・・・限られたスケジュールの中で、どの島に渡るのか?迷わず「大島」へ。
《大島》
https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/smph/kurashi/shinotorikumi/keikaku/sonota/oshima/index.html
大島は、高松港から東方約8kmに位置する島です。その大部分を、★国立療養所大島青松園が占めており、現在では同園の入所者、職員等関係者のみが居住している状況です。入所者の平均年齢は80歳を超え、将来的には、居住する者がいなくなることが懸念されています。一方で、平成8年の「らい予防法」の廃止後、徐々に島外の人々との交流が活発となり、夏祭りや人権学習などにおいて、島外からの来訪者は増加している状況です。また、平成22年に開催された★「瀬戸内国際芸術祭2010」において、会場の一つとなったことにより、ハンセン病の歴史や同療養所の現況を、より多くの人に知っていただく契機となったほか、風光明媚な島の魅力などのアピールにつながりました。本市では、これまでのハンセン病療養所の歴史を後世に伝えるとともに、瀬戸内国際芸術祭を契機として生まれた、芸術関係者など、島外の人々との交流の継続・拡大や、島の景観等を生かした活性化などの方策により、同島における交流や定住の促進をめざしていきます。
《国立療養所「大島青松園」》
761-0198香川県高松市庵治町字島々6034番地1/087-871-3131
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/hansen/osima/index.html
高松市の離島である大島に所在する。大島の西には桃太郎伝説の鬼が島とされる女木島、南には屋島の戦いで知られる屋島、東には小豆島が存在する。野島泰治が長らく所長を務めたほか、林文雄が晩年に勤務した。歌手の沢知恵が毎年無料のコンサートを行い、島の内外から多くの人が訪れているほか、2010年(平成22年)から大島が瀬戸内国際芸術祭の会場の一つとなった。しかしながら四国運輸局より官庁船に不特定多数の乗客を乗せることは違法の可能性があるとの指摘を受け、2016年より所用のある者以外の乗船ができなくなった。このため大島青松園入所者自治会が定期航路での就航を要望、★2019年1月21日付で定期航路としての認可を受け、同年4月26日より一般の乗船が再開されることとなった。
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/hansen/osima/shiptime.html
《NEWS》2019.1.23朝日新聞デジタルより
香川)大島行きフェリー、一般客が利用可に/★無料で
高松市の国立ハンセン病療養所・大島青松園のある大島と高松港を結ぶフェリーに、一般の観光客が乗れるようになる。これまでは原則として園の関係者しか利用できなかった。瀬戸内国際芸術祭が開かれる4月からは、誰でも無料で島を訪れることができる。大島と高松港を結ぶフェリーは国が運航する「官用船」で、園の入所者や職員、施設の見学者が使っている。国土交通省四国運輸局が21日、園が申請していた旅客船の定期運航を許可し、瀬戸芸が始まる4月26日から一般客の利用が可能になる。大島が会場の一つになっている瀬戸芸では、官用船で島を訪れてもらい、作品や園内を案内するツアーをしていた。しかし、四国運輸局が前回2016年の開催前、「不特定多数の運送には旅客定期航路の許可が必要」と指摘。園や瀬戸芸の実行委員会は、別の民間船をチャーターしていた。
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/hansen/osima/access.html
・・・無料、素晴らしい。
《NEWS》2019.7.9日本経済新聞より
