初夏(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《参考》「アンティークミシン修理士の工房」

862-0949熊本県熊本市中央区国府1-21-3ブラザービル1階/096-371-8288

https://sewing.antiquelab.jp/index.html

先祖から伝わる思い出のあるミシン、アンティークが好きで愛着のある大切なミシン、モノを大事にすることを教えてくれるアンティークミシンを、丁寧に修理し縫えるようにいたします。

 

 

・・・ミシンの思い出は、もちろん「足ふみミシン」です。母親の眼を盗んで、よく遊びました。最高の遊びは、紙に方眼状にミシン穴をあけ「切手」「シール」作りをすることでした。現在、使用していませんが2台「足ふみミシン」を所有しています。土台部分にミシン本体がクルリと収納され、未使用時には机となる仕組みは、感動的でもあります。いつの日か、何かに活用したいと思っています。

 

 

・・・現在使用しているミシンは、母親から譲ってもらった高級電動ミシンです。もっぱら作品収納袋の製作ですが、ミシンの振動と音は心躍るものがあります。

 

【ミシンの合間 蝉声響く 鎮まる隙間縫い 扇風機の羽音】(初夏昼下がり)オサム

 

《九条道子句集「薔薇とミシン」》

1945年茨城県下妻市生まれ。表紙、扉の装画は父の鯨井康嗣。九条さんは戸恒東人主宰の「春月」の春星集同人で、『薔薇とミシン』は第一句集(平成29年9月15日、雙峰書房刊)である。題名は、九条さんが★ミシン商会を営んでいることと、ご主人の遺愛の薔薇園を大切に受継いでおられることに因んでいる。日常吟や旅吟を中心に、自分史のつもりで詠んだ句群からなっている。ご高齢のご母堂がお元気なうちに上木したいと思って出した、とあとがきに書いてある。市井の熱心な俳句愛好家のごく上質な第一句集であるといえる。序文は戸恒主宰、跋文は原田紫野さん。

句集名の『薔薇とミシン』は、集中の【薔薇香る窓開けは放ちミシン踏む】「吾亦紅」から採ったものである。愛情を掛けて育てた薔薇たちが香る庭園。その薔薇の香りを窓から引き込みながら生業としてのミシンを踏む。もう何十年も続けてきた日常であるが、何事もなく過ぎ去ることも大事だ。そして夕暮れになると、【ミシン止め薔薇と語らふ薄暑かな】「文字摺草」と、ふたたび薔薇園に下りたって、てきぱきと手入れする。庭のバラは亡夫の形見であるが故になおさら愛おしい。ミシンは確固とした実の世界、大震災の被害に遭った家を建て直し守り続ける堅固な意志と力を、そして薔薇はそれを支える詩情と美意識の謂と言えよう。その二本の柱の微妙なバランスのとれた生き方を九条さんは今後も強く美しく句に刻まれることであろう。

 

【榎本冬一郎】(1907~1982)

出生地:和歌山県田辺市/本名:榎本羊三。昭和4年頃より句作を始め、「倦鳥」「漁火」などに投句。10年「青潮」を創刊、11年から「馬酔木」に投句する。13年警察官となり、14年連作「派出所日記」で馬酔木賞を受賞。戦後は「天狼」同人となり、また24年「星恋」(のち「群蜂」)を創刊。30年警視を最後に大阪府警を退職し、★大阪府立大学経済学部図書館に勤務した。句集に「銀光」「鋳像」「背骨」「尻無湖畔」「時の軸」「榎本冬一郎全句集」などがある。

 

【晩夏ひかるミシン一台再婚す】榎本冬一郎

【焼けざりしミシンの恩や青葉木菟】榎本冬一郎

【踏みとほし生きとほしミシン台の灯蛾】榎本冬一郎

 

 

【梶田光枝】(1937~)

昭和12年3月30日生まれ。「南風」同人。現代俳句協会会員。俳人協会会員。中部日本俳句作家会会員。春日井市俳句作家会会員。南風新人賞、南風賞受賞。

 

【いまの世のミシン小ぶりや針供養】梶田光枝

 

【西村和子】(1948~)

俳人。神奈川県横浜市生まれ。旧姓・是松。実践女子学園中学校、同高校を経て、慶應義塾大学文学部国文学科を卒業。1966年、大学入学と同時に「慶大俳句」に入会し、清崎敏郎に師事。翌年より清崎主宰の「若葉」に投句。1972年、「若葉」の20代作家による会「青胡桃会」発足、参加。このころに結婚、のち二児を出産。1981年、「若葉」同人。1996年、「慶大俳句」からの句友である行方克巳とともに「知音」を創刊、行方とともに代表を務める。俳人協会新人賞、俳人協会評論賞、俳人協会賞、桂信子賞などを受賞。1977年より俳人協会会員。2008年より、岡本眸に代わり毎日俳壇選者。

 

【ミシン踏む音に顫へて桜草】西村和子

 

 

【草間時彦】(1920~2003)

