・・・「階段」を描いた作家、まずはデュシャン。
《階段を降りる裸体No.2》
https://www.philamuseum.org/collections/permanent/51449.html
1912年に★マルセル・デュシャンによって制作された油彩作品。147 cm × 89.2 cm。現在フィラデルフィア美術館内のルイス&ウォルター・アレンズバーグコレクションに所蔵されている。
※No.1 https://www.philamuseum.org/collections/permanent/51448.html
※No.3 http://philamuseum.org/collections/permanent/51451.html
※「ペンローズの三角形」(Penrose triangle)
1934年、スウェーデンの芸術家オスカー・ロイテルスバルトが考案した。1950年代に数学者ロジャー・ペンローズがそれとは独立に「不可能性の最も純粋な形」として考案し、一般に広めた。芸術家マウリッツ・エッシャーが不可能図形を多く扱ったが、その発想の一部となった。
※「ペンローズの階段」(Penrose stairs)
ライオネル・ペンローズと息子のロジャー・ペンローズが考案した不可能図形である。
ペンローズの三角形の派生形の一つで90度ずつ折れ曲がって、永遠に上り続けても高いところに行けない階段を二次元で描いたものである。三次元で実現するのは明らかに不可能であり、歪みのパラドックスを利用した二次元でのみ表現できる。 ★マウリッツ・エッシャーのリトグラフ『上昇と下降(Ascending and Descending)』の中では、僧院の階段を何人かの修道士が上っている図として描かれている。この階段は、「不可能図形の父」と呼ばれるスウェーデンの画家オスカー・ロイテルスバルトも発見していたが、ペンローズもエッシャーもそのことを知らなかった。
・・・そして、誰もが知っているエッシャー。
【マウリッツ・コルネリス・エッシャー】Maurits Cornelis Escher(1898~1972)
オランダのグラフィック・アーティスト。ウッドカット、メゾチント、リトグラフなどの形式で、計算し尽くした幾何学的な絵を描くことで知られる。エッシャー作品は、特に幾何学的オブジェに焦点が置かれたものとなっており、不可能図形、無限空間、鏡映、シンメトリー、透視図、星型多面体、截断図、双曲幾何学線、平面充填形などの数学的手法をもちいて絵画空間が構成される。
・・・「エッシャー」に触発された日本の作家も多いに違いありません。
【福田繁雄】 (1932~2009)
https://www.nbsk.or.jp/fukuda/index.html
★「フクダの階段」
【遠藤彰子】(1947~)
http://akiko-endo.com/painter/
1947 東京生まれ / 1968 武蔵野美術短期大学卒業 / 1986 安井賞展安井賞受賞 / 1986 文化庁芸術家在外派遣研修 / 2007 平成十八年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞 / 2014 紫綬褒章受章
・・・「階段」に深い意味をこめた、
【ベン・シャーン】Ben Shahn(1898~1969)
https://www.moma.org/artists/5366
社会主義レアリスムの画家ベン・シャーンは、第2次大戦末期1944★「赤い階段」と題する作品を描いている。戦災によって瓦礫と化した荒涼たる空間、そこに崩れ残った外壁とそれに沿う赤い階段、それを昇ろうとする片脚の松葉杖の男、さらに地底から立ち上る白衣の人物、その画面は1点透視を基本として構成されている。ルネサンスの画家たちの多くは、1点透視によって空間を限定して室内の情景を描いたが、ベン・シャーンはそれとは違って、壁と階段を広漠たる空間の中に1点透視で描くことによって、空虚な戦争の負のモニュマンを描出しようとしたように思われる。
『階段を昇る裸婦』(Femme nue montant l'escalier)
1937年に★ジョアン・ミロが厚紙に鉛筆と木炭で描いたスケッチ。この絵はバルセロナのミロ美術館が所蔵している。ミロはスペイン内戦のさなかにこの絵を描いた。彼は当時パリに住み、グラン・ショミエールの肖像画のクラスに通い始めていた。彼はカタルーニャで起こっている事態を表現しようと、人物画の制作に立ち返った。その心境は、階段を昇る歪んだ裸婦の姿で現わされた。この時期の他の作品には、『古い靴のある静物』と『スペインを救え』がある。
《ファーレ立川》
米軍基地跡地の再開発によって1994年10月13日に誕生しました。「基地の街」から「文化の街」を標榜する立川に、アートを街の文化の礎にしようと、アートが一体化した街づくりが計画され、街はイタリア語の「FARE(創る・創造する・生み出すの意)」に立川の「T」をつけ「FARET立川」と名付けられました。ファーレ立川のアートの多くは車止め、ベンチや換気口など街の機能を持ち、ビルの合間を縫うようにして設置された36ヵ国92人109点のアートは20世紀末の現代世界を映し出しています。こうしたファーレ立川のアートは★パブリックアートの代表例として図工の教科書に掲載されるだけでなく、2008年より立川市の小学5年生の授業に取り入れられ、地域の生きた教材となっています。また1994年度の日本都市計画学会設計計画賞受賞はじめ、都市計画からも高い評価を受け、国内外多数の方が視察に訪れています。立川市民中心のボランティア団体「ファーレ倶楽部」は1997年に結成され、アートガイドや清掃、アーティストとのワークショップなどの活動を行い、これまでおよそ18,600人の方をご案内しています。ファーレ立川は、今やアートを通じた街づくりの代表となっています。
・・・そして、その中に「階段」の作品があります。この作品の下には地下の巨大な機械室に降りていく本当の階段があります。なおかつ、これはその地下の機械室の排気口にもなっています。階段はそのなかに隠された姿をも示しているのです。
【リチャード・ウィルソン】Richard Wilson (1953~)
http://www.tachikawa-chiikibunka.or.jp/faretart/art/814/
オブジェを楽器にして演奏するパフォーマンス活動を始める。87年ロンドンのマッツ・ギャラリーで、画廊空間の肩の高さまで重油を満たし、日常的な場を異なる空間へ変容させる作品≪20:50≫を発表し注目を集める。クリストやロバート・スミッソン等のアースワークの概念を日常の空間へ持ち込み、場の持つ概念を変容し、それを体験することで人々の既成概念を解くことが狙い。他にバスルームの窓を切断して部屋の中央まで進出させ、内部と外部という意識に変革をもたらす作品などがある。彫刻は典型的な英国式階段に似せてアルミニウムの鋳造でつくられています。ウィルソンは奇想天外な方法によって現実の空間を変容させる作家です。89年サンパウロ・ビエンナーレや、92年シドニー・ビエンナーレ等に出品。イギリスのニュー・スカルプチャーの一人として注目される。日本ではファーレ立川の作品の他に、越後妻有アートトリエンナーレの≪日本に向けて北を定めよ(74°33‘2’)≫が恒久設置作品として知られている。
・・・それでは、私の「階段」を紹介しましょう。高校時代、2階の美術室から「非常階段」に出ることができました。ことあるごとにタムロして、青春ど真ん中を過ごしました。校舎のすぐ裏には「ドブ」があり「町工場」がひしめき、廃棄された様々な財利用・道具が山積していました。それは、私たちにとってアートの「玉手箱」でもありました。壁を乗り越えては、めぼしい廃材を美術室に運び込み、切ったり貼ったり組み合わせたり。その制作スタンスは、今も変わりません。