ハンセン病家族訴訟、政府控訴せず/首相表明
国が続けたハンセン病患者の隔離政策によって家族も差別を受けたとして家族らが国に損害賠償を求めた訴訟で、安倍晋三首相は9日、国の責任を認め、計約3億7千万円の賠償を命じた熊本地裁判決を受け入れ、控訴しないと表明した。元患者の家族を巡り、国の立法不作為や対策義務違反を初めて認めた判決が一審で確定する。首相は9日午前の閣議に先立ち、根本匠厚生労働相と山下貴司法相と対応を協議し、控訴しないことを指示した。首相は協議後、記者団に「判決内容の一部に受け入れがたい点があるのは事実。しかし筆舌に尽くしがたい経験をした家族のご苦労をこれ以上長引かせてはいけない。異例のことだが控訴しない」と述べた。菅義偉官房長官は9日の閣議後記者会見で、「法相、厚労相からの説明を受け、首相が判断した」と説明した。政府は今回の判決の問題点などを検討したうえで、近く控訴断念に至った経緯について政府声明を発表する方針。根本厚労相は9日の閣議後会見で「これから早急に具体的な対応を検討したい」と述べた。一方、原告側は「家族の尊厳回復につながる」と熊本地裁判決を高く評価し、国に控訴断念を強く要請。首相は3日、日本記者クラブ主催の党首討論会で「患者、家族の皆さんは人権が侵害され、大変つらい思いをしてこられた。どういう対応をとるか真剣に検討し判断したい」と述べていた。元患者本人の訴訟では2001年、熊本地裁判決が隔離政策を違憲として国に賠償を命じ、当時の小泉純一郎首相が控訴を見送り確定。「極めて異例の判断だが、早期に全面的な解決を図ることが必要」との首相談話を公表した。その後、本人の被害を補償する制度が創設されたが、家族は対象外だった。
《NEWS》2019.8.13プレジデントオンラインより
★スタジオジブリとハンセン病と安倍首相の相関
今年7月、国が続けたハンセン病患者の隔離政策をめぐる損害賠償訴訟で、安倍晋三首相は国の責任を認め、控訴を見送った。なぜそうした判断に至ったのか。そもそもハンセン病とはどんな病気なのか。麻酔科医の筒井冨美氏が解説する――。安倍首相は24日には、首相官邸でハンセン病家族訴訟の原告らと初めて面会し、「政府を代表して心から深くおわび申し上げます」と改めて謝罪した。そこまで首相が頭を下げる経緯とはどんなものか。また、「そもそも、ハンセン病とは? 」という若い世代も少なくないので、この場を借りて解説してみたい。その後に、ハンセン病について学べる映画作品をいくつかご紹介したい。国立感染症研究所のウェブページによれば、ハンセン病とは「らい菌」により皮膚や末梢神経が侵される感染症である。幼児期に無治療の患者と濃厚な接触をすることによって感染し、数年~数十年後に発症することが多い。感染力は弱く、現在の医学では特効薬や治療法も確立されており、在宅での治療が主流である。「大人から大人への感染」「服薬中患者からの感染」は基本的にはなく、「一緒に風呂に入る」「握手」レベルでの感染はあり得ない。治療薬がなかった戦前には、顔や手足の変形や視力障害などの後遺症が残ることがあり、家族内感染も多かったため、「血筋の病」、あるいは神仏への悪行がたたった「業病」と誤解され、患者だけでなく家族も激しい差別の対象にされた。1907年の「らい予防法」に基づき、患者に対する強制隔離政策も行われていた。1940年代に開発された新薬プロミンによって完治する病気になったが、差別・偏見は容易に消えなかった。人権を無視した隔離政策は、1996年にらい予防法が廃止されるまで90年近く続いた。2003年には「ハンセン病元患者の宿泊をホテルが一方的にキャンセル」という騒動もあった。国立感染症研究所のウェブページによると、現在の新規患者数は「毎年約数名(日本人:数名、在日外国人:数名)」で、「らい菌を大量に排出している人はいません。今後患者が増加することはありません」という。また、全国に13カ所の国立ハンセン病療養所があるが、体内から菌そのものはいなくなったが、障害や高齢化のために介護を必要とする元患者が余生を送る施設となっている。