東京府に生まれ、神奈川県鎌倉で育つ。祖父・草間時福は愛媛県松山英学校(のちの松山中学)の校長を務めた後、東京で民権派ジャーナリストとして活躍した人物で、「渋柿」の俳人でもあった。父草間時光は水原秋桜子に師事した俳人で鎌倉市長を務めたこともある。 結核のため20歳で学業を断念、旧制武蔵高等学校中退。逗子にて療養し文学に熱中。1949年、水原秋桜子に師事して俳句を始める。同年結婚。1951年、三井製薬に入社、25年の間サラリーマンとして勤める。1953年、秋桜子の「馬酔木」を退会、55年、復刊した「鶴」に入会し石田波郷に師事。1955年、第2回鶴賞受賞。俳句のほか随筆、評論でも健筆をふるう。1975年、俳人協会常務理事。1976年、「鶴」同人を辞し無所属。1978年、俳人協会理事長に就任(93年まで)、★俳句文学館の建設に尽力。1987年、鴫立庵第21世庵主。同年に訪米、以後たびたび欧米を訪れ、国際俳句交流協会顧問も務めた。1999年、句集『盆点前』により第14回詩歌文学館賞、2002年、句集『瀧の音』により第37回蛇笏賞受賞。2003年5月26日、腎不全により鎌倉の病院にて死去。

 

【ミシン椅子秋夜の妻の臀剰り】草間時彦

 

《俳句文学館》

169-8521東京都新宿区百人町3-28-10/03-3367-6621俳人協会

https://www.haijinkyokai.jp/

 

 

【中嶋秀子】(1936~2017)

東京生まれ。本名・川崎三四子。夫は俳人の川崎三郎(1935-1984)。法政大学文学部日本文学科卒。『沖』に参加し、俳誌『響』を創刊、主宰した。1994年度現代俳句協会賞受賞。

 

【島に古る足踏みミシン緑差す】中嶋秀子

 

【永井龍男】(1904~1990)

http://prizesworld.com/akutagawa/sengun/sengun39NT.htm

東京市神田区猿楽町(現在の東京都千代田区猿楽町)に、父教治郎 - 母ヱツの、四男一女の末子として生まれた。1920年(大正9年)(16歳)、文芸誌『サンエス』に投稿した「活版屋の話」が当選。16年年長の選者菊池寛の知遇を得る。1922年帝国劇場の募集脚本に「出産」が当選。1923年(大正12年)、「黒い御飯」が創刊直後の『文藝春秋』誌に掲載。1924年、小林秀雄、石丸重治、河上徹太郎、富永太郎らと同人誌『山繭』を刊行する。1927年(昭和2年)(23歳)、文藝春秋社に就職を希望し菊池寛社長を訪ね、居合わせた横光利一の口利きにより入社。『手帖』、『創作月刊』、『婦人サロン』の編集につぎつぎに当たった。1932年、『オール讀物』の、次いで『文芸通信』の編集長となった。編集者生活の傍らで創作の発表も続けた。

1976年(72歳)、★村上龍「限りなく透明に近いブルー」への授賞に抗議し選評「老婆心」を提出、芥川賞選考委員辞任を申し出る。日本文学振興会職員に慰留を受け提出選評「老婆心」末尾、菊池寛文章引用部分を削除する。この事件は外に洩れなかった。1977年(73歳)、★池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」の芥川賞受賞決定に対して、選評で「空虚な痴態」と断じ、前々回での「限りなく」も取り上げ、「前衛的な作品」と述べつつ全否定の見解を述べ委員を退任。1981年(77歳)、文化勲章受章。翌年にかけ『永井龍男全集』(全12巻)を、講談社より刊行。 1985年(81歳)、開館した★鎌倉文学館の初代館長に迎えられる。

 

【霜の夜のミシンを溢れ落下傘】永井龍男

 

 

《参考》「鎌倉文学館」

248-0016神奈川県鎌倉市長谷1-5-3/0467-23-3911 

http://www.kamakurabungaku.com/

明治22年に横須賀線が開通すると、東京からの交通の便が良くなり、文学者が鎌倉を訪れるようになります。大正になると、多くの文学者が、鎌倉に滞在したり、暮らしたりするようになりました。昭和に入ると、より良い創作環境を求め、さらに多くの文学者が鎌倉へ移り住むようになります。彼らは親交を深め、やがて「鎌倉文士」といわれるようになり、鎌倉カーニバルの発案や貸本屋鎌倉文庫の開店など様々な活動をしました。鎌倉に暮らし、仲間と集い、鎌倉の自然を愛し、作品に描いた文学者たちの思いが、鎌倉を「文学都市」へと高めていきました。そして、いまもなお、多くの文学者が鎌倉に暮らし、活躍しています。

鎌倉三大洋館にも数えられる歴史ある建物は、もとは加賀百万石の藩主で知られる前田利家の系譜、旧前田侯爵家の別邸だった。焼失や震災も経て現在で4代目となる洋館は、寄木細工の床や部屋ごとに異なる暖炉・照明の意匠など、展示品が並ぶ部屋そのものにも見所が多くある。「文学、文学と肩ひじをはらずに来ていただいて、興味をひいたら、ついでに展示物を見ていただき」とは、昭和60年の開館時、初代館長だった★永井龍男氏の挨拶の一節。その言葉通り、三方を山に囲まれ前方に海をのぞむ環境は、文学好きでなくてもついつい足を運びたくなる気持ち良さだ。緑に囲まれた入り口までの坂道や約200の品種のバラが植わる庭園、遠くにのぞむ湘南の海を愛でながら、贅沢な文学散歩を楽しみたい。

 

・・・永井龍男さん、なかなか頑固(確固たる持論)でおもしろそうな人です。鎌倉に行きたいなあ。