・・・前回「中嶋秀子」さんの書籍を紹介し忘れていました。
《Sewing machine with umbrellas》作★Salvador Dalí
【manfredolsen】
https://www.deviantart.com/manfredolsen
・・・様々な作家が「ミシンと蝙蝠傘」にこだわって作品を書いたり、描いたり、
《ミシンと蝙蝠傘》著★稲垣足穂/装幀・挿画:山本美智代/中央公論社1972
目次:ミシンと蝙蝠傘、天守閣とミナレット、墜落、稲生家=化物コンクール
【稲垣足穂】(1900~1977)
1920年代(大正末)から1970年代(昭和後期)にかけて、抽象志向と飛行願望、メカニズム愛好、エロティシズム、天体とオブジェなどをモチーフにした数々の作品を発表した。代表作は★『一千一秒物語』、『少年愛の美学』など。
《一千一秒物語》文:稲垣足穂/画:たむらしげる/2003、2014復刊
稲垣足穂の原作に、たむらしげるがCGイラストを描いた、という素晴らしい絵本。時を越えて、奇跡的とも言える絶妙の組み合わせにより生まれた魅力的で不思議な世界。ふたりのファンのみならず、あらゆる人々に読み継いでほしい名作。待望の復刊。
【たむらしげる】
1949年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所修了。画集「メタフィジカルナイツ」で小学館絵画賞、映像作品「銀河の魚」で大藤信郎賞、「クジラの跳躍」で文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞などを受賞。
・・・たむらしげるさんの絵に惹かれて、即買いです。
《山本糾「ミシンと蝙蝠傘」展》於:Operation Table
2017.11.11Sat.~ 2018.1.28 Sun
福岡県北九州市八幡東区東鉄町8-18/093-651-1215
山本糾は、「考える水」「暗い水」「落下する水」という、奥深い山中の滝や山頂の湖沼、渦巻く海面など、水の情景や様態を捉えたシリーズで知られてきました。水はときには工場の煙突から勢いよく上る煙となった水蒸気であったり、空になった薬品壜の内壁に張つく水滴であったりもします。ここ数年は毎回参加している「対馬アート・ファンタジア」のため対馬を訪れ、霊気漂う神社の森を撮ったり、北端にある自衛隊の通信基地の島「海栗島」を対岸から捉えた作品を発表しています。
展覧会名は、Operation Tableが旗印に掲げる★ロートレアモン伯爵の詩の一節に拠っていると同時に、山本糾が敬愛する作家★稲垣足穂の短編小説の題名から引かれたものです。今展では、まさに手術台の上に置かれ撮影された「ミシンと蝙蝠傘」のほか、水のシリーズの数々、もと動物病院の会場にふさわしく薬品壜が並ぶ「BOTTLES」や、対馬で撮影された最新作に、未発表作品も加わり大小20点の写真作品が出品されます。
【山本糾】
1950 香川県生まれ1974 武蔵野美術大学デザイン科卒業
1990 「写真の過去と現在」東京国立近代美術館、京都国立近代美術館
1994-97 Photography and Beyond in Japan - 空間・時間・記憶」原美術(東京)
1996 個展 「暗い水」ギャラリーNWハウス(東京) 1997 個展 「考える水」ヨコハマポートサイドギャラリー(神奈川)
2002「傾く小屋」美術家たちの証言 since9.11東京都現代美術館(東京)
2009 第一回所沢ビエンナーレ美術展「引込線」(西武鉄道旧所沢車両工場)(埼玉)
多摩川で/多摩川からアートする 府中市美術館
2010 個展 「落下する水」国際芸術センター青森
2012 個展 「光・水・電気」 豊田市美術館(愛知)
2014 対馬アートファンタジア2014(長崎)(2015, 2016, 2017)
2016 個展 「何も遮るもののない場所」ギャラリー・ハシモト
・・・さて、制作にミシンを使用する(愛する)作家は、
《藤田嗣治の住居兼アトリエ》メゾン・アトリエ・フジタMaison-atelier Foujita
Route de Gif, Villiers-Le-Bâcle/01.69.85.34.65
http://www.mmm-ginza.org/museum/serialize/backnumber/0604/museum.html
https://sumau.com/2019/page_category/design/pari_art/633.html
今井敬子「レオナール・フジタ〈小さな職人たち〉」第3回
https://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/954
『ふらんす』2017年6月号表紙絵
レオナール・フジタ《仕立屋》1959年頃/ポーラ美術館蔵