■ハンセン病をめぐる差別の構造を作品に触れよう
こうした経緯を知ると、安倍首相が控訴を断念したのは当然の判断と言えるだろう。ハンセン病をめぐる差別の構造は、さまざまな作品でも描かれてきた。今回はその一部を紹介したい。
《NEWS》2011.1.12朝日新聞デジタルより
松本清張がいざなう「昭和の鉄道・追跡の旅路」(1)砂の器
昭和を代表する作家のひとり、と言えば松本清張(1909~1992)です。没後、20年近くたちますが、映画にドラマにと、その作品の数々はいまも根強い人気です。この清張作品の数々に欠かせないのが、鉄道です。手掛かりを求めて全国を飛び回る刑事、夫の過去を追う新妻、巧妙な罠を用意した真犯人たちを運んだ列車が、長編短編を問わず、印象的に登場してきます。中でも『点と線』(1957)は、時刻表トリックというジャンルを日本に根付かせました。清張作品は、「昭和の鉄道シーン」が満載のミステリー、というわけです。アエラムック「昭和の鐵道と旅」では、この清張の大特集も掲載しています。それが巻頭から30ページに及ぶ「松本清張が誘(いざな)う昭和の鉄道・追跡の旅路」です。今回はその中から、1960(昭和35)年に刊行された名作『砂の器』の鉄道の旅をご紹介します。「カメダは今でも相変わらずでしょうね?」 殺人被害者が残した一言を手がかりに、ベテラン刑事・今西が全国を駆け回り犯人に肉薄してゆくサスペンス長編の金字塔。「カメダ」とは、被害者と幼少時代の犯人の接点だった島根県奥出雲町亀嵩(かめだけ)のことでした。今西がそこに向かう際に乗ったのが、JR西日本の木次線(宍道-備後落合、81.9キロ)です。1974年に『砂の器』が映画化された際は、そのクライマックスシーンで亀嵩駅をはじめ、木次線の風景が印象的に登場します。その木次線は今もなお、沿線に昭和の風情を色濃く残しています。終点の備後落合駅には、かつて機関車を転換させるために使われた転車台が草むしたまま構内に放置されています。また木次線の駅もそれぞれに個性的でユニークです。作品当時のままの木造駅舎が残る八川駅に、黒板状の駅名標を掲げた日登駅。広い駅構内を利用して畑がつくられている下久野駅、神社を模した戦前からの駅舎が残る出雲横田駅、「三段スイッチバック」で有名な出雲坂根駅、『砂の器』の舞台となり、現在は駅舎を利用して出雲そば屋が営まれている亀嵩駅など全18駅を、本書では写真つきで紹介しています。それだけでありません。木次線も含めて『砂の器』に登場するすべての駅と列車を網羅した「全駅全列車」のリスト(地図つき)も掲載しました。列車に関しては乗車駅と降車駅、列車番号、列車の愛称まで調べられる限り掲載いたしました。さらに、具体的な列車名が記されていない列車に関しても、作品の時代設定当時の時刻表をもとに発着時間や登場人物の行動から推理し、リストに掲載しています。『砂の器』に登場する駅は通過しただけのものも含めて52駅。列車は、種別や発着時間などが具体的にわかる、もしくは推測できるものだけで22本登場します。「カメダ」を求めて、最初に登場する秋田県の羽後亀田。そこへ捜査に向かう今西、吉村両刑事を乗せた上野発の夜行急行「羽黒」や、東京-名古屋間を結ぶ電車準急として活躍した「東海」、中央東線の優等列車「穂高」、のちに寝台電車の通称ともなった「月光」(『砂の器』当時は東京-大阪間の夜行急行)など、昭和世代には思わず懐かしくなる名前が続々と登場します。当時の写真も多数掲載しています。なぜこの列車名と特定できたのか――具体的な推理の過程は、本書でぜひご確認ください。今西が亀嵩に向かう際に乗車した「出雲」は当時は夜行急行。現在「サンライズ出雲」に乗れば東京から11時間半で到着する松江駅まで当時は19時間かかり、今西は松江で一泊した際疲れをいやすためにマッサージを頼んでいます。今以上に大変だった昭和時代の鉄道旅行の様子が、そんな描写から伝わってきます。
