《N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅》
2017年2月4日(土)~6月11日(日)/於:森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
https://www.mori.art.museum/contents/n_s_harsha/
N・S・ハルシャは1969年、南インドの古都マイスールに生まれ、現在も同地に在住し活動しています。インドの現代アートは近年の急速な経済成長や都市化とともに、国際的な注目を浴びていますが、N・S・ハルシャもこの10年間、世界各地で開催される国際展に数多く参加し、作品を発表しています。その一方で、南インドの伝統文化や自然環境、日々の生活における人間と動植物との関係など、自らを取り巻く「生」と真摯に向き合いながら、独自の立ち位置を確立してきた作家でもあります。N・S・ハルシャの初のミッド・キャリア・レトロスペクティブとなる本展では、1995年以降の主要な作品を網羅しながら、現実世界の不条理、具象と抽象、イメージの繰返しなど、彼の実践に一貫して見られる関心を掘り下げます。森美術館では、これまでも中国、アフリカ、インド、中東など成長目覚ましい地域の現代アートの現状を紹介しつつ、アジアの中堅作家の個展を開催していますが、本展はこの個展シリーズのひとつに位置づけられます。
★《ネイションズ(国家)》足踏み式ミシンと国旗をつかった大型インスタレーション
積み上げられた足踏み式のミシンに、国連に加盟している193カ国の国旗が並ぶ作品です。多言語・多宗教・多文化のインドに生まれたN・S・ハルシャが、「国家」の意味を問いかけます。
・・・インドでは今も「足ふみミシン」が、多く使われているのでしょうか?調べてみました。
《NEWS》エイビーロードより
昔懐かしの足踏みミシンがまだまだ現役のインド!
https://www.ab-road.net/beach/indian/chennai_madras/guide/nation/07534.html
熱帯の国々ではその気候のため、路上を含めた屋外が日常生活の場として活用されています。そのため、通りすがりの旅行者でも散歩をするだけで、炊事・洗濯から家族の団らんや昼寝に至るまで、市井の人々の生活を垣間見ることができます。筆者も旅先ではいつもぶらぶらと散歩をしていますが、インドでは他のどの国にもまして、★ミシンを目にする機会が多いことに驚かされます。
日本では電動のミシンすらあまり見なくなりましたが、インドで目にするミシンはみな★足踏みミシン。大都市から小さな村まで至るところに仕立て屋があり、人々は自分で生地を買ってきては採寸してもらい、クルタと呼ばれる男性用のシャツやサリーの下に着るブラウスを作ります。仕立て屋は年季の入ったミシンで、採寸した寸法に合わせて生地を切り、服を仕上げていくのです。
足踏みミシンはどれも、日本の中学校の教室にあるような机とほぼ同じぐらいの大きさで、上にミシンが据え付けられています。足下には踏板があり、踏板を踏んだ力が机の上のミシンに伝わり、針が上下して布を縫い付けます。よくよく考えると、いまだに★停電が多いインド。電動ミシンでは、停電すると仕事ができなくなりますが、足踏みミシンだと停電に煩わされることもありません。実に理にかなっているといえます。
筆者(井生明)がチェンナイで住んでいた部屋のすぐ近所に閑静な住宅街がありました。お店などもあまりない場所で、学校が一つあるだけで普段は閑散としています。学校の向かいには、大きな菩提樹の下で足踏みミシンを出し、仕事にいそしむおじさんがいました。彼は仕立ては行わず、服のほつれやボタンの付け直しなど修繕専門。仕立てをしない上に、こんな場所では仕事になるのかと不思議に思いましたが、意外なことにいつも繁盛していました。おじさんに話を聞くと、学校の制服に校章を縫い付けたり、教科書を入れるカバンの修理など実は色々仕事があるとのこと。学校の前で商売をすることで、学校関連の修繕を独占していたのでした。お客さんが来るのを待つのではなく、お客さんがいる所に店を構えたわけです。★ミシン一つでできる商売だからこそだなと感心してしまいます。(掲載日:2014/03/18)
※ミシンの歴史は1850年9月にアメリカでアイザック・メリット・シンガーが現在とほぼ同じ構造のミシンを発明。そのシンガーミシン1号機の完成から、それまで手縫いだったものからミシン縫いになって縫製工業が発達していった。日本伝来は1854年。(米)シンガー社は1986年香港資本セミティック社に買収され、その後1999年9月会社更生法適用申請し、150年弱の歴史を閉じた。(独)アドラー社とデュルコップ社は1987年合併し、その後1991年(米)アメリカン・ロックウェル社の傘下に入り、2005年6月中国上工申貝(集団)に買収された。(独)パフ社は1992年香港セミティック社に買収され、その後2008年会社更生法適用申請し、146年の歴史を閉じた。(米)ユニオンスペシャルマシン社は1988年に(日)JUKI社に買収され、その後2008年JUKI社より分離された。(伊)リモルディ社は1975年(米)アメリカン・ロックウェル社の傘下に入り、その後縮小して業界から姿を消した。(伊)ネッキ社も縮小し、同じく姿を消したとある。
《AllSaints Spitalfields》
《NEWS》英国発「オールセインツ」とは?
2016年に、英国発のレザーブランド「オールセインツ(ALLSAINTS)」が本格上陸する。現在世界15か国で135店舗の直営店とグローバルでECサイトを展開し、年間売上は2.5億ポンド(日本円で約400億円)以上。年内に計画される国内初の直営店出店に先駆け、3月には2016-17年秋冬シーズンの東京ファッションウィークに参加し同社としてはアジア初となるプレゼンテーションを実施した。コンテンポラリーファッション市場において拡大を続ける「オールセインツ」とは、どんなブランドなのか?来日したCEOウィリアム・キムとデザイナーウィル・ビードルのインタビューから紐解く。1994年にメンズブランドとして創業したオールセインツはハロッズやバーニーズといった百貨店を中心に展開され、97年には初の路面店をロンドンに出店。98年にはウィメンズコレクションの展開もスタートさせ、イギリス国内に次々とショップをオープンさせている。2006年にはヨーロッパ大陸初のショップをパリに出店し、2008年には北米進出。以降、ソーホーやシアトルなど米国内でも店舗を拡大している。ウィル・ビードルは、アーティストからデザイナーに転身した異色の経歴。「アーティストの頃は主に、絵とコラージュをちぎっては重ねてレイヤーを作り出すことで作品を生み出していた。今も同じような哲学で取り組んでいるけれど、より多くの人に僕が手がけたものを見てもらえていることがとても幸せだ」と語る。オールセインツの魅力について「アティチュード、個性、そして創造性という3つの言葉で表現したい。オールセインツようなファッションカンパニーは他にないと思うし、常にクリエイティブコミュニティーのために服をデザインしたいと思っている。それにプレゼンテーションでは、日本のプレスから予想以上に良いリアクションが得られたのでとても嬉しく思っている。これから東京、そして日本のクリエイティブ・コミュニティー にブランドを知ってもらえることが心から楽しみだ」。
・・・ミシンされどミシン、知らないことだらけです。