令和・考 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・2019主題派大作展のテーマが「令和」に決まり、これから作品の構想を練っていかなければなりませんので、

 

《NEWS》2019.4.12日刊スポーツより

「令和」考案者とされる中西進氏「誤解多すぎる」

新元号「令和」の考案者との見方が浮上している中西進★大阪女子大元学長(89)=日本古典=は12日、万葉集の講座を東京都内で開いた。令和の「令」は★発音が美しいと評価した上で、「令」には命令の意味があるとの見解について「当たらない」と説明した。自身が考案者かどうかに関しては「中西進という人が考案者と言われているが、ここにいるのは違う人間だ。元号は世の中の一人の個人が決めることではない」と明言を避けた。講座冒頭、令和について「あまりにも誤解が多すぎる。一個人として感想を述べる」と切り出し「命令の令との指摘は、こじつけだ。令嬢や令夫人などと同様に、和を形容する意味に取るのが普通だ」と強調。これまでに「和」が付けられた元号を列挙しながら意味を解説した。令和の典拠である万葉集に先行する★漢籍(中国古典)「文選(もんぜん)」に類似の文章があるとの意見には「私には理解できない。考案者には理解できなかっただろう」と反論。「同じ言葉があるという出典論は江戸時代の学問だ。比較文学の観点からは、文脈が同じかどうかが大事だ」とした。自らを比較文学研究の第一人者とした上で、文選の一節とは「並ぶべくもない。冷静に見ると、万葉集を出典とするのがいい」と述べた。4月1日の令和発表について「テレビで見た。世論調査では高い割合の人が令和を支持している」と語った。講座では「同姓同名の中西進という人が考案者とされている」と何度も発言。「あくまで一個人の意見」と念押ししながら、1時間半にわたって解説した。

 

 

《文選》

中国の周~梁まで、およそ1000年間にわたる100人以上の詩・散文800あまりを収録。梁の昭明太子(501~531)が編纂し、中国の詩文の模範となった。奈良・平安期の貴族にとって、漢文の素養は必須とされ、特に『文選』は基礎教養とされた。『枕草子』では「書は文集、文選」、『徒然草』では「文は文選のあはれなる巻々、白氏文集」と記され、白居易の詩文集と並び称され、愛読された。どちらも平安文学にも大きな影響を及ぼした。元号の典拠としても、『文選』は過去25回登場している。

過去の優れた詩歌を自らの詩歌・文章に引用することは「引歌」という表現方法の一つだ。『万葉集』と『文選』の該当部分を漢文で見ると、よりわかりやすい。

「初春令月、気淑風和」(『万葉集』)

「仲春令月、時和気清」(『文選』)

確かに「令和」は、国書である『万葉集』が典拠とされた。だが、国書に記されている言葉のおおもとをたどれば、中国の古典に由来するものが多い。今回の元号「令和」も、『文選』にルーツを持つ言葉であると同時に、『万葉集』ならではの独自の言葉の組み合わせを交えたものと言えよう。国は異なれど、古の時代に生きる人々は「漢字」という同じ文字を用いて、恋の喜びや別れの悲しみ、自然の美しさを紡いできた。『万葉集』で詠まれている梅の花。日本では奈良〜平安にかけて「花」といえば梅だった。中国でも、国を代表する花として知られる。台湾がオリンピックなどに出場する際に名乗る「チャイニーズタイペイ」の旗は、梅の花があしらわれている。国文学研究資料館長のロバート・キャンベルさんは朝日新聞(2019年3月19日朝刊)の取材に、「北東アジアは一つの漢字文化圏。元号の典拠が国書か漢籍かと対立的に見るべきではない」キャンベルさんは「令和」について、Twitterで「文選『仲春令月、時和気清』(張衡『帰田賦』)への★オマージュを含めてナイスチョイス」と評価している。

 

・・・私たちの考えや思いについても、父母や先達のDNAを受け継ぎ醸成されたものであって、純粋に自分の力で産み出したものなど、皆無だといっても過言ではない。そういう意味から「パロディ」も含めて、「オマージュ」という表現は的を得ていると思います。

