月考(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《参考》「ホタル撮影の基本」解説:プロ写真家・地球写真家 加藤文雄

https://camera-web.jp/technique/hotaru-basic

★写真撮影よりホタルや自然への配慮を最優先する。

ホタルの光は求愛行動です。不用意に人工の光で照らすと、ホタルの生殖を邪魔してしまいます。すると翌年以降のホタルが生息できなくなる可能性があります。そのためには、余計な光を出さないことです。間違えてもストロボを光らせてはいけません、まともな写真を撮れないだけではなく、周りの撮影者にも迷惑をかけてしまいます。

 

 

《参考》「学研ほたるネット」

https://gakken-kyoikumirai.jp/hotaru/map.html

ホタルは世界に約2000種類、日本では約40種類が生息していると言われています。日本で撮影できる代表的なホタルの種類として、ゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルの3種類があります。

 

 

・・・今にも消え入りそうな、やわらかな光を見つめていると、本当に守らなあかんなあと、しみじみと思うのです。

 

 

《NEWS》2015.12.11デイリースポーツより

「火垂るの墓」の野坂昭如さん逝く

「焼け跡闇市派」を自称し、小説★「火垂るの墓」などで直木賞を受賞、作詞家やタレントとしても活躍した作家で元参院議員の野坂昭如(のさか・あきゆき)さんが9日午後10時37分頃、心不全のため東京都新宿区の東京医大病院で死去した。85歳。神奈川県出身。葬儀・告別式は19日午前11時から東京・青山葬儀所で。喪主は妻暘子(ようこ)さん。2003年に脳梗塞で倒れ、闘病を続けていた。関係者によると、野坂さんは9日午後9時すぎ、都内の自宅から病院へ搬送され、病院で死亡が確認された。暘子さんが119番した。10日、自宅前で取材に応じた次女で元宝塚歌劇団女優の亀井亜未さん(43)によれば、当日も意識ははっきりしていたという。亜未さんは、家での野坂さんを「おとなしく優しい人。恥ずかしがり屋で自分の作品についてはあまり話さず、『火垂るの墓』の映画も悲しくなるからと最期まで見られなかった」と語り、「大変、安らかで穏やかでございました」と涙ながらに最期を明かした。野坂さんは1945年、少年時代を過ごした神戸で空襲に遭い、養父が死亡。その後、疎開先の福井で義妹が栄養失調で亡くなった。50年代からコント作家、CMソング作詞家などで活躍。63年に「おもちゃのチャチャチャ」で日本レコード大賞童謡賞を受けた。同年、小説「エロ事師(ごとし)たち」で本格的に作家デビュー。68年、米軍による占領を題材にした「アメリカひじき」と、戦災の体験を基に書いた「火垂るの墓」で直木賞。「火垂る-」はアニメ映画(88年)も話題となった。「焼け跡闇市派」を自称し、社会批判を展開。ウイスキーのテレビCMで歌った「みんな悩んで大きくなった」は流行語に。歌手として「黒の舟唄」「マリリン・モンロー・ノー・リターン」「バージンブルース」などをヒットさせ、永六輔(82)、故小沢昭一さんとの「中年御三家」で74年に日本武道館公演も行うなど、芸能活動でも人気を集めた。73年、雑誌「面白半分」編集長として掲載した「四畳半襖(ふすま)の下張(したばり)」がわいせつ文書として摘発され、80年に最高裁で罰金刑が確定。83年、二院クラブから参院選に初当選した。同年、田中角栄元首相に対抗して衆院・旧新潟3区に立候補、金権政治を批判したが落選した。その後もテレビ朝日「朝まで生テレビ!」などで論客ぶりを発揮。「脳梗塞で倒れてから右手が利かず、口も曲がって(普通に)しゃべれなくなった」(関係者)が、暘子さんによる口述筆記の助けを借りて、最期まで精力的に戦争の悲惨さを訴え続けた。

 

 

・・・忘れてはならない「ホタル」がある。

 

 

・・・忘れられない「ホタル」がある。

 

 

《NEWS》2008.6朝日新聞より

★「応神天皇陵」毎夜、蛍乱舞

五月雨に 蛍舞う季節となった。仁徳天皇陵と並び国内最大級の古墳、大阪府にある応神天皇陵に毎夜2500匹の蛍が乱舞することが分かった。都市部では絶滅寸前のヒメボタルが多数生息していることが、このほど市の調査で明らかになった。宮内庁の管轄である天皇陵は、人は立ち入ることは出来ない。だが近年、初夏ともなると御堀のまわりに蛍がチラホラ現れるようになり、もしかしたら古墳の森に沢山いるのではないか、と噂されてきた。そして、ある★環境保全指導員の努力によって、学術的調査として同庁から異例の立ち入り許可が市を通じて下りた。はじめて足を踏み入れたその森は、ヒメボタルが無数に飛び交い、それはまるで電飾のようだったという。何とも幻想的で夢のある話だろうか。遥か古より人が足を踏み入れることのない、しかも都市部のど真ん中。あたかも鎮守の森のごとくひっそりと、古色蒼然とたたずむ聖域に毎夜無数のホタルが灯を点すと想像しただけで心が弾む。

《大阪環境カウンセラー協会》

http://www.osaka-eca.org/

 

・・・ある環境保全指導員とは、私が久しぶりに勤務地が羽曳野市にもどってまもなく、若くして亡くなった友人・福田裕さんです。合掌