厨子(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・以前「籔内佐斗司」さんの展覧会(★堺市博物館)で、お土産に「ストラップ」を大人買いしていました。

https://kyodonewsprwire.jp/release/201303270814

堺市では、平成25年5月24日(金)から平成25年7月7日(日)まで、堺市博物館において籔内佐斗司展「やまとぢから」を開催。籔内佐斗司氏は、小学校から高校時代までの多感な時期を堺市で過ごした★堺ゆかりの彫刻家です。東京藝術大学大学院文化財保存学教授を務めながら、近年では平城遷都1300年祭公式キャラクター「せんとくん」の制作を手がけられました。また、仮面舞踏集団「平成伎楽団」をプロデュースするなど、ますます活動の幅を広げています。

https://yabuuchisatoshi.shop-pro.jp/

 

 

【籔内佐斗司】

http://www.uwamuki.com/j/indexJ.html

1953年に生まれた彫刻家・籔内佐斗司は、古文化財の保存と修復の経験に基づく確かな技術を駆使した木彫作品を通じて、日本人の心象風景や東洋的自然観を暖かく穏やかな造形で表現している。そして滑稽さと諧謔に満ちた奇想天外な作品世界は観る人を魅了してやまない。最近では木彫以外にブロンズの作品を多く手がけ、「Art for the Public」として屋外や公共空間にも活動の場を広げ、住民の側に立ったまちづくりにも積極的に参加している。彫刻の他にも著述や映像などにも多彩な活動を繰り広げ、オリジナルキャラクタ-を用いて、ことばあそびにあふれた商品の企画も行っている。一見軽妙に見えるその表現活動は、日本人が西洋近代主義的芸術観を受容する過程で見失ってしまった日本の造形美学を再構築しようとするものである。

1953 大阪市に生まれる

1978 東京芸術大学美術学部彫刻科卒業

1980 同大学大学院美術研究科(彫刻専攻 澄川喜一研究室)修了

1982 同大学保存修復技術研究室助手を1987年まで勤める

(その間、奈良市新薬師寺地蔵菩薩立像(影清地蔵)、新座市平林寺十六羅漢像等の修復に携わる。)

2004 東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻 保存修復・彫刻科教授に就任

http://www.tokyogeidai-hozon.com

2008 平城遷都1300年祭(奈良)公式マスコットキャラクター「せんとくん」発表。仮面舞踏「平成伎楽団」結成

 2011 籔内佐斗司オフィシャルギャラリー「GALERIE AZUR(ぎゃるりあじゅーる)」オープン(セルリアンタワー東急ホテル/東京)

 

★堺をおもえば「籔内佐斗司さん」堺の記憶

https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/koho/citypromo/sakai_wo_omoeba/yabuuchi_satoshi1.html

「父はよく家族を食事に連れて行ってくれました。★山之口商店街にあった寿司の[弥助]とか、料亭の[八島荘]、それから、お座敷天ぷらの[大福][羽衣荘]と高級な店が多かったですね。時効だから言えるけど父はずいぶん職権乱用していたんでしょうね(笑)」★現存しているのは[弥助]さんだけ。ここには今もよく行くという。「子どもの頃に行った[弥助]はネタが素晴らしかったように思います。大人になって東京でおいしいお寿司屋さんにいろいろ連れて行ってもらうけど、当時の[弥助]のほうが格段においしかった。もちろん、今でもおいしいですよ。商店街に面してあった頃の[弥助]はカウンターに石を組んで竹の樋が出てて、そこからチョロチョロ流れている水で手を洗いながら寿司を食べたんです。昔の大阪の寿司屋はこの形式が多かったそうですが、今はそれがなくなってしまったのがちょっと残念ですね」

https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/koho/citypromo/sakai_wo_omoeba/yabuuchi_satoshi2.html

★二代目は籔内さん一家ともお馴染み。「籔内さんは小さい頃からご家族で来てはりますよ。お母さんがお父さんのことをかいがいしく世話してはってたことを思い出しますね。うちは籔内さんの翁面とか何点か買わしてもらって店にも飾ってありますけど、あの坊やがこんなに偉くなるとはねえ」と感慨深そうだ。現在は京都の有名割烹[祇園川上]で修業した三代目の淳行さんが継ぎ、その技を生かして料理とにぎり寿司のコースも出している。四代目の伸一郎さんは[吉兆]などで修業しただけでなく、ワインやチーズも好きなので、それを取り入れていきたいという。店は5年前に建て替えられたが、前の店舗で使っていた煤竹などを再利用して歴史を残している。だが、メニューはどんどん変化していきそうだ。[弥助]は高級店だが、味だけでなく二代目を始め職人さんたちが気さくに接してくれるところも評判が高い。二代目は「みんな喋るのが好きなんですわ(笑)。三代、四代のお付き合いがあるお客さまも多いですけど、新しいお客さんともざっくばらんなお付き合いをしたいですね」と言う。少なくともこのお店では、緊張してどんな味だったのかわからないということはなさそうだ。だが、気さくに接していても、お客さんが帰るときには二代目や職人さんが外まで見送りに出て、見えなくなるまで頭を下げるという矜持も併せ持つ。[弥助]が愛され続ける秘密がわかったような気がした。

 

 

・・・堺ゆかりの作家「籔内佐斗司さん」の「縁結び童子」を中心に、厨子を構成することにしました。山之口商店街「弥助さん」とのつながりもあるということなので、本当に不思議な縁を感じます。個展の時には、何回も弥助さん(二代目・大賀文太郎)がギャラリーにお越しくださいました。いつの日か、「弥助さん」のお寿司を食べたいなあと思っています。

 

《参考》2018.3.15毎日新聞より

https://mainichi.jp/articles/20180315/ddl/k27/040/352000c

堺市堺区のギャラリー「いろはに」で防空壕(ごう)を見せてもらった際、近くに住む★大賀文太郎さん(92)に偶然出会った。大賀さんは旧満州(中国東北部)で初年兵として敗戦を迎えた。旧ソ連に武装解除され、捕虜になるのを嫌い、計16人で脱走。命がけの逃亡劇とシベリア抑留の体験を聞く。

 

 

《弥助》

590-0954堺市堺区大町東1丁1-18/072-221-3355

http://www.yasuke.co.jp/

http://sakai-yamanokuchi.jp/archives/388

1921年(大正10)大阪寿司のお店として創業(初代・大賀勝)されましたが、1938年(昭和13)二代目・大賀文太郎さんから江戸前に代わったようです。歴史ある老舗寿司店ですが、年代等についてはネット上に様々な異なる情報がありますので、詳しくは直接お聞きするしかありません。カウンターがメインで、その季節・その日の新鮮なネタを味わって頂いております。本当の寿司を食べにいらして下さい。商店街の中にあったお店が道一本挟んで2009年に新装されました(三代目・大賀淳行)。立派な料亭然とした一戸建てで、日本情緒あふれるお店です。さらに、「弥助」(四代目・大賀伸一郎)のお店『鮨おおが』が、「弥助」の向かいに2018年6月11日にオープン(590-0954堺市堺区大町東1丁2−7/072-221-1818)しました。

 

 

・・・このように代々継承されているお店は少ない、まさしく「玉手箱」です。それでは「玉手箱プロジェクト」の作品を紹介します。

 

 

・・・やっぱり「タマムシ」も取り付けました。