 

 

《参考》大阪女子大学(Osaka Women's University)

堺市にあった大阪府立の公立大学。1949年に開学。2005年4月、大阪府立大学に統合され、2005年度から学生募集を停止。在学生がなくなった2014年に廃止された。

1949~1976帝塚山学舎(大阪市住吉区帝塚山東2丁目)

1976~2007大仙キャンパス(堺市堺区大仙町2番1号)

2007~大阪府立大学中百舌鳥キャンパスへ移転(堺市中区学園町1番1号)

★大仙キャンパスの閉鎖時点では一括して学校法人に売却するという案が有力だったが、取得を名乗り出る学校法人はなく、2010年までに西側は売却されて住宅街となった。残りの仁徳天皇陵に面した一帯は、★2012年に堺市が百舌鳥古墳群のガイダンス施設用地として購入した。建物の解体工事は2015年1月に始まり、同年末までに完了したが、2018年1月現在も更地にはなっておらず、各門やキャンパス内の階段などの土木施設およびテニスコート等は放置状態である。ガイダンス施設は2018年に着工・2019年度末に完成予定であるが、利用されるのは敷地のうちもっとも仁徳天皇陵に近いテニスコート跡地が中心で、キャンパス跡のメイン部分の利用計画は2018年1月現在決定していない。

 

・・・「大阪女子大」は「大阪府大」へと、「女子大跡地」は「ガイダンス施設」へと。受け継ぐべきはその「精神」である、などとかっこよく思うわけです。

 

《百舌鳥古墳群ガイダンス施設基本計画案》

http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/sei/ayumi/guidance-keikaku.html

堺市は旧大阪女子大学跡地を活用して整備する「(仮称)百舌鳥古墳群ガイダンス施設基本計画(案)」をまとめた。7月にパブリックコメントを実施し、8月に基本計画を定める。施設の規模は延べ約4000平方㍍。2015年度中に基本設計に着手し、17年度中に実施設計までを終える。18年度に着工、19年度末の施設供用を計画している。建築費は概算で20億円程度を見込む。施設は古代日本の世界を知る体験機能、ワークショップやセミナー、シ ンポジウムなどの交流機能、古墳群周遊を促す周遊支援機能を備える。建設地は堺市堺区大仙町の敷地約1・5㌶。仁徳天皇陵古墳の西側に隣接している。「(仮称)百舌鳥古墳群ガイダンス施設展示計画策定支援業務」は★トータルメディア開発研究所が担当した。

 

《参考》「トータルメディア開発研究所」

https://www.totalmedia.co.jp/

私たちの事業の先駆けとなった★日本万国博覧会を契機に、環境そのものをメディアとしてとらえる、“トータルメディア”という新しい概念が生まれました。すなわち、環境がメディア化し、メディアとしての環境が人間を包み込むとき、人間と人間、人間と環境、環境と環境が響き合い、全感覚的なコミュニケーションが可能となります。そのようなライブでヒューマンなコミュニケーション環境を「トータルメディア」と定義したのです。この「トータルメディア」という概念を基本に、より進化したコミュニケーション環境を開発していきたい。私たちの社名は、そんな思いから生まれました。

 

・・・この会社も「万博」を契機にして生まれた、ということです。

 

