《リランズゲート》設計:安藤忠雄/安藤忠雄建築研究所1986
《参考》「インフィオラータこうべ北野坂」
http://www.infiorata-kobe.net/
道路や広場に花で絵を描くイベントです。神戸では、阪神淡路大震災後に傷ついた神戸を美しく彩りたい。という思いからジェンツァーノのインフィオラータにヒントを得て1997年に日本では始めて三宮東地区にて、開催しました。★北野では、風見鶏の館の復興記念として北野町広場に花絵を描きました。インフィオラータ北野坂その後、神戸のインフィオラータは、市内の各地に広がり、2001年には、神戸の中心地、異人館で有名な北野・山本地区の南北の幹線道路「北野坂」で初めて開催しました。現在では、神戸の春を代表する風物詩として定着しています。インフィオラータは、地域に住んでいる方、地域で働いている方、そして観光客として訪れる方が協力し、花絵を描き出すという参加型のイベントとしても好評を得ています。是非、ゴールデンウィークは、神戸へ訪れ、花の降る神戸で楽しんでください。
https://dogdayskobe.com/interview/181-2/
1997 年より神戸の春の風物詩として楽しまれている花の祭典「インフィオラータこうべ」などの神戸・北野のまちづくりを行う髙橋理蘭(たかはし・りらん)さんは愛犬家としても有名です。
北野出身で北野在住のリランさんは「北野は外国人を含む住んでいる人たちと、ショップなどの商売をする人たちの地元愛で成り立っているんです」と語っておられます。北野山本地区を守り育てる会副会長。
・・・㈱リランズゲートの代表取締役???だから「リランズゲート」という名称だと思うのですが、間違ってたらゴメンナサイ。
《参考》北野・山本通にある安藤忠雄さん設計の建築
http://maikonohama.la.coocan.jp/topics08/kitano-andou/kitano-andou.html
北野アレー1977、ローズガーデン1977、北野アイビーコート1981、リンズギャラリー1981、
北野TO1986(ウォールスクェア、フィックス 213)、★リランズゲート1986、ウォールステップ1986、ウォールアベニュー1989
★震災死の津高和一、二紀会の大島幸子。自ら住む長田が燃える朝を画いた林哲夫。立ち上がる人を描く栃原敏子。自己を被写体とした小谷泰子の、あの日と今。表現としては内在化しても変えない作家たち。私達は「美術」にとどまらず、アートにおけるすべてのジャンルについて関りながら「アートエイド神戸」という運動を起こした。
【小谷泰子】(1962~)
兵庫県西宮市生まれ。兵庫県芸術奨励賞受賞、第3回 東京国際写真ビエンナーレ「記憶、記録の漂流者たち」優秀賞受賞。
幼いころの絵日記が、いつしか写真日記に変わり、その延長線上に作品がある。自分の人生において日々込み上げてくる感情を吐き出したくて、あたかも聖なる儀式のようにカメラと対峙してきた。沈黙の長い歳月を経て、自身の疲弊した心身の重みに耐えかね、再びカメラの前に押し出された。今ここにある現実という暗闇の「向こう側」に惹かれつつ、行きつ戻りつ苦悩しながら、そのあわいに身を委ね、鈍色に覆われた青い闇を彷徨う。神戸に暮らし★阪神・淡路大震災を経験した私のなかに、地を揺るがしたあの出来事が現在に至るまで何らかの影を落としていることは否定できない。近年も各地で頻発する地震や台風の被害を見るにつけ、それがあの震災の記憶と重なって喪失感が増し、自分のなかの空虚さを埋めきれなくなってくる。また、女性としての老い、病、ストレス、ハラスメント、親しい人の死など、誰にも降りかかる可能性のある様々な問題が、この闇のなかに渦巻いている。作品の直接の契機となったのは、こうした個人的な問題だけれど、この世界に生きる人たちが共通して抱える悩みや問題にも、きっとどこかで通じると信じている。なかなか作品として結実することなく空白が続き、生きる意味が見えにくくなっていた歳月も、かえって現在の作品作りを促す力となっている。流れ行く日々の断片が、また別の断片と結び合い、新たな意味を帯びて立ち現れる。「向こう側」と現実との境界に身を置き、光の射す方へ少しでも近づくことを願いながら、私はこれからもシャッターを押し続けるのだと思う。小谷泰子
【栃原敏子】
http://tochihara.com/tochihara/
大阪樟蔭女子大国文学科卒業、武蔵野美術大学短期大学部卒業。ニューヨーク・パブリックライブラリーアーティスト登録(1997)ニューヨーク・MOMAアーティスト登録(1998)ポウ展主宰 無所属。
http://www.gallery-shimada.com/01/tochihara.html
