ。複数のダイスを同時に振ってすべて揃った出目を特に“ゾロ目”と表現し、特にすべてが1の目が揃った場合のことを“ピンゾロ”と表現する。
正六面体のサイコロの発祥地は古代インドとも古代エジプトとも言われる。現在と同じように1の裏が6であり、反対面を足すと7になるサイコロの最古のものは、紀元前8世紀頃のアッシリアの遺跡から発掘されたものである。
サイコロの目の確率は人智では予想ができないものと考えられていたため、サイコロの動きを、神の意志と捉えて★宗教儀式などに用いられる事があった。特にサイコロ発祥の地の一つとされているインドの神話を集録した★『マハーバーラタ』にはサイコロ賭博の場面が多く登場する。これは、サイコロ賭博そのものが元々、物事の吉凶についてサイコロに託して占った結果を他者と比較した事に由来するからだとも言われている。日本でも平安時代に藤原師輔が親王誕生を祈願してサイコロを振った故事(『大鏡』)があり、院政全盛期に絶大な権力を誇った白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」(鴨川の水の流れ方、双六のサイコロの目、比叡山延暦寺の僧兵、私の思い通りにならぬものはこれ)と述べたという記載が平家物語にある。
・・・つまり白河法皇にとって「加茂川の洪水」「サイコロの目」「比叡山の僧兵」の★3つが自分の思い通りにならないものなんだそうです。※「天下三不如意」
また江戸時代には航海の安全を祈ってサイコロを船に祀るということが広く行われていた。船霊を主に祀るのは漁民の他、船大工である。船が完成すると棟梁は船霊をまつる儀式を執り行う。海上では「カシキ」と呼ばれる、炊事を担当する少年が稲穂などを捧げて世話をした。神体としてのサイコロは二つで、「天1地6、表3あわせ艫4あわせ、中にどっさり(5)」になるように据えたという。中世以前のヨーロッパで使われていたサイコロは重心や形が不揃いで、理論として確率を予測することは困難だった。13世紀にヨーロッパ各地で均質なサイコロの生産が始まり、サイコロのデザインが標準化されることで、出目のパターンを予測する事が可能となった。サイコロの出目の確率を数学によって解き明かしたのは、1564年に数学者ジェロラモ・カルダーノの著した『運のゲームの本』というギャンブル指南書が最初と言われる。彼は金遣いが荒いことで知られており、本人は自身を賭博者、あるいはチェスのプレーヤーだと考えていたようである。しかし数学者らしく、1560年代に『さいころあそびについて』(Liber de ludo aleae、発行されたのは彼の死後1663年)を著し、そのなかで効率的なイカサマの方法として、はじめて系統的に確率論について触れて記している。★「ギャンブラーにとっては、全くギャンブルをしないことが最大の利益となる。」という言葉も残している。
※サイコロの雑学
http://dice.saloon.jp/dice/cult.html
※サイコロの語源・由来
http://gogen-allguide.com/sa/saikoro.html
「サイ」は竹冠に塞と書く漢字の字音で、★すごろくを打つことやダイスを意味する。古くは「サイ(采)」とだけ呼んでいたが、丸いものや小さいもの、転がるものなどに添えられる接尾語「コロ」が付き、「サイコロ」と呼ぶようになった。漢字の「賽子」は、同音になることからの日本の用字で、漢字「賽子」の「賽」に「ダイス」の意味はない。中国で「サイコロ」は、「骰子(トウツ)」「色子(シャイツ)」という。英語になるとDICE。これは複数形で単数ではDIE。サイコロは二つ以上で遊ぶので単数で使われることはほとんどなく、1個のばあいはone of diceと使うのが一般的。
《参考》大阪商業大学「アミューズメント産業研究所」
https://ouc.daishodai.ac.jp/ams_labo/