《NEWS》2019.4.20朝日新聞デジタルより

「令和」の考案者は中西進氏/複数の政府関係者が認める

政府は19日、新元号「令和」の選考過程で1日に開いた有識者懇談会、衆参両院正副議長への意見聴取、全閣僚会議の議事概要を公表した。「令和」以外の最終案やそれらの考案者は明らかにしなかった。だが、朝日新聞の取材に対し、複数の政府関係者が「令和」を考案したのは国文学者で、万葉集研究第一人者の中西進氏(89)だったことを認めた。中西氏は1970年に著書「万葉集の比較文学的研究」などで日本学士院賞を受賞。94年には宮中行事「歌会始」で天皇陛下に招かれて歌を詠む「召人(めしうど)」を務めた。2011年から富山市の「高志の国文学館」の館長。安倍政権下の13年に文化勲章を受章した。政府が新元号の典拠とした万葉集の研究で第一人者として知られているため、中西氏は元号発表直後から考案したと有力視されてきたが、取材では認めていない。政府は今年3月14日付で国文、漢文、日本史、東洋史の学者に元号の考案を委嘱。1日の決定過程では、中西氏が考案した「令和」を含む6案を有識者9人による「元号に関する懇談会」などに提示した。政府が公表した議事概要によると、懇談会の場では「令和」について、「我が国がもっている素晴らしい洗練された文化を象徴している」など賛同する意見が相次いだとされる。懇談会などの詳細な議事録は別途作成して、「令和」の次の元号が決まった後に国立公文書館に移管して公開する方針だ。

 

《NEWS》2019.5.4日刊スポーツより

令和考案者とされる中西進氏が元号歴史や意味解説

元号「令和」の考案者とみられている国文学者★中西進氏は4日、富山市内で講演し「元号は国の理想を掲げるもので、国民の倫理コードだ」と語った。講演は令和の典拠とされる万葉集がテーマで、中西氏は元号の歴史や込められた意味なども解説した。令和については、「『令』は秩序を持った美しさ、麗しいという意味」とし「麗しく平和をグレードアップさせていく時代」と述べた。中西氏は万葉集の代表的歌人で編者とされる大伴家持らを紹介する★「高志の国文学館」(同市)の館長を務める。講演には県内の中高生ら約800人が集まった。

 

《高志の国文学館》

930-0095富山市舟橋南町2-22/076-431-5492

http://www.koshibun.jp/

富山県は、万葉歌人★大伴家持が223首もの歌を詠んだ越中万葉ゆかりの地です。また、堀田善衞や源氏鶏太、角川源義といった作家を輩出しているほか、宮本輝の『螢川』、柏原兵三の『長い道』、新田次郎の『劔岳 点の記』など、富山を舞台にした文学作品も多数あります。さらに富山県は、映画では滝田洋二郎や本木克英、細田守を輩出し、漫画では藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄らを生んでいます。高志の国文学館は、これら富山県ゆかりの作家や作品の魅力を幅広く発信し、誰もが気軽に「ふるさと文学」に親しみ、学ぶことができるとともに、新たな創作への刺激ともなる場として平成24年7月6日開館しました。

館名の「高志の国」とは、古来北陸一帯を越(高志)の国と称したことに因んでいます。富山県はこの越の国の中でも越中と呼ばれてきましたので、隣接する他県と一層の連携を深め、越地方を広く視野に収めて、文化を顕彰したいと思います。「高志」の表現は古く★『古事記』に登場します。本館はその伝統を尊ぶと同時に、今日においてもなお、この表記に背かない、高い志を県民全体が共有することを願ってやみません。

わたしたちは正しく★ことばを選びとる過程で、真実の心の姿も求めることができ、人間としての誇りを自覚することになります。文学を通して、正しい生き方を学びたいという熱い願望があります。したがって、文学といっても、ジャンルにこだわらず、広く文化の一環として文学を捉える文学館でありたいと願います。たとえば本館のアドバイザーの一人、篠田正浩監督は、映画を★「日本語の語法で撮りたい」と主張しておられます。そのように映像もひとつのことばです。幸い富山県は、堀田善衞をはじめとする数多くの作家を生んでおり、棟方志功のように深いかかわりをもつ芸術家も枚挙に遑(いとま)がありません。本館では、県民の皆さんにこれらをふるさとの証言として学び取って頂くと同時に、広く日本内外の方々が生き方を学ぶ一助としてご来館下さることを期待しております。高志の国文学館:館長:中西進

 

・・・本当に、「ことば」を大切にしたいものです。

 

 

《参考》中西さんて「どんな人ですか?」

話:奈良県立万葉文化館・稲村和子館長

「中西先生は物腰の柔らかな、ソフトでダンディーな方です。すごく研究については真摯(しんし)で厳しい方。研究者ですので、きちんといろんなものを追究していきたいという姿勢の方。」