★スタジオジブリのアニメ『もののけ姫』
1997年の映画『もののけ姫』には、ハンセン病がモデルとみられるシーンが出てくる。劇中に登場する「タタラ場」と呼ばれる製鉄所で、包帯姿の人たちが働く様子が描かれているのだ。宮崎駿監督は2019年1月末、「ハンセン病の歴史を語る 人類遺産世界会議」という講演会の中で「ハンセン病をモデルにしている」「東京都東村山市の国立ハンセン病資料館で構想を練った」ことを公式に認め、「『業病(ごうびょう)』と呼ばれる病を患いながら、それでもちゃんと生きようとした人々のことを描かなければならないと思った」と語っている。
★樹木希林の最後の主演作映画『あん』
昨秋、他界した樹木希林の最後の主演作となった2015年の映画『あん』は、ハンセン病を正面から描いた貴重な作品である。過去がある雇われ店長(永瀬正敏)が仕切るどら焼き屋の求人に、手の不自由な老女(樹木希林)が応募してくる。彼女のあんが評判を呼び店は繁盛するが、彼女が「らい」といううわさが広まり……というストーリーである。当然ながら、ハンセン病元患者が作ったあんを食べてもハンセン病が感染することはない。
★松本清張『砂の器』とその映画版
松本清張の『砂の器』は1960~61年に連載された新聞小説で、主人公が殺人に至った背景として「父親がハンセン病で故郷を追われ、過去と決別したかった」という設定になっている。1974年の映画版でもハンセン病の設定はそのまま踏襲されており、「美しい日本の四季を背景に、病気への偏見から忌み嫌われつつも、巡礼する父子の別離」は、作品のクライマックスとなっている。この作品はテレビドラマとしても何度か映像されており、2019年版では「渋谷ハロウィン祭の殺人事件」に置き換えられており、劇中でハンセン病を思わせる描写は見当たらない。個人的には、1974年の映画版を超える作品は今もないと思う。原作を超えた数少ない傑作映画だろう。現在でも配信サービスなどで簡単に観られる作品だが、クライマックスでは号泣リスクが高いので、通勤電車などでの鑑賞は避けたほうがいい。
■もともとハンセン病施設入所者と職員のみが住む島だった
★瀬戸内芸術祭で公開されている「ハンセン病の島」
2019年は瀬戸内の島々を舞台にした「瀬戸内国際芸術祭」の開催年だ。芸術祭は多くの島でイベントが開かれるが、2010年の第1回から高松市の大島もその中に含まれている。ここはもともとハンセン病施設入所者と職員のみが住む島であり、現在では唯一となった離島にあるハンセン病施設である。島内には「四国八十八カ所のミニチュアコース」がある。かつて「四国八十八カ所を巡ると病気が治る」との俗説があり、『砂の器』のように病気によって故郷を追われて行き場を失った人々が遍路に出たが、道半ばで強制隔離されることも多かったという。そういった元巡礼者が入所後でも八十八カ所を達成できるよう島内に作られたそうだ。古い住居を転用したアート作品や、一度は海底に捨てられた解剖台を再び引き上げた展示は必見である。島の歴史を知るコーナーもあり、強制隔離や中絶・断種といった人々の苦難の中にも、養豚や盆踊りなど楽しみを見つけて暮らしていたことがわかる。私は医学生だった約30年前に初めてこの島を訪問した。当時は「やめたほうがいいのではないか」と身内にも反対されたが、それを押し切って薄暗い官用船で訪問した。先日、何度目かの再訪を果たした。その際、自撮りに夢中の大学生たちを眺めつつ、島で採れた梅ジュースを出すカフェで一休みして、明るくにぎやかになった島の変貌に驚きつつ、入所者の余生が安らかであることを祈った。瀬戸内国際芸術祭の夏会期は7月19日~8月25日の38日間。2019年からは大島への民間航路も承認されて周遊しやすくなった。芸術祭に興味のある方はぜひ訪ねてみてほしい。
・・・それでは、島内のアートを観て回ります。