・・・さて「矢田坐久志玉比古神社」に「二の矢塚」があったわけですが、櫛玉饒速日命はニニギノ命の天孫降臨に先立って「天磐船」に乗ってこの地に降臨し、その時「三本の矢」を射たということですから、あと2本の矢を探さなければなりません。
《参考》まちかどレポート076 矢田は古代信仰の聖地
https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/report/machikado/002020.html
「一の矢塚」は一番南にあります。ここは、草が伸びていれば見つけにくい処です。
「二の矢塚」は矢田坐久志玉比古神社境内にあります。
北村集落に向かう途中に、「三の矢塚」邪馬台国伝承地を示す碑が建っています。大阪教育大学名誉教授★鳥越憲三郎氏の論説に基づいて、大和郡山市観光協会がここに建立したもので、説明板があります。『旧事(くじ)本紀』に、この三本の矢を放ったこの地が物部一族の本拠地であるとし、邪馬台国はこの物部氏のつくった部族国家で、女王卑弥呼が君臨した地であるとしています。考古学上、説はいろいろありますが、地元ではこの地を「宮処(みやどこ)」と呼んでいます。
・・・「一の矢塚」は見つけにくい処、覚悟して探索に出かけます。途中、
《主人神社》
639-1058奈良県大和郡山市矢田町796
矢田坐久志玉比古神社の摂社(御旅所)で、櫛玉饒速命(クシタマニギハヤヒノミコト)御炊屋姫神(ミカシギヤヒメカミ)を祭神としています。創立由緒などは不詳です。久志玉媛神社とも呼ばれており、本来の祭神は饒速日命の妻の御炊屋姫だったと考えられます。土地の人は「ぬすっとじんじゃ」と呼んでいます。今は車の往来が激しい県道沿いですが、昔は淋しいところで、ここを根城にした盗賊が村々を荒らしまわったということのようです。
当地には人身御供の伝説が伝わっています。「昔、この神社へは近くの村から年に一人、怪物のために若い娘を差し出さねばなりませんでした。あるとき旅の僧が村人の嘆きを聞き、愛犬「サン」を連れて神社に向かいます。怪物の正体は境内に棲む老いた★土蜘蛛でした。愛犬は土蜘蛛を噛み殺し、自らもクモの毒気で倒れました。そこで村人は愛犬を手厚く葬り、この旅の僧も年老いるまで世話をしたという話です。」
史実では、矢田村では毎年一人の処女を境内の仮小屋に住まわせて祭神に奉仕させる習慣が、明治に至るまで続いていたそうです。
《参考》「葛城に葬られた土蜘蛛」/大和の妖怪談義より
http://www.enyatotto.com/youkai/tsuchigumo/tsuchigumo.htm
○外川(郡山市)の土蜘蛛は、毒をもつ大きな牙をガチガチならして、真っ赤な舌をペロペロ出し、銀色の太い糸をパッと吹きかける。(奈良のむかし話研究会編『読みがたり・奈良のむかし話』)
※土蜘蛛は、上古の日本において朝廷・天皇に恭順しなかった土豪たちを示す名称である。各地に存在しており、単一の勢力の名ではない。土雲とも表記される。また同様の存在は国栖(くず)八握脛、八束脛(やつかはぎ)大蜘蛛(おおぐも)とも呼ばれる。「つか」は長さを示す単位であり、八束脛はすねが長いという意味である。
・・・こういう小さな神社(祠)にも、いろいろな言い伝えがあり大切にしたいものです。さて、「一の矢塚」はこの近くにあるはず。草刈りをしていただいていたおかげで、無事に発見することができました。うれしい。次は「三の矢塚」、邪馬台国伝承地を示す碑が建っているということなので、簡単に見つけられると思っていました。しかし、何の標示看板もなく行ったり来たり。そのお蔭で?
《NEWS》2018.3.23毎日新聞より
矢田幼稚園閉園式、さよなら赤い屋根。大和郡山/奈良
http://web1.kcn.jp/yata-youchien/index.html
大和郡山市矢田町の市立矢田幼稚園(向井くるみ園長)の閉園式が22日あり、園児らが風船を飛ばし、親しんだ赤い屋根の園舎に別れを告げた。矢田幼稚園は、近くに新築された市立矢田認定こども園の4月開園に伴い、今月末で閉園になる。1954(昭和29)年4月の開設から64年間で計4110人が巣立った。
639-1058奈良県大和郡山市矢田町947/0743-53-3210
https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/kouhou/photo/005004.html
http://web1.kcn.jp/yata-youchien/33page.html
・・・大切にしたい「思い出」、そして忘れてはならない「思い出(教訓)」があります。
《三の矢塚(伝承邪馬台国想定地碑)》
https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/kankou/kanko/model/001224.html
https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/report/machikado/002841.html
矢田町には、小字の「一の矢」と称する地名と小さな塚があります。伝説によると、櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)が地上に降りて来た時、「天神より天の羽々矢、天の羽々弓賜わり祝いて、三本の矢を射放ちてその落ちし所に宮居せんと。すなわち、この矢田に落ちたり・・・」一の矢が落ちたのが、この塚の地。二の矢は矢田坐久志玉比古神社に、三の矢は同神社北方500メートルの地に落ちたと伝えられています。
・・・なんだこんなところにあったのか、と行ったり来たりがバカみたいです。さて、悔しさまぎれに「東明寺」へ。
《東明寺》
639-1058奈良県大和郡山市矢田町2230/0743-52-7320
時の天皇や上皇の発願「勅」で創建された祈願寺を表わす寺格で、鍋蔵山 東明寺は天武天皇の子で淳仁天皇の父でもある★舎人親王の勅により建立されたお寺です。〝舎人親王〟は日本書紀編纂の責任者として著名で万葉集などにも名を残す歌人でもあります。
・・・わざわざ紅葉を撮影に来られているカメラマンもおられ、素晴らしい。