話:漫画家・里中満智子さん

「やっぱり(中西さん)という感じ。今回の元号、漢籍だけでなく日本の古典からもとると話を聞いた時、中西先生だったらどんな案をお出しになるかと想像した。あーやっぱりそうだったのかと、確信はもてませんけど、そういう気持ち。」「昔の飛鳥・奈良時代の固有名詞として、この名前を主人公に使っておかしくないかと、そんなことも聞いたり。丁寧に答えてくれて、いつも助けてくれる。とても優しく楽しそうに教えてくれる。」

 

《国際日本文化研究センター》名誉教授:中西進

610-1192京都市西京区御陵大枝山町3丁目2番地/075-335-2222

http://www.nichibun.ac.jp/pc1/ja/

★「すでにできあがっている解釈にとらわれないこと。これが一番大事。」

子どもたちに万葉集を講義する「万葉みらい塾」を全国の都道府県で開いてきました。東京の出版社が中西さんの著書「万葉の秀歌」の増刷を決めたことにあわせてメッセージを依頼したところ、本人から会社宛てにファックスが届いた。そこに書かれていたのは “「万葉集」は令(うるわ)しく平和に生きる日本人の原点です。”

 

《NEWS》20195.3共同通信より

新元号をめぐっては、2月末までに出揃っていた候補案を安倍首相がどれも気に入らず、中西氏ら複数の学者に新しい案を追加依頼したところ、中西氏が出した案のひとつだった「令和」を安倍首相が気に入り、「令和」を本命としたかたちで有識者懇談会に提出。露骨な誘導で「令和」を支持させ、全閣僚会議でも押し通したと言われている。そんな安倍首相を満足させた新元号の提案者である中西氏だが、4日に富山市でおこなわれた講演会に登壇。「令和」の意味について、〈「令」には「秩序というものをもった美しさ、麗しい」という意味が込められていると解説〉(時事通信5月4日付)し、「和」については〈聖徳太子★十七条憲法の「和をもって貴しとなす」につながるもの〉(朝日新聞5月4日付)とした。そして、十七条憲法は外国との激しい戦争を経験した直後につくられ、いまの憲法の制定時と時代背景に共通点があると指摘して、こう述べたという。「(十七条憲法は)故国を喪失した人たちが力を合わせて平和憲法をつくった。非常に崇高な切実な願いを持っている」「代々の宰相は十七条憲法を尊重しているので、今の宰相にもぜひそうしてほしい」平和憲法の精神を安倍首相も尊重してほしい──。「十七条憲法」は憲法と付いているものの実際は「役人の心得」でしかなく、constitusionの訳語である近代の「憲法」とは異なるものだが、それでも「令和」考案者の中西氏が「和」という字に「平和憲法」を尊重してほしいという願いを込めたことはたしかなようだ。そして今回、安倍首相に直接言及し、「平和憲法」の尊重を求めたのだ。ようするに、これは世界に名だたる「平和憲法」である日本国憲法、なかでもその平和主義を支える「憲法9条」の改正を進めようとしている安倍首相に対する牽制ではないのか。これは何も無理にこじつけようとしているわけではない。実際、中西氏は韓国の中央日報のインタビューでも、自分が「令和」の考案者であることには触れず、しかし「一にも二にも平和(が重要)だとする★平和論者が考案した元号だ」と述べたという。

 

《参考》「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動」

http://sogakari.com/

●京都新聞4月27日付より

平成から令和へ。いよいよ来週の5月1日に新たな「時代」を迎える。初の国書として万葉集の一節から選ばれた漢字2文字に秘められた意味とは何か。新元号の考案者とみられている国文学者の中西進さん(89)=京都市西京区=は26日、京都新聞の取材に応じ、改元への思いを語り、新元号が指し示す「うるわしい平和の時代」に向け、日本文化をつくってきた京都が中心的役割を担うべきだとの考えを示した。

―「令和」の考案者と目されているが。/「のっけからですか(笑)。私は考案者という言い方には抵抗があるのです。何かものを決める時は、まず発議、発案する人がいる。それは分かります。しかし、それは一個人の資格で提案するのではない。しかも、それは素材にすぎない。仮に中西進という人間が令和を考えたとしても、それは出した素材がそのままの形で決まっていったというだけのことです」

