アレルギー | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・今年は花粉症の人にとっては大変つらい季節です。例年と比較しても患者さんの数が増えているそうです。またこれまで何も症状のなかったのに今年から花粉症になったという人もおられます。「花粉症」は世界各地に存在しています。欧米でも枯草熱(hay fever)という用語があるほどです。ただ、日本で2~3月に起こる劇症的な★スギ花粉症はまず存在しないそうです。

 

《アレルギーマーチ》

http://www.doai.jp/sinryo/shounika/intro.html

アレルギーマーチとは同愛記念病院小児科医長の馬場実先生が提唱した言葉ですが、それによると「アトピー素因のある人に、アレルギー性疾患が次から次へと発症してくるようすをアレレギー・マーチ(アレルギーの行進)というものです。典型的には、乳児期に牛乳、卵などの摂取により皮膚症状(湿疹やアトビー性皮膚炎)や消化器症状(下痢、腹痛、便秘など)がおこり、生後6カ月頃になると喘鳴、1~2歳になると呼吸困難も加わって気管支喘息発作をおこすようになります。このころから食物抗原にかわってハウスダストなど吸入性抗原に感作されることが増えてきます。気管支喘息は一部は7~8歳で治りますが、大部分は学齢期まで持ち越し、約70%が14~15歳までに治ります。残りは成人型気管支喘息に移行しますが、この間アレルギー性鼻炎が発症したり、じんま疹を経験することもあります。このように次から次へとアレルギーが形を変えて、進行してゆく傾向があります。」基礎にはアレルギー素因があり、おかあさんのおなかの中で卵や牛乳のタンパク質によって、アレルギー反応を既に起こしていて、それが生まれてから乳児湿疹などの症状として現れてくるのです。アレルギーの素因があれば早いうちからアレルギーの予防をしていく上で重要な考え方であると思います。

 

《NEWS》2016.1.29エキサイトニュースより

https://www.excite.co.jp/news/article/E1453713331635/

スギ花粉が初めて確認されたのは1964(昭和39)年★東京オリンピックの年である。場所は栃木県日光市であった。それまでは花粉症のような症状があっても原因は特定されていなかった。人類の長い歴史から見れば、スギ花粉症はつい最近発見されたばかりの現代的な病気なのだ。スギ花粉は樹齢50年ごろまで飛び続けると言われている。専門家の分析によれば、西暦2030~50年頃までは、スギ花粉の大量飛散は続くと見られる。東京都などは、無花粉のスギ・ヒノキの植え替えを進めているものの、新たに木を植えたとしても買い手がつかないため、事業が進んでいないのが実情だ。少なくともあと15年は辛抱する必要があるのは、なんとも辛い。花粉症の原因となるアレルゲンは、春はスギのほかヒノキ、シラカンバ、春から秋にかけてはホソムギ、ナガハグサなどイネ科の植物、秋にはブタクサ、ヨモギ、カナムグラなど数多く存在する。場合によっては1年中花粉症状態という人もいる。これらの植物は海外にも存在する。ただし、スギがない場所へ行けば、少しは花粉症がやわらぐのは事実。お隣の韓国や台湾にもスギ花粉症は存在しない。症状が辛いひとは数日間でもショートトリップの“花粉避難”を試してみてはいかがだろう。

 

 

《舌下免疫療法》花粉症ナビより

https://www.kyowa-kirin.co.jp/kahun/

アレルギーの原因物質(アレルゲン)を含むエキスを舌の下に投与し、体内に吸収させる方法です。この投与を継続的に行うことで症状を軽減させていきます。

★トリーさんのアレルゲン免疫療法ナビ

https://www.torii-alg.jp/

わたしたちの体は、体内に侵入した病原菌やウイルスなどの異物に対して、それに反応する「抗体」を作って排除する仕組みを持っています。この仕組みを「免疫」といいます。免疫は本来、体から異物を排除して感染症などから体を守る大切な仕組みです。しかし、この免疫が花粉など体に害のないものに対しても過剰に反応してしまうことがあります。これが「アレルギー」です。アレルギーの原因となる物質は「アレルゲン」と呼ばれ、花粉やほこり(ハウスダスト)、食物など、身近にあるさまざまなものが、アレルゲンとなる可能性があります。人によって何がアレルゲンになるかは異なります。アレルギーが誘発されると、くしゃみや鼻水、かゆみ、咳などの症状が現れます。アレルギーは、花粉症やじんましん、喘息、食物アレルギーなど多くの疾患に関係していることがわかっています。

