東から西へ(5) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【東真里江】

1991年長崎県生まれ。内的動機により2017年に絵を描き始める。絵を描く行為は、抑圧された心を解放する行為であると位置付けられる。描く行為によって、自己の身体性から精神性への働き、それらの回復あるいは獲得を試みる。画面に映し出されるのは、生きているもしくは生きていた自分自身であり、尚且つ自分自身ではない何かの存在である。自己とその時の時間や環境、また様々な人やものごととの間にある対話によって、その痕跡は残される。生が内包している様々なものごと、移り変わりの中で、対話によって微かな自分自身を見つめ捉えようとしている。

 

【羽田典子】

愛知県生まれ。広告制作会社に勤務後、独学で写真を撮り始める。2017年3月に開催した写真展「脈をつかむ」(ソニーイメージングギャラリー銀座)でフォトグラファーとして始動。

 

 

【ハブチユウスケ】

1985年生。グラフィックデザイナー、フォトグラファーとして、関西を中心に活動をしていく中で、新しい写真の見せ方、感じ方を考えた、写真を木に転写したオリジナル作品「ツムクム写真」を発表。2017年 初個展「日常の|ツム|クム|写真展」を開催。同年UNKNOWN ASIAに出展。現在も関西を中心に作品を発表し続けている。

 

 

《NEWS》中之島四季の丘(北西広場)から中之島遊歩道に歩行者繋がるデッキ

ダイビル本館 の西側には中之島四季の丘(北西広場)が整備されましたが、中之島四季の丘から北側の中之島遊歩道に繋がる歩行者デッキの工事の完成し、この辺りの歩行者動線が大きく改善されました。

中之島四季の丘(北西広場)は、ダイビル本館の西隣、中之島通りに面した共同開発区域の北西エリアの公開緑地に整備された都市公園です。中之島四季の丘の広さは約3,300m2 。「花・緑・水・光」をテーマにした広場には、四季折々の花、豊かな緑や水盤・噴水による美しい水景により自然を楽しめる空間となっています。地下部には駐車場(約180台)が設けられ、ダイビル本館の地下駐車場と一体で運営されます。

 

 

《関電ビルディング》

530-8270大阪市北区中之島3丁目6番16号/06-6441-8821関電本店

2004年12月、次代の幕開けを象徴する「関電ビルディング」が中之島に誕生しました。「環境共生のモデルビル」「効率経営の推進拠点」「社会との共生・共感の場」という3つのテーマを掲げ、新しいワークスタイルを実現し、価値を創造する事業拠点とするだけでなく、広く社会の人々とコミュニケーションを図るための開かれたスペースや、自然環境と共生していくためのさまざまな工夫もなされている新しい時代のオフィスビルです。

https://www.kepco.co.jp/

《参考》当社の役員等が金品等を受け取っていた問題について

この度は、お客さまや地域の方々をはじめとする関係者の皆さまに、多大なるご迷惑をおかけしていることを心からお詫び申し上げます。10月9日、役員人事等および第三者委員会の設置について記者会見を実施いたしました。また、12月9日、「贈答および接待の取扱いに関する規程」を制定しました。当社は、引き続き第三者委員会の調査に真摯に対応するとともに、今後、第三者委員会が取りまとめる調査結果を真摯に受け止め、再発防止策等に取り組みながら、信頼回復に向けて全力を尽くしてまいります。

 

【Tom Shannon】(1947~)

https://www.tomshannon.com/

彫刻家、発明家。「Hi_Phi(ステンレス2004)」。企業の経営理念の一つである「成長する力」を表現している。3つの大きさは、「1:1.618」からなる最も美しい黄金比率で出来ています。

 

・・・そして眼前には、これまた銀色に輝く国際美術館がある。

 

 

 

《国立国際美術館》設計:シーザー・ペリ

530-0005大阪市北区中之島4-2-55/06-6447-4680

http://www.nmao.go.jp/

1977年、国内外の現代美術を中心とした作品を収集・保管・展示し、関連する調査研究及び事業を行うことを目的として開館しました。建物は、1970年の日本万国博覧会開催に際して建設された万国博美術館を活用し、以来、わが国の現代美術の発展を願い、活動を継続してきました。その間、竣工以来30余年が経ち、施設の老朽化などに問題が生じてきたため、大阪・中之島西部地区に、完全地下型の美術館として新築、移転することになりました。新しい美術館では、現代美術を発信する美術館として従来の活動を継承しながら、よりいっそう国内外の美術の動向を幅広く紹介し、みなさまの多様な期待に応える活動に積極的に取り組んでいきます。建物は、竹の生命力と現代美術の発展・成長をイメージした外観デザインを有し、人と美術との交流を生み出すパブリック・ゾーンを設けるなど、より快適な鑑賞の場を提供できるよう工夫しました。歴史と文化を継承する中之島における新たな文化の拠点として、今後、みなさまに親しまれる施設となることをめざします。

2004年グランドオープン、開館記念展★「マルセル・デュシャンと20世紀美術」を開催。

 

・・・さらにその前に、

 

《大阪市顕彰史跡》

https://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000243650.html

平成29年度顕彰史跡(8)新しく設置した顕彰史跡パネル

★233「北村兼子ゆかりの地」

530-0005大阪市北区中之島3丁目5-13中之島第一ビル正面

 

・・・平成30年3月で233箇所、その後の設置がないとしたら、これが最も新しい顕彰史跡となります。

 

 

【北村兼子】(1903~1931)

http://www.kansai-u.ac.jp/nenshi/people/#fragment-1

明治36年(1903)11月26日大阪府に生れる。梅田高等女学校(大手前高校の前身)を経て、 大阪外国語学校(大阪外大の前身)に入学、大正12年、同校英語科を修了。 のち、関西大学大学部法律科に学ぶ。22歳の春、朝日新聞発行の雑誌『婦人』に「法律を学ぶ私」を出して認められ、 在学のまま朝日新聞社に入社。記者の傍ら文筆活動を続ける。 昭和2年、 同社を退職し、翌年ホノルルで開催された汎太平洋婦人会議に日本の政治部委員として出席。 昭和4年、ベルリンで開かれた万国婦人参政権大会に日本代表として出席した。 そのあとロンドン労働学校に学ぶ。昭和5年、香港・中国を歴遊。同年12月、ライセンスを得るべく立川の日本飛行学校に入る。翌年4月単独飛行できるようになり、8月には訪欧飛行を決行する予定のところ、にわかに発病、昭和6年(1931)7月26日没した。★27歳。著書に、『ひげ』『怪貞操』『婦人記者廃業記』『子は宝なりや』『大空に飛ぶ』等がある。

 

・・・むむむ、早すぎる。