―数ある国書の中で万葉集から選ばれた。/「国書と言っても古事記も日本書紀もある。これらは漢文で書かれています。日本らしさを出すとすれば万葉集でしょう。(日本独自に編み出された)万葉仮名で書かれたものが国書とすればやはり万葉集になります」

―新元号の感想は。/「非常に結構だと思います。ほかの案はこなれていないなという気がします」「元号として聞き慣れない『ら行』の『令』に驚かれた人もいるようですが、それは今まで気づかなかった新鮮さがあると言うべきでしょう。しかし、元号としては新鮮さだけではダメで、やはりこなれていないといけない。そこで元号としては20回目になる『和』となったのでしょう。中国の辞書では令は善なりと書いてあります。善とは、日本ではうるわしいという意味になるでしょう。令嬢という言葉もあります。それは神秘を感じる美とも言えます。そこには尊敬や畏敬の念もあります。ただ、ついにこれまで日本人はその感覚を理解できなかった。抱きしめたくなるような親近感をもたらす美ではなく、荘厳(そうごん)に輝く美をもっともっと発見していくことを新時代に望みたい。近代以降の明治も大正も、元号はある意味で政治の方針でした。『令和』は初めて国民のスローガンになりうるのではないか」

―万葉集は戦前、軍国主義の中で国民の動員に利用された歴史もある。/「万葉集を近代化の中だけで考えてはいけない。世情が混乱した時、地下水脈のように流れてきた万葉集がくみ上げられ、よみがえらされてきた歴史は確かにあります。ただ、近代の中だけで指摘するのはいかがなものかと思います」

―「和」には平和を願う心が込められているように感じられる。/「戦争の悲惨さをもっと知ってほしい。私は戦争末期、東京の杉並にいたが、毎晩空襲警報で眠れませんでした。いつも、一夜明けると市街地が真っ赤に燃えている。翌日、動員されている工場に向かうと、駅までの間に焼死体が並んでいる。爆風でみんな裸で、黒焦げ。あおむけだったり、のけぞったり、苦しんだ様子がうかがえました。終戦の2年前には父の転勤で広島にいました。原爆で同級生を何人も失っています。★憲法9条をノーベル賞にとか原爆反対への声が日本からもっと起こっていいでしょう」

―「うるわしい平和の時代」に向けて京都が果たすべき役割は何でしょうか。/「京都が第一の役目を担わないといけない。京都は文化を支えてきたところでしょう。残念ながら首都ではなくなったが、もっと基本的で高邁(こうまい)なもの、スピリチュアルな部分は今でもこの国で京都が担っていると言っていいでしょう」

【中西進】

1929年東京都生まれ。東京大大学院修了。国際日本文化研究センター名誉教授。筑波大教授、大阪女子大学長、★京都市立芸術大学長などを歴任した。宮中歌会始召人。2013年に文化勲章。主な著書に「万葉集の比較文学的研究」(読売文学賞)、「源氏物語と白楽天」(大佛次郎賞)、「中西進著作集」(全36巻)。近著に磯田道史・日文研准教授との共著「災害と生きる日本人」(潮出版社)。

 

・・・中西さんは「京都芸大」学長もされていた、俄然オーエンしたくなりました。

 

 