2001年に大阪商業大学の附置研究所として設置されたこの研究所は、余暇活動に対する国民の関心の高まりを受けて誕生した、大学レベルとして日本初の余暇産業を研究する専門的研究機関。現代生活における「遊び」や「趣味」、「楽しみ」といった余暇活動について、歴史、文化、経済、法律的な側面から包括的に分析し、将来のアミューズメント産業のあり方や方向性を追究しています。国内外の民族玩具と現在流行しているゲームとの比較文化的研究、国内外のギャンブルや宝くじの多面的研究などテーマも多彩で、学術書・機関誌の刊行や収蔵品等の展示も行っています。また、様々なネットワークを構築し、共同研究などにも積極的に取り組んでいます。
《さいころ (ものと人間の文化史)》/著:増川宏一/法政大学出版局1992
歴史の波動を超えて転がり続けた〈さいころ〉の社会史。占具、遊戯・賭博用具。古代神話の世界から近現代の博徒の動向まで、遊戯の補助具としての役割を各時代・社会に位置づけ、木の実や貝殻のさいころから投げ棒型や立方体のさいころへの変遷をたどる。
冒頭に古代インドの『マハーバーラタ』が挙げられ、さいころ賭博は罪悪というより教養のひとつと語られています。人類の祖先は自分たちの思いもよらない物事を神の意志と捉えて、なんとかその兆しを知ろうとしました。インドだけでなくチベット、アフリカ、ネイティブアメリカ、神の意志を知る道具としてさいころが使われていたという紹介が続きます。初期のサイコロにはヒツジやヤギのくるぶしの骨が使われていました。さいころ=神様、というのは朝鮮では四世紀以来の三国、新羅、高麗、李朝を通じて賽神信仰が続いていました。そのお祭りでは大々的に賭博が行われていたといいます。ここでも、たまたま偶然を神の意志の顕れと受け止められていたのです。日本でも、さいころは霊力があるものとされ「賽には禍を払う力がある」(卯花円漫碌)という伝承がありました。神体として祀る風習は、和船の祝い事で、帆柱の根元に船の神としてサイコロを納めたそうです。また宮中では安産の儀式として使われていたとか。
【増川宏一】(1930~)
遊戯研究家。遊戯史学会会長、大英博物館リーディングルーム登録者、国際チェス史研究グループ会員、チェス史研究支援財団名誉会員、元将棋博物館顧問(現在は閉館)。『賭博』『さいころ』『遊戯』などの著者がある。長崎県生まれ。旧制甲南高等学校(現在の甲南大学の前身)を卒業。増川が盤上遊戯の研究を始めたきっかけは旧制中学時代にさかのぼる。中学で先輩に呼び出され、★「我が校の本分は遊ぶことである」といわれたことがきっかけだと述べている。30歳のときに勤務先を退社、賭博などの遊戯史の研究に専念する。チェス史の研究で1973年にはベルリンのペルガモン博物館の研究所を訪問している。大学などで役職に登用されたことはない★自主研究者である。遊技の歴史研究等について著書を発表している。 江戸時代の家元等の過大な自称等により伝えられてきた内容を元にした「囲碁史」「将棋史」を批判し、信頼性のある同時代資料を元にした批判的な研究を、★ほぼ独力で行った。日本将棋連盟より、2004年「将棋の日」感謝状、2010年から将棋歴史文化アドバイザーに。2014年第21回大山康晴賞を授賞された。他に、2005年、第17回将棋ペンクラブ大賞特別賞を受賞。
・・・「遊び」について真剣に考え研究している人ですね。お元気なのかなあ。最後に、
★明治「サイコロキャラメル」89年の歴史に幕/2016.5.10テレ朝ニュースより
明治は5月9日、昭和2年に発売した「サイコロキャラメル」の全国出荷を3月末で終了したと明らかにした。「遊べるお菓子」として親しまれてきた「サイコロキャラメル」が89年の歴史に幕を閉じました。6月からは北海道限定の土産品として販売する予定。昭和初期の発売当初から、遊び心のあるデザインが話題となり、特徴的な包装で人気を集める商品の先駆けに。明治は成長が見込めない事業から撤退するなど選択と集中を進め、キャラメルは国内市場が縮小傾向で明治の売り上げも減っていたため見直し対象に。「クリームキャラメル」「ヨーグルトキャラメル」も生産を終了した。サイコロキャラメルを北海道限定の土産品にするのはこれまで製造していた工場があるためで、グループ会社が販売を再開。名称は残すが、包装のデザインなど詳細は未定。
・・・幼少の頃は、実際のサイコロよりサイコロキャラメルでした。