・・・「二重螺旋」と言えばダ・ヴィンチ、でも日本にもあるから驚きです。
【世界遺産】シャンボール城の夢想建築/ダ・ヴィンチが残した二重螺旋階段
https://matome.naver.jp/odai/2142635571365275501
【知られざるニッポン】vol.28 全国にあった!二重らせん構造の「さざえ堂」
栄螺堂(さざえどう)は、江戸時代後期の東北~関東地方に見られた特異な建築様式の仏堂である。堂内は螺旋構造の回廊となっており、順路に沿って三十三観音や百観音などが配置され堂内を進むだけで巡礼が叶うような構造となっている。仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいて、右回りに三回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっていることから、本来は三匝堂(さんそうどう)というが、螺旋構造や外観がサザエに似ていることから通称で「栄螺堂」、「サザエ堂」などと呼ばれる。
もっとも有名なものは、福島県会津若松市の白虎隊の墓所のある飯盛山の中腹に建つ通称「会津さざえ堂」で、正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)という(重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)。同名の堂は他所にもあるが、旧正宗寺三匝堂のような特異な内部構造をもった堂は他に知られず、稀有な例として平成7年(1995年)6月27日付けで国の重要文化財に指定された。なお、二重らせん構造を有する近代以前の建築物としては、世界では他にフランスの世界遺産であるシャンボール城(ロワール地方)内部の、レオナルド・ダ・ヴィンチの設計とも伝えられる二重螺旋階段が知られている。これが蘭書に掲載され、めぐりめぐって会津地方まで伝わったのではないかという説もあるが、物証は無く定かではない。
◆曹源寺栄螺堂(さざえ堂)/群馬県太田市東今泉町165
平成30年12月25日官報(号外第284号)文部科学省告示第231号の告示を経て国の重要文化財となりました。
https://sazaedou.wixsite.com/sougennji
◆長禅寺三世堂/茨城県取手市取手2-9-1
https://www.city.toride.ibaraki.jp/maibun/bunkakatsudo/rekishi/shitebunkazai/sazaedo.html
◆蘭庭院栄螺堂/青森県弘前市西茂森2丁目9-1
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/shi/shi2.html
◆總持寺(西新井大師)三匝堂/東京都足立区西新井1丁目15-1
http://www.nishiaraidaishi.or.jp/
◆成身院百体観音堂/埼玉県本庄市児玉町小平地内
http://www.syokoukai.or.jp/syokokai/kodama/060/20140408120054.html
◆大正大学すがも鴨台観音堂/東京都豊島区西巣鴨3-20-1
◆夢かなうぶんぶん堂/JRおおいたシティ屋上
《参考》佐竹曙山「写生帖」1748(寛延01)-1785(天明05) /蔵:秋田市立千秋美術館
江戸時代/紙本着色、絹本着色/各H34.0×W26.3
http://www.city.akita.akita.jp/cgi-bin/senshu-art-search/list.cgi
第1冊にはトカゲの標本や亀、蛙の他約400点の虫類写生図、第2冊は15種の鳥類、第3冊は18種の植物写生図のほか、曙山が著した日本初の西洋画論「画法綱領」「画図理解」が記されている。曙山が田代忠国に命じて編纂させており、同時代に蘭癖大名の間で流行した博物画帖としての性格が強い。本画帖中の写生図を粉本として活用し、描かれた作品も多い。
【佐竹曙山】(1748~1785)
江戸時代中期の秋田藩主、秋田蘭画の画家。本名は義直、のち義敦、号は曙山、秦領。生来病弱ながら英明で進取の気性に富み藩財政の立直しに尽力、その一環として領内に平賀源内を招き阿仁銅山の採掘増産を実施。そのとき源内より教えを受けた小田野直武を通じて洋画技法を学んだ。作品は沈南蘋 (しんなんぴん) 風の写実主義と舶載銅版画に感化を受けた様式を示す。また『画法綱領』 (1778) 、『画図理解』 (78) を著わし司馬江漢そのほかの洋画論の先駆をなした。おもな作品は『紅蓮図』 (秋田市美術館) ほか。
※故・小林文次博士(日本大学理工学部)は、推論として次のように述べています。
『さざえ堂二重らせんの発想は、日本の仏堂建築の伝統から突如として異質の構想が生まれたとは考えられない。享保五年(1721)の洋書解禁によりオランダから輸入された洋書の中に、秋田藩主★佐竹曙山のスケッチ帳にある二重らせん階段の原図がある。これはロンドン出版のモクソン(1627~1700)著の写しであり、これを通じて一部に知られている事実があった。これは遠くダビンチにまでつながっているものであり、これらとさざえ堂とのつながりはさだかではない。しかし、西欧の例が単なる通路で逢ったのに対し、中心部に観音像を配し、あたかもライトのグーゲンハイム美術館を思わせるような会津さざえ堂は単なる模倣ではなく天才的な創造とみるべきである。』(「さざえ堂と飯盛山」より抜粋)
・・・ダ・ヴィンチと日本がつながっているとすれば、それはそれは素敵なことです。