 

《参考》

給食中のアレルギー事故で女子児童が死亡

http://www.kyousemi.com/2599/

「背中にチーズ」入れられた13歳少年が死亡

https://www.excite.co.jp/news/article/Sirabee_20161807940/

 

・・・痛ましいニュースが後を絶ちません。つれあいの「花粉症」は重症で、見ている方もツライぐらいですが、私自身は「花粉」というより「ホコリ」で発症することが多いようです。

 

 

《参考》「川柳」

●花粉キッズ「耐えれま川柳」久光製薬より

http://www.allegra.jp/jr/senryu.html

●「川柳もどき」お題:花粉/FMおかざきより

http://www.fmokazaki.jp/senryu/backnumber20180319.php

●川柳投稿サイト「まる川」お題:アレルギーより

https://marusenryu.com/?s=%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC&t=1

 

・・・しかし、幼少期より私を悩ませているのが★「蕎麦」です。

 

《NEWS》2017.2.22世界仰天ニュースより

http://www.ntv.co.jp/gyoten/backnumber/article/20170222_01.html

今から20年ほど前、突然くしゃみが止まらず、病院を訪れた伸之さん。検査の結果、そばアレルギーと診断された。医師からは当たり前だが、そばを食べないようにという指示が。それは伸之さんにとってとんでもない宣告。なぜなら、実家がそば屋だったのだ!しかも彼は一人息子。将来的に店を継がなければならない立場だった。店は東京・神田で100年近くの歴史がある老舗のそば屋。小さい頃からそばを食べて育ってきたが、こんな症状など出たことがなかった。調理師専門学校を卒業後、和食の店で修行を積み、26歳で店を継ぐことを決意。(中略)そばアレルギーとは、そば粉に含まれる★たんぱく質が原因となり、免疫機能が過剰反応してしまう状態。特にそばの抗原は細胞と反応しやすい性質を持つため、少量でもアナフィラキシーショックを誘発する危険がある。食事、呼吸、皮膚への接触、すべてのケースで反応が出る可能性が。つまりそば屋の後継ぎにとって致命的。

《参考》「そば」アレルギーに関する調査研究より

そば主要アレルゲンタンパク質は、Fag e 1、Fag e 2、Fag e 3の3種類であることが知られている。Fag e 1は13Sグロブリン種子貯蔵タンパク質のβ-サブユニットである22 kDaのタンパク質 、Fag e 2は2Sアルブミンファミリーに属する16 kDaの種子貯蔵タンパク質、Fag e 3は分子量19 kDaの種子貯蔵タンパク質である。この中で、★酵素分解されにくいFag e 2がそばによるアナフィラキシー症状の原因アレルゲンタンパク質であることが示唆されている。

《国立成育医療研究センター》

https://www.ncchd.go.jp/

蕎麦アレルギーの原因物質を特定/国立成育医療センター研究所・免疫アレルギー研究部

そばを食べたり、ソバ粉が混じった食品を口にしたりすると、呼吸困難やショック症状などを引き起こす人がいる。そんなソバアレルギーの原因物質を、国立成育医療センターの田中和子研究員が突き止めた。重症になる人の診断や、アレルギーを起こさないソバの開発に役立ちそうだ。東京で開かれる「アレルギー・免疫に関する合同国際会議」で発表する。旧厚生省の調査では、食べて1時間以内に症状が現れる即時型食物アレルギーは、6歳以下の12・6%にある。ソバは、卵、牛乳、小麦に次いで多い原因食物で、少量でも重い症状を引き起こすのが特徴だ。田中さんは、ソバを食べるとアレルギー症状を起こす5~44歳の男女10人の血液と、消化酵素や熱で処理したソバの各種たんぱく質との反応を調べた。その結果、分子量1万6千のたんぱく質が重いアレルギーの原因になることがわかった。ソバアレルギー診断では、血清から調べる方法はあったが、検査で陽性になっても症状が現れない人がいるのが欠点だった。今回見つけたたんぱく質をもとにすれば、正確な診断法の開発が期待できる。田中さんは「原因たんぱく質を酵素などで処理し、安全なソバを作ることも可能だ」という。(2002.9.22朝日新聞ニュースより)