社会的要因は、私の描く絵画に多大な影響をもたらしてしまう。★震災もその一つの社会的要因となった。その中には、大いなる「人間愛」が存在していたし、創作するためのエネルギーに代わる「精神のゆさぶり」があった。どの様な社会的要因があったとしても、おそらくその中に、生命を歌い上げるものがなかったら、絵を描くことはしなかったと思う。私は、私の描いた絵を見てくれる人に精神のゆさぶりをかけられたら…と考えて描く。「一度見た絵が忘れられない」と言われる様な絵を描く事が出来たら、これ以上の喜びはないと思う。これは大変難しい事だと思うが、描き手が感動を覚えずに描いたモノは、人に感動を与えることはないと考えて描いている。紛争・貧困・災害・核実験・異常気象などなど、波乱に富んだ1990年代は、間もなく終わりを告げようとしている。21世紀は私達にどの様な世界を見せてくれるのでしょうか。捨てたものではない人間の本質を根底にして、精神的豊かさを加味した、そんな絵画の世界を表現し続けられたらと思う。 その時どきの精神の起伏は、次の絵画へと駆り出されて創作のエネルギーへと変化する。
http://tochihara.com/tochihara/pouten2/
【津高和一】(1911~1995)
http://gallery-shimada.com/?p=5841
http://gallery-shimada.com/artist/?p=94
あらゆる事象をのみ込んで、無限に豊かになっていくもの、それは突き詰めていきますと、結局一本の線になるんですね。世のすべてのけん騒も、宇宙への大きな感動も、僕自身の人生も、一本の線の中に入ってしまう。一本の線を引いて、そこに僕の全てが入ってしまえば、絵はそこで完成する。単純になればなるだけ、絵は一層豊かになる。
【大島幸子】震災2週間前の家族(枌原隆子さん)2019年12月10日 (火)
https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/shinsai25/417496.html
がれきの中から見つけたカメラに写っていた母、姉、妹と私の家族の震災の年の元日、2週間前の写真です。倒壊した自宅から、母が30時間ぶりに助けられ、3週間後に迫った展覧会の追い込みで深夜まで制作にとりかかっていた姉・大島幸子が下敷きとなりました。飾らない下町の風景を描き続けて絵の事しかない55歳の人生でした。震災後、「住んでいる街を描く画家今後大いに期待された人である」、と紹介され、ずっと姉を支えてきた母、応援してきた私、妹ですが、ありがたい言葉をいただき、復興の心の支えとなり、現在に至っています。人生何が起きるか、本当にわからない!娘、孫たちにやりたい事、興味ある事、迷わず挑戦するよう、悔いのない人生を送るよう、言っております。その当時の切り抜き、写真を保存していますので、この話を書く時、手元に置いていたら、大学生の孫が少し関心を持ちました。私の周りから伝えなくてはと思いました。最近小品を手元に飾り、姉のことを思い出しています。
【林哲夫】(1955~)
http://gallery-shimada.com/01/schedule/exhibition/hayashi_0806.html
香川県生れ。画家。武蔵野美術大学卒業。1979~80年ヨーロッパ各地に滞在。帰国後、京都に住み、神戸へ移転するも、震災に遭遇して京都に戻る。1999年、古本好きが嵩じて仲間たちと書物雑誌★『sumus』を創刊。主に忘れられた出版人の再評価を試みる。2002年、喫茶店の歴史を概観し文学者や画家たちの交遊を描いた著書『喫茶店の時代』で第15回尾崎秀樹記念大衆文学研究賞受賞。
林さんは武蔵野美術大学卒のれっきとした画家でその画業も30年に及ぶ。しかし書物や文字への偏愛も尋常でなく、古書蒐集から評論、装丁、出版にいたる仕事も拡大と深化を続けている。昨年、15年前に約束した個展を、ようやく果たした。‘95年の震災で神戸を離れたが、震災後、神戸を拠点にした★「みずのわ出版」との仕事が神戸との関わりを繋ぎ、ギャラリー島田に係船した。画家に文章家は多いが林さんには「文章家が絵を描いた」と言われないように願いたい。
《参考》「みずのわ出版」
http://mizunowa.com/index.html
山口県周防大島安下庄の本屋・写真屋・百姓です。2011年9月、神戸から周防大島の亡祖父母宅に移転しました。都会を見限りました。
・・・一人ひとり丁寧にアーティストを紐解くと、アートの深淵が観えてくる。
《参考》フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)『善悪の彼岸』146節
“Beware that, when fighting monsters, you yourself do not become a monster… for when you gaze long into the abyss. The abyss gazes also into you.”
怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。