《コラム》日朝修交協力を韓日関係回復の契機にしよう/中央日報日本語版2019.5.13

 にっちもさっちもいかなくなった韓日関係をどのように打破したらよいだろうか。両国国民が喝采を送るほどの模範答案がなく、解決法の優先順位も人によって違うだろうが、次の3つの案を提示してみたい。 第一に、日本の歴史反省・謝罪問題だ。韓国人に最も受け入れられている日本の反省は村山談話だ。ところがそれよりも具体的で論理的なのが1998年の金大中(キム・デジュン)-小渕共同宣言(日韓共同宣言-21世紀に向けた新たなパートナーシップ)だが、これに明記された歴史条項というものを知らない人が多い。村山談話は第2次世界大戦から50年後、社会党委員長出身の村山富市首相が世界とアジアのさまざまな国に対して痛切な反省と心からのお詫びの意を伝えたものだ。ところが金-小渕共同宣言は加害者である日本の韓国植民支配に対する「痛切な反省と心からのお詫び」を具体化し、日本自民党政府の小渕恵三首相と金大中(キム・デジュン)大統領が協定調印式に参加して署名した初めての協定だ。この協定は1965年韓日基本条約で排除された歴史条項を両国首脳が確認したもので、韓日与野党指導者と国民の支持を受けている。この宣言の歴史条項は韓国国民が受け入れることができる最も良質の合意として、歴史争点を解決する基準であると同時に、未来指向的韓日関係の礎石だ。第二に、韓日首脳の信頼構築が急務だ。信頼のためには会わなければならない。信頼形成の過程で両国の国家利益を相互に認めて、国民感情への配慮を基に、強制徴用や慰安婦問題など争点は争点のまま、実務次元で真剣に交渉しなければならない。未来指向的外交課題については、接点を探して協力する、文字通りそのままツートラックを実践しなければならない。たとえば、日朝国交正常化協力は韓半島(朝鮮半島)の平和づくりに大きく寄与できる韓日協力の先例になるだろう。安倍首相は条件をつけないで金正恩(キム・ジョンウン)委員長に会うと話した。韓国政府も日朝国交正常化の努力を支持している。トランプ大統領も日米首脳会談で日朝首脳会談に協力すると話した。安倍首相は2002年、当時の小泉首相とともに二度平壌(ピョンヤン)を訪問して北朝鮮との平壌宣言に合意し、任期中に実現したい課題として日朝修交を掲げている。拉致問題が障害物や国交正常化と拉致問題を一括妥結する能力を備えた人は安倍首相と金委員長だ。このように北朝鮮非核化と韓半島(朝鮮半島)の平和構築のために文在寅(ムン・ジェイン)大統領と安倍首相の協力はいくらでも可能だ。第三に、非核平和協力と共に中断されてはいけないのが韓日の経済・文化交流だ。経済的依存が深いほど平和協力の可能性が高い。韓日が歴史問題で難しい時も経済交流を持続してきた点を考えれば、停滞した経済交流を早急に回復しなければならない。私はかなり以前から経済平和論とあわせて文化平和論を提起してきたし、金-小渕共同宣言で約束した通り、韓国に日本大衆文化を開放することによって文化平和論を実践した。教科書問題の余波で韓日関係が厳しかった時も、2005年を「友情の年」に定めて、韓国側の委員長として文化交流を促進しながら毎年文化まつりを行った。昨年も慰安婦問題で激しい葛藤があったが、ソウルと東京で大規模な文化まつりが開かれ、若者たちの大きな呼応があった。このように両国間の持続的な文化交流は文化の閉鎖性を拒否する相互学習過程であるため平和を意識化し作り出すことに寄与している。★日本は令和(美しい平和)時代を迎えた。令和の平和には7世紀★百済人の平和思想が含まれていると令和考案者の大阪女子大学★中西進教授は説明した。今後、韓日が非核・経済・文化をひとつながりとして、争点を平和に解決する成熟した関係に発展するよう望む。崔相龍(チェ・サンヨン)/高麗(コリョ)大学名誉教授・元駐日大使

 