手先が器用で自分の服だけでなく、ときには妻の衣服も手作りした画家フジタ。晩年に暮らしたパリ郊外のヴィリエ=ル=バクルのフジタの家では、室内を飾る布製の装飾品や雑貨のほとんどが、縫物好きのフジタの「手芸」による作品であった。シンプルなボーダー柄からフランスの伝統的なプリント文様の布地、さらに世界各地を旅した先で買い集めた布地のエキゾティックな色と柄がフジタの好みによってブレンドされた住空間。煙草をくわえて愛用する★足踏み式ミシンをカタカタと動かし、絵画制作と平行して裁縫にも腕を振るった。陸軍軍医総監を父に持つフジタが針と糸を手に取るようになったのは、1913年の渡仏以降、パリで独り暮らしを始めてからのことであろう。翌年には友人の画家である川島理一郎とともに、古代ギリシア文明への興味から自給自足の生活をパリの北東にあるモンフェルメイユという村で試み、ギリシア風衣装の制作のため機織りにも手を染めている。第一次世界大戦中の1916年にロンドンへ疎開した折には、セルフリッジ百貨店に裁縫師として勤め、英国流テーラーの裁縫技術を身につけた。「流行衣装のデザインをする事と、それを実際に仕立上げる事は、愉快な事に違ひなかつた」(藤田嗣治『巴里の横顔(プロフィル)』1929年)、さらに「芸術家は宜しく芸術品を身に纏うべしという考え」(藤田嗣治『巴里の晝と夜』1948年)にフジタは至る。
私が勤めるポーラ美術館には、針山を膝の上に置き、裁縫に勤しむフジタの《自画像》(1929年)がある。画家の自画像において裁縫姿が選ばれることは、フジタの他は皆無であろう。1920年代から30年代にかけて、艶やかな黒髪を切りそろえたヘアスタイルに丸メガネ、自作の奇抜な服に身を包んだ日本人フジタの目を引く容姿は、パリの画壇と社交界で最大の宣伝効果を発揮した。パリの仮装パーティでオリジナルのドレスに身を包んだ女装姿で現れては人気を博し、「フーフー Foufou」の愛称で親しまれたフジタ。乳白色の下地に繊細な線で描く裸婦像だけでなく、上流階級の婦人たちをモデルに、最新流行の色あざやかなドレスを着せてファッション・プレートのように華やかに仕上げた肖像画も同じく成功を収めていた。
第二次世界大戦後にパリのしがない働き手たちを描いたフジタの連作〈小さな職人たち〉には、ファッション関連の職人が幾人か登場する。《コルセット職人》《帽子屋》《マヌカン》など。今月の表紙《仕立屋》では、縞の水着姿のいかにも快活な客が鏡の前に立ち、生真面目な仕立屋に胴回りを計らせている。外国やフランスの地方からパリに上京してきた客の立身出世の野心が成就するか否かは、この仕立屋の腕次第といっても過言ではなかった。スーツの新調はかなりの高額の費用を要し、客と仕立屋のどちらにとっても、採寸、そして生地とスタイルの見立ては真剣勝負であった。
では、なぜこの客は縞模様の水着姿なのか。それはフジタの過去の記憶の中では、最新のファッションを自らリードした輝かしい「狂乱の時代」の舞台の一つが、1920年代後半のドーヴィルの海水浴場であったからなのであろう。フジタは洋服だけでなく、水着にもこだわりをもっていたようだ。
「海水浴も一種の、芸術品を見せる場所と心得ているから、かたちのいい人でなければ裸になれない。海水着にしても、醜いものをさけるために、ずいぶんと高価なものを着る様になる。僕の海水着なども、四百円位する」(藤田嗣治『巴里の横顔(プロフィル)』)
当時、日本の小学校教諭の初月給が50円程度であるから、400円の水着は燕尾服にも匹敵する一張羅であったはず。1927年にフジタがドーヴィルに滞在した際には、小粋なスーツ姿と水着姿、そして奇抜な柄の布地で自ら仕立てたセットアップ姿で脚光を浴びた。フジタによれば、彼が砂浜にいるだけで集客効果があるので、ノルマンディ・ホテルがパトロンとなり、無償で連泊させてくれたという。《仕立屋》に描かれた水着姿の客も、採寸に余念のない仕立屋の職人も、かわいらしい男児の姿で表わされたフジタの分身であろう。身に纏うものすべてが芸術品であるべしと唱える、パリにおけるフジタ流の立身揚名の心得が図解された絵画である。
・・・藤田嗣治さんのことを考える時、心痛むことが多い。そんなことを思いながら、私もミシンに向かう。
《参考》ソフト・スカルプチュア(Soft sculpture)
彫刻の一種で、織物、フォームラバー(気泡ゴム。Foam rubber)、それらに類似した素材で作られる。1960年代に★クレス・オルデンバーグが有名にした。たとえば『Soft Bathtub』(1966年)がその代表例である。『Cabbage Patch Kids(キャベッジパッチキッズ)』のクリエイター、Xavier Robertsも、最初の人形を作るのにソフト・スカルプチュアを使った。
【クレス・オルデンバーグClaes Oldenburg】(1929~)
http://www.oldenburgvanbruggen.com/
スウェーデン生まれのアメリカ合衆国の彫刻家。日常のありふれた物を超巨大に複製したパブリックアート・インスタレーションで知られる。他にも、日常の同様のソフト・スカルプチュアを制作している。オルデンバーグの最初★妻Pat Muschinski、結婚期間は1960年から1970年。オルデンバーグの初期のソフト・スカルプチュアの多くを★裁縫した。
・・・昔々、美術雑誌にミシンで縫っているところの写真が掲載されていたように思います。