 

・・・「そばアレルギー」は、食べたり近づかなければ発症しないので、気を付けていれば心配はありません。ただ、★蕎麦を特産品とする観光地が多いこと、年越しそばが食べられないこと、うどん屋でも蕎麦と同じ湯で麺をゆがいたりするところがあるなど、残念なことはいろいろありますが、「花粉症」は防ぎようがないですね。

 

 

《制覇したい!日本全国の名物そば9選》WOWジャパンより

https://wow-j.com/jp/Allguides/other/tips_manners/01089_jp/

●岩手県・花巻、盛岡エリアの名物「わんこそば」

●新潟県・魚沼地方に伝わる「へぎそば」

●長野県・「ぼっち盛り」「更科そば」「とうじそば」「韃靼そば」

●島根県・出雲地方の名物「出雲そば」

●京都府・お茶処の宇治地方で生まれた名物「茶そば」

●山口県・下関市のご当地グルメ「瓦そば」

 

★「230そば街道推委員会」そばアレルギータトゥーチェッカー

https://www.facebook.com/230soba/

そばアレルギータトゥーチェッカーに対するたくさんの反響をありがとうございます。また、記事として取り上げていただいたメディアの皆様、そしてツイートやリツイートや『いいね』でこの話題を拡散していただいたすべての皆様に、関係者一同深く感謝いたします。しかし、そばアレルギーは皆様の健康に関わることです。私たちの説明不足もあり、たくさんの転載記事やまとめサイトなどで、このそばアレルギータトゥーチェッカーについて簡略化された説明が記されており、あらためて私どもの方から正確な使用方法を説明する責任を感じております。そこで、この場を借りて、その詳細をご説明させていただきたいと思います。まず、このそばアレルギータトゥーチェッカーは、プリックテストを応用しております。パッチテストではございません。プリックテストでは、皮膚の表面に見えないほどの小さな傷(プリック)をつけます。このそばアレルギータトゥーチェッカーでも、皮膚の表面にいくつかのプリックをつけています。その上から、そば湯を塗ったそばアレルギータトゥーチェッカーを貼付けます。もしくは、貼付けた後に、そば湯を塗ります。そば湯がステッカーの糊とともにアレルゲンの役割をし、プリックの周りの肌表面が赤くなります。そばアレルギータトゥーチェッカーは肌色になじむように作られているのですが、一部赤くなった肌表面が透けて見えるようになっており、それがデザインの一部が赤く浮き上がってきたように見えるのです。そばは重篤なアレルギー反応を引き起こす可能性があります。確率はきわめて低いとは言え、プリックテストそのものでアナフィラキシーショックに陥ることも考えられます。ですから、私たちが実施したイベントでは、専門医の管理のもとそばアレルギーチェックを行いました。万が一、ショックが起きたとこのための薬剤や設備も準備しました。私たちは、これからもそばアレルギーの認知向上、日本の食文化の発展に、微力ながら貢献していく所存です。また、皆様からのいただいたご意見をもとに、そばアレルギータトゥーチェッカーをより安全でより楽しいものするためさらなる改良を加えていきたいと考えております。なお、たくさんの方からいただいた商品化するつもりはないのかというお問い合わせについてですが、いまのところその予定はございません。商品化するには、越えなければいけないハードルがいくつもあり、製薬会社様からの協力も必要だと思われます。皆様の期待に添えず申し訳ありません。最後にはなりますが、あらためて皆様からの反響に御礼申し上げます。引き続き、ご意見、ご支援の声、ご鞭撻を賜ることができたら幸いです。

 

・・・「蕎麦」が食べられないのなら、「蕎麦の句」を味わうとしましょう。ハハハ

 