《墨書》2019.3.16時事ドットコムより

新元号墨書は公文書扱い=「平成」は竹下家私物に

政府は、平成に代わる新元号の発表時に使う墨書を公文書扱いにし、歴史的文書として保存する方針を固めた。前回改元時に小渕恵三官房長官(当時)が掲げた「平成」の書はいったん竹下登首相(同)の私物となっており、前回と異なる。2011年の公文書管理法施行が背景にあり、この30年間の時代の流れを映している。政府は2月、新元号の選定手続きは前例を踏襲するとの基本方針を決定。選定後の段取りについても前回と同様、内閣府の★「辞令専門官」が筆で書き、菅義偉官房長官が発表する流れだ。書の見せ方は大型スクリーンの活用も取り沙汰されたが、長官が手で掲げる方法になるとみられる。墨書を公文書扱いにするのは、「歴史公文書」の適切な保存・利用を定めた公文書管理法に基づく対応だ。政府が新元号の書を公文書とする背景には、前回改元時の反省もある。小渕氏が「平成」の書を掲げたのは自身のアイデア。発表直前に辞令専門官だった★河東純一氏にひそかに指示し、河東氏が予備を含めて2枚したためた。小渕氏はそのうちの1枚を携えて記者会見に臨んだ。当時は公文書管理法がなく、発表に使われた原本は竹下家、予備は小渕家に渡り、一般には行方知れずになっていた。ところが、竹下氏の孫のタレント★DAIGOさんがテレビ番組で平成の書が竹下家にあると暴露。国立公文書館が竹下家と連絡を取り、09年9月に書を借り受け、10年3月に寄贈を受けた。平成の書の原本は現在、「特定歴史公文書」として公文書館に永久保管されている。

https://www.cao.go.jp/others/soumu/gengou/bokusyo.html

 

《大東文化大学ニュース》2019.4.4

新元号「令和」を本学卒業生の茂住修身さんが揮毫

https://www.daito.ac.jp/news/details_27293.html

4月1日に新元号「令和」が菅官房長官から発表され、この時披露された墨書は本学卒業生の茂住修身さんが揮毫した。「平成」の文字を揮毫した★河東純一さん(文学部中国文学科卒業)に続き、「令和」も本学卒業生が揮毫したことになる。今回揮毫した茂住さんは、本学経済学部経済学科を卒業後、総理府(現内閣府)大臣官房人事課に勤務し、辞令専門職・辞令専門官として奉職。内閣総理大臣、国務大臣、特命全権大使、裁判官などの認証官の官記辞令、「復興庁」、「国家戦略室」や「一億総活躍推進室」などの看板のほか、国民栄誉賞の賞状なども揮毫している。書家として活動する際は雅号(名前)を菁邨(せいそん)として、ボランティアで書道指導するなど書道の普及活動も行っている。また、大東文化大学書道卒業生の会(本学で書道を学んだ卒業生有志の会)の幹事長も務めている。

 

 

《参考》大東文化大学文学部「書道学科」

https://www.daito.ac.jp/education/literature/department/calligraphy/

国内では★初めて書道学科が設立された大学として、知識・制作だけでなく、さまざまな角度から“書”に取り組んでいます。その一例として、板橋キャンパスには書道保存修復室が設けられ、傷んだ作品の修復を行うカリキュラムがあります。保存修理については、理論と実地の両面から学びます。書を修復するには、まず筆跡や文献の調査・研究を行い作品を理解することから始めます。問題解決法を学び、次にハサミやノリを使いながら、実際の修復作業を行います。この体験をきっかけに、書の復元の道に進む人もいるほど魅力ある授業となっています。「篆刻法」という科目では、石や木を素材に印を美的に表現する技法を学びます。筆刻表現の三本柱である字法、章法、刀法を習得することができます。また、東松山キャンパスにはアトリエが完備され、大きな作品でものびのびと描くことができ、学生たちの作品の展示会も行っています。学生数約60名に対して専任教員数が12名と多いため、学生と教員の交流も多く、教員への信頼もとても高いものになっています。全学で行われる「授業評価アンケート」の満足度でも常に1位を獲得するほどです。学生同士も、書の制作といった共同作業を通してお互いをよく知り、それぞれの作品について意見交換を積極的に行う、和気あいあいとした雰囲気です。書道学科独自の行事も多く、先輩方との交流や書を通して密度の濃い4年間を過ごすことができることでしょう。

 

・・・いろいろな考え方や思いがあるのは当然、その一つひとつに真摯に向き合い、「自分はどうなの?」と自らに問うことこそが大切だと思うわけです。その原点にあるのが、やはり「ことば」と「もじ」そして「イメージ」としての「え(画像、映像)」だと考えています。