《そばの俳句》「大阪・上方の蕎麦」HPより

http://www.eonet.ne.jp/~sobakiri/index.html#i-4

小林一茶は、その発句(俳句)およそ二万句とも言われ、その中に33句とも35句ともいわれる蕎麦を詠んだ句を残している。一茶の句としておなじみの「信濃では月と仏とおらが蕎麦」は有名だが、一茶の句でないとする説が有力で、一茶の書いた句文集にも、また、門人達の出版した「一茶発句集」や「嘉永版一茶発句集」にもこの句は出ていないそうだ。「一茶-その生涯と文学 小林計一郎著 信濃毎日新聞社」によると、この句がはじめて発表されたのは明治30年発行の「正岡子規宗匠校閲批評 俳人一茶 東京三松堂」であり、その時に材料を提供したのは柏原宿の本陣・問屋に生まれ「七番日記」を公刊し一茶同好会主として一茶の顕彰につとめた中村六郎であった。当時の中村家は、「氷そば」というのを作っていて、おそらくこれの宣伝のためにこの偽句を作ったのだろうという。なお、小林計一郎氏によると、明治30年当時の六郎は新進気鋭の俳人であり、さらに、著名な一茶の偽作とされる「親は死ね子は死ねあとで孫は死ね」「何のその百万石も笹の露」なども六郎の創作であろうという。

◆松尾芭蕉/伊賀上野出身、江戸前期・寛永21年(1644)~元禄7年(1694)

○「三日月に地はおぼろなり蕎麦の花」は、かすかな月明かりに映し出される一面に広がった蕎麦花の白さを詠んだ句で、やはり妖気漂う気配を思わせる句である。

○「蕎麦はまだ花でもてなす山路かな」は元禄7年秋、伊勢から弟子の斗従(とじゅう)が芭蕉を訪ね伊賀まで来てくれた。蕎麦切りでもてなすことのできない心情が汲み取れる。当時は伊賀の周辺にも広い蕎麦畑があったことや、当然のことながら蕎麦は主として旬だけの食べ物であったこともわかる。(なお、この句については菩提寺である三重県伊賀町の萬寿寺のほかに、長野県松本市郊外と長野市鳥坂峠にも句碑がある。)

与謝蕪村/大阪摂津出身、享保元年(1716)~天明3年(1784)

○「残月やよしのの里のそばの花」は、古今集に「・・吉野の里に降れる白雪」があり、白雪でなく真っ白な蕎麦の花が咲いていると詠んだもので、桜の里にもそばが栽培されていたことがわかる。

○「根に帰る花やよしののそば畠」は、吉野の花である桜は既に散って根に帰ったが、いまは山里のそこかしこに白いそばの花が咲いている。この二句は花といえば桜の吉野でそばの花を詠んだめずらしい句である。

○「鬼すだく戸隠のふもとそばの花」は、謡曲「紅葉狩」の舞台で、鬼が集まって酒宴をひらく戸隠山の麓の気配と、そば花の一面に咲く白の妖気が漂うような戸隠の秋であろう。

○「新蕎麦やむぐらの宿の根来椀」は、「むぐらの宿の椀」と解すると粗末な宿にある根来塗の椀で、使い込んだ朱の漆椀に盛られた新蕎麦の情景であろう。次の句とともに、盛り入れたそばの上からつゆをかけたのであろう。

○「しんそばや根来の椀に盛来(もりきたる)」は、新そばの風味と根来椀の風情が重ね詠まれている。

言うまでもなく根来椀は、秀吉の根来攻めによって途絶えた紀州根来塗りが伝わり、この黒漆を重ね塗りして仕上げに朱漆を塗るのを根来塗りと総称した。使い込むと朱の漆が薄くなり黒漆が出てきて模様のようにもなる。輪島や会津に伝わったといわれる。

 

 

・・・少年マガジン「川柳少女」もカワイイけれど、やっぱり中高年はビッグコミック「川柳フレンズ」かな?

 

 

《川柳フレンズ》ビッグコミック

https://bigcomicbros.net/comic/senryufriends/

男の悲哀がにじむ川柳ショート!!!あなたには何人いますか?家庭や仕事の悩みを共有できるフレンズが…脱力系ギャグ『THE3名様』の作者が贈る『川柳フレンズ』は、男の悲哀を5・7・5の17文字に込めて詠むオッサン哀歌です!!

 

・・・「玉手箱プロジェクト」では、「花粉症」に関する